売り手と買い手の信頼関係なくしてどんなマーケティングも成り立たない。
「マーケティング」の概念が19世紀末のアメリカの中西部で誕生し約100年が経過する。この時期にアメリカにおいて身内を超えて信頼できる社会が生まれたからである。それから第二次世界大戦を経て50年後の1950−60年代に、アメリカでは、大量生産と大量販売が結びつき、ラジオ、テレビなどのマスメディアの発達とともに、現代の「マス・マーケティング」のスキルがほぼ確立された。その同時期に日本にマーケティングの概念とスキルが導入された。日本マーケティング研究所は1958年に創業され、日本のマーケティング草創期に誕生し、成長した会社である。それから50年が経過した。2008年、クライアントのみなさんにご提案したいのは「信頼づくりのマーケティング」である。
1. 地に落ちた売り手への信頼
2007年は、様々な事件が起きた。特に、注目すべきは、テレビ局による「納豆ダイエット事件」、繰り返される公共放送の不祥事、相次ぐ大手メーカー、外食産業や老舗企業の「食品偽装事件」、2008年に入って「中国ギョーザ事件」と続いた(図表1)。こうした一連の事件は、単に、個別企業の不祥事や食品関連業界の問題として捉えられない。構造的な問題と捉えるならば、買い手である消費者と売り手であるメーカーの信頼の絆が崩れたとみることができる。
なぜなら、消費者にとってみれば、メーカーのメッセージに信憑性はなく、情報チャネルであるメディア企業もウソをつき、身近な小売や飲食店などの売り手も信頼できないからだ。つまり、すべての売り手、その関与者とシステムの信頼性が低下している。現代の日本のマーケティングの本質的な課題は、買い手である消費者と売り手であるメーカーとの信頼関係を再構築する、信頼づくりである。しかし、その答えは、「ウソをつかない」、「社員の行動規範を明確にする」、「社会的責任を明示する」、「検査やチェックの仕組みを厳重にする」というような対処療法的なものだけでは済まない。もっと問題は根深く、歴史的で、構造的なものだと思えるからだ。
ここでは、売り手はどのように消費者との信頼関係を形成してきたのか、信頼関係が崩壊した歴史社会的な背景は何か、現代の信頼関係づくりの鍵はなにか、信頼づくりのマーケティングをどう進めるかというように議論を進めたい。
2. 消費者と信頼の歴史
売り手は消費者とどのようにして信頼関係を築いてきたのだろうか。日本の消費の歴史を振り返って三つの段階に単純化して整理することができる(図表2)。
第一段階は、大量生産技術が確立されず、供給不足によって、売り手が買い手よりも優位にあった時代である。日本の戦前、戦後、アメリカの1920年代である。この段階は、売り手が買い手を信頼できるかどうかが重要だった時代である。消費者にとっては「物がある」、「在庫を持っている」だけで売り手を信頼せざるを得なかった段階である。
第二段階は、全国(ナショナル)ブランドの確立段階である。現代の日本で誰もが知っている多くのブランドがある。認知率90%を超えるようなブランドである。このようなナショナルブランドは、1960−70年代にほぼ形成されている。単なる一地域の産物に過ぎなかった商品サービスが、安定した品質でものづくりができるようになり、パッケージ商品として均質化され、説得メッセージをマスメディアによって伝達し、全国に配荷できるような流通システムが整備できるようになったからである。このような大量生産・大量宣伝・大量販売の仕組みが確立されて、ナショナルブランドが確立した。いち早く、「マス・マーケティング」システムを確立した企業が、ローカルブランドを駆逐してナショナルブランドとして躍り出た。成功の鍵を握ったのは、業種小売業1をメーカー別チェーンと言われる系列流通システムへと脱皮させた仕組みだった。消費者の生活感覚で言うなら「地元の誰かが作ったようなものではなく、誰もが知っているメーカーものがいい」という段階だ。
第三段階は、ブランドの多様化の段階であり、ナショナルブランドの崩壊過程と言い換えることもできる。1980−1990年代にかけて、様々なカテゴリーでのナショナルブランドが弱体化し、価格の多様化とともに、ブランド多様化が進み、ブランド崩壊の現在まで続く段階である。このようなブランド崩壊の時代を迎えたのは、マス・マーケティングを支える条件が大きく変わったからである。どの企業も大量規格生産が可能となり、大手組織小売業の成長によって全国への販売が容易になり、マスメディアでの宣伝広告量が氾濫するようになったからである。つまり、マス・マーケティングの普及によって参入企業が増加し、ナショナルブランド間競争が激化したからである。買い手の意識も大きく変わり、「誰もが知っているから信頼できる」という意識は薄れ、「他人とは違う仲間内が好きなものが欲しい」というように多様化した。1990年代後半には、「マスゴミ」と揶揄する消費者主導のインターネットメディアの急成長によって、情報ソースであるマスメディアの信頼性と影響力は地盤沈下した。
3.消費者の信頼の鍵−「メーカーもの」から「ネットワークもの」へ
このように段階的に消費者の商品サービスへの信頼の歴史を振り返ると幾つか確認できることがある。
ひとつは、商品の取引には売り手と買い手の信頼が不可欠であるということだ。相手への信頼がないと平等な交換ができない。特に、売り手が消費者の信頼を必要とするのは売り手が供給過剰の状況にあり、競争市場であるからである。また、消費者は、競合メーカーが多数存在する市場では、商品サービスの選択の情報サーチコスト(探索費用)や比較判断の負担が極めて大きい。選択の負担を軽減するために売り手を「信頼」できればよい。従って、売り手も買い手も必要なのは双方への信頼である。
ふたつめは、消費者は、売り手の商品サービスへの信頼を形成するのに、他者の「評判」などを「代用品」として利用するということである。限られた情報と知識で、すべての消費者個人が品質などを推定・検証して信頼を形成することは困難だからだ。つまり、信頼とは手間とコストのかかる検証を経ないで商品サービスの品質を信用することである。消費者は、売り手を信頼するのに様々な「代理指標」や「シグナル基準」2を使用してきた。
第一段階は、供給できること、生産できること自体が信頼の源泉であった。石油から大豆まで様々な資源の高騰が進む今日では買い手が売り手を選別している余裕はない。商品サービスの生産と供給そのものが信頼の源泉であった。
第二段階は、多くの売り手が参入してくると「多くの他人に知られている」ということが信頼の源泉となった。これがナショナルブランドの確立である。「血縁・地縁・社縁」などの顔の見える地元のローカルブランドとナショナルブランドを比較し、多くの消費者はナショナルブランドを選択した。それはローカルブランドよりもナショナルブランドの方がよく知られ、よく知られている方が、品質がよいと多くの人が推定したからである。消極的には、多くの他人が知り、使っているから、悪いことはしないだろう、従って、安心できると推量した。知っている消費者の数が説得のパワーの源泉であり、マスメディアの利用がその代理指標となった。「血縁・地縁・社縁」という「身内ネットワーク」を超えたところにナショナルブランドは確立した。それが「メーカーもの」であり「ブランドもの」である。
第三段階は、信頼の源泉が情報の共有されるネットワーク3そのものになった。ブランドがより多様化し、さらに、メディアの多様化によって、商品の選択情報が溢れ、プラス情報とマイナス情報が錯綜するなかで、選択の負担が幾何級数的に増加し、消費者の価値観の多様化と相対化が進み、知っている消費者の数が説得のパワーになり得なくなった。信頼のパワーを持つのは、同質的な仲間内の評判だけである。この結果、地産地消に代表される「血縁・地縁・社縁」ネットワークが信頼の源泉となる、「身内」の信頼への回帰が起こっている。身内が信頼されるのは顔見知りだから悪いことはしないだろう、従って、安心できると言う推量である。さらに、こうした回帰に加え、特定の趣味などを共通項にしたネットワーク、インターネットを通じた仮想的なネットワークなどの様々なネットワークでの評判が信頼の源泉となっている。商品の評価情報が共有されるネットワークそれ自体が信頼を形成し、保証する仕組みとなっている。「メーカーもの」から「ネットワークもの」への転換である。現在はさらに新たな段階へと進みつつある。
4.信頼づくりのマーケティング−顧客説得システム
消費者の信頼の源泉が歴史的及び社会的に変化するなかで、どうしたら買い手である消費者の信頼をとりもどし、自社の商品サービスの選択の説得をするシステムを構築することができるのだろうか。もちろん、顧客満足を充足するという理念のもとに、対価に見合う価値を提供するという原則を堅持し、偽装などの違法行為や社会規範に反する行動をとらないことは大前提である。しかし、これだけでは消費者からの信頼を得られそうもない。消費者が商品やサービスに信頼を醸成する仕組みが大きく変わっているからである。
顧客説得の仕組みとは、説得にどんなパワーを使い、どんなメッセージを、どんなチャネルを通じて、どんな受け手に、どんなネットワークを通じて伝達していくかという五つの要素で構成される。言わば、説得のペンタゴン(図表3)である。
従来の説得のペンタゴンは、マス広告の反復によるパワーによって、共感をメッセージとして込め、間接的なマスメディアをメインチャネルにして、不特定多数に、ランダムネットワーク4を通じて顧客説得を試みるものである。これでは顧客の信頼を得て、自社の商品やブランドの選択を説得することはできない。反復広告が嫌われ、個人の趣味の多様化によって不特定多数の共感を得ることは困難になり、信頼の低下したチャネルを利用すればさらに信頼は低下する。従来の説得のペンタゴンでは、不信が不信を呼ぶ悪循環に陥らざるを得ない。
こうした悪循環を断ち、信頼が信頼を醸成していく善循環の仕組みに転換していくには、新しい説得のペンタゴンを構築していく必要がある。
第一は、説得のパワーを変えることである。マスメディアを通じた反復から情報の信憑性によって顧客の好意を獲得していく必要がある。第二は、メッセージを変えることである。単なる消費者の共感を得るだけのメッセージはもはや多様化したネットワーク社会では有効性をもたない。むしろ、「情報の質」に着目していく必要がある。第三は、情報チャネルを変えることである。すべての情報チャネルの信頼感は低下している。信頼感の低下したチャネルから出される情報が信頼されないのは自明である。テレビ、新聞などのマスメディアやブログなどのインターネットメディアのなかで日本人がもっとも信頼している情報源は、作り手であるメーカーがダイレクトに提供する情報である(図表4)。マスメディアを通じた間接的なアプローチから消費者への直接的な情報発信が必要である。第四は、受け手を変えることである。「マス」と呼ばれた不特定多数の顧客はいない。多様で多重な特定層の顧客である。第五は、伝達スピードが速く、身内もしくは身内のような知り合い同士の情報交換密度の高い高密度ネットワーク5を通じた情報伝達を活用することである。
信頼づくりのマーケティングの鍵は、現代の消費者の価値意識とネットワークに依拠して、顧客説得システムを再構築することである。
【付注】
- 【参考文献】
- 松田久一(2003)「消費社会の戦略的マーケティング」,JMR生活総合研究所
- 松田久一監修(2007)「消費社会白書2008 多極化する消費、すすむ趣味の階層化」,JMR生活総合研究所
- 金城敬太(2008)“多重な商品情報ネットワークの調査とシミュレーション”「消費経済レビュー」,vol.8,III,JMR生活総合研究所
[2008.03]
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