21世紀も10年が経過した。
しかし、日本の将来は見えて来ない。むしろ、現在の日本は、外交、内政、経済、そして、社会も行き先の見えない、不透明な閉塞状況にある。将来に影を落としているのは2つである。ひとつは、少子高齢化による人口減少である。日本は、江戸時代以来、人口減少に直面したことがない。少なくとも、戦争以外では百年以上は経験していない。従って、経済成長の会計からは、技術進歩だけに依存することになる。
もうひとつは、政府の借金の巨大化である。高齢者や低所得層などの弱者は、政府による手厚い社会福祉政策を望み、起業家や富裕層への負担増や格差是正を期待している。他方で、若い世代や起業家は、将来の税負担を心配して、小さな政府と事業機会を生む規制緩和を望んでいる。この世代間の利害対立の決着が付かない。
従って、政治も選挙ごとに大きく揺れて、決断ができない。900兆円と言われる政府の国債によって賄われる財政赤字が、個人金融資産の約1,400兆円を近い将来上回れば、国債の購入は中国などの海外に依存することにならざるを得ない。そうなれば、長期金利が上昇し、金融のゼロ金利政策はやめざるを得ず、企業へのファイナンスが滞り、借入の金利負担が増え、景気をさらに低迷させることになる。
厳しい現実である。
他方で、別の現実もある。「失われた20年」と言われる期間に、日本よりもはるかに高い成長率を達成した中国やアメリカと比べてどうだろう。日本は、失業率は5%台を維持し、所得格差も両国ほどには大きくなく、国民のすべてが健康保険に加入し、平均余命は世界一、犯罪率は世界有数の低さである。一体、どの国民が幸せであったのだろうか。
21世紀の10年で日本の消費者は、バブル期の贅沢とも違い、不況期の節約でもない新しい消費スタイルを創造しつつある。
学校を卒業して、就職し、残業代を稼げるようになればローンでクルマを買い、結婚すればAV機器や家具、家事から解放してくれる便利な白物家電などを一通り揃え、子供ができれば30年ローンを組んで郊外に持ち家を購入する。子育て期は、子供に教育投資をしながら、少し余裕ができ、子供が手離れすれば、外食や海外旅行を楽しむ。日本の中流層の典型的な消費スタイルである。この消費スタイルが大きく変わろうとしている。
これまで等閑視されてきたふだんの日常生活を楽しむ、という内向きの志向である。「足る」を知り、既製服に手を加えたり、内食づくりや家事などを楽しんだりして、自分の趣味に合った生活スタイルを確立することである。
自分ではコントロールできない厳しい現実に直面すれば、誰しも、自我の無力感を体験し、「不安」のどん底に突き落とされる。日本の消費者は、現実の厳しさから不安防衛機制によって、合理的な「節約」をとり、さらに、21世紀型の消費スタイルへと「昇華」させようとしている。消費者への「日常生活の楽しさ」の提案がひとつの解決策である。
[2010.11 消費社会白書2011]