01
日本人はよく泣くようになったのか?
調査データから、「女性は男性よりもよく泣く」、「年を重ねると涙もろくなる」というふたつの俗説を検証してみた。確かに、女性は男性よりもよく泣き、男性は年を重ねると涙もろくなることが立証された。多くの人々に長い間信じられてきた俗説は、確かに風雪に耐えるだけのものがある。
私達がふだん営んでいる生活や感情も、長い時間をかけないと変わらないものもあれば、一瞬にして変わってしまうものもある。経済や社会現象には、小さな流行を大きな趨勢と見間違えたり、大きな変化の小さな徴候を見逃したり、変わらないものを「変わるもの」と見なしたり、変わるものを不易とみなしたりすることが多い。
そもそも経済分析には、このような歴史的な見方よりも、消費者や企業の合理的な行動を仮定して、普遍的なモデルとして見る観点が優勢を占めている。まして、泣くというような感情の歴史は検討されない。
02
世代分析で世相の変化をとらえる
先に紹介したように、柳田国男は、「人が泣くということは、近年著しく少なくなっている」という説を1940(昭和15)年に提示した。この時に柳田国男が考えていた世相変化の比較期間は50年である。50年という歴史的変化から見れば、日本人は泣かなくなったと論じているのだ。時代背景から見れば、政府や軍部が対米戦争への準備を進め、厭戦気分を抑圧し始めた時期にあたる。政府が、人々が泣くような空気を作り出したくなかったのは言うまでもない。他方で、太宰治の記述によれば、当時は、開戦間近の雰囲気のなかで、人々は明るく健全で他人に優しい時代であったと回想している。
対米戦争への緊張感と人々の明るさという空気のなかで、柳田国男自身の体験から「人は泣かなくなった」と論じている。同時に、柳田は、世相の変化というものを見極める方法論の必要性を説いている。その方法論の確立こそが民俗学であり、その手段は、過去の50年を次の時代へと伝える能力を持つ「古老」から、世相の変化を聞き取ることであると主張している。当時、65才に達していた柳田は、日本全国を、農政官僚として、また民俗研究者として、50年間歩き回った経験から、ひとりの「古老」として「人が泣かなくなった」と主張している。
柳田国男の論証は統計や数字を使ったものではない。自分の体験や短歌の分析、言葉の起源の分析などを通じたものである。