本コンテンツは、米国陸軍中佐 Robert R. Leonhard(ロバート・R・レオンハード)氏による「バグダッド攻略の鍵、バスラ -イラク戦争の戦い方」寄稿に際し、その序文として執筆されました。
01
政治の季節
ブッシュ米大統領は1月28日に一般教書演説を行った。昨年の演説では、「悪の枢軸」発言で注目を集めたが、民間企業の年間基本方針の発表に相当するものであり、重要なものであることは言うまでもない。なかでも注目されたのは対イラク戦争についての方針であり、反戦世論が盛り上がるなかで、アメリカ単独でも戦う姿勢を再度鮮明に打ち出したことである。2003年の日本経済は政治に振り回される季節になりそうである。
02
イラク戦争の戦略
経営やマーケティングでは「戦略」という言葉が多用される。その語源が軍事戦略あるいは戦争戦略論にあることは言うまでもない。また、その思考方法を学びたいと多くのビジネスマンが望んでいる。しかし、最近流行のゲーム論を学んでも戦略思考は身につかない。ゲーム論で定義される戦略とは、決められた「ルール」と「打つ手」のなかで利得を計算する方法である。この打つ手をゲーム論では「戦略」と呼んでいるに過ぎない。ゲーム論で身につく思考は、プレヤーの相互依存関係を前提に、プレヤー間の均衡問題を解く手法であり経済学的思考である。確かに、現実の一側面を反映しているが一断面に過ぎない。実務と人生で要求される戦略思考とは全く異なる。実際に要求される戦略とは、ゲームを構成する環境の予測を含み、その環境のなかでのルールの設定、打つ手そのものの創造を内容としている。寧ろ、戦争史や歴史から身につける方が有益である。
アメリカの軍事戦略をリードしているレオンハードに、軍人が軍事戦略をどのように発想し、思考するのかを学ぶために、世界が注目するイラク戦争のアメリカと連合軍の戦略について予想して頂いた。彼の予想通りに展開するとは必ずしも限らない。しかし、戦う武人文化を持たない多くの日本人には学ぶべきことが多い。「愚者は自分の経験から学ぶ、賢者は他人の経験から学ぶ」。このビスマルクの箴言は戦略思考を身につけ実務に生かしたいと考える人々にとっては普遍的なものである。
02
レオンハードの戦略思考
レオンハードから学ぶべき幾つかの点がある。
そのひとつは状況の分析である。戦争は、兵力や武器などの物理的諸力と精神的諸力の諸合計によって戦われる。企業で言えば、人、設備(物)、金、情報などが物理的諸力であり、企業文化や競争意識が精神諸力であり、有形無形の経営資源である。アメリカとイラクの戦力分析でもっとも鋭い洞察を示しているのは、1991年の湾岸戦争との比較の上で資源としての情報、時間と精神諸力の分析である。戦闘体験もなく、戦史研究もない日本の軍事評論家なら必ず戦争戦略は兵器の問題に集約してしまう。戦争は武器の優劣によって決まる時代になったと宣言する専門家もいる。この考え方によれば優れた兵器をどれぐらいの数を所有しているかで勝敗は決されることになる。レオンハードは、情報、時間、精神諸力の分析に重点を置いてコメントしている。今回のイラク戦は、湾岸戦争以後、約10年という十分な時間を投下してアメリカ軍によって研究しつくされていること、イラク軍のフセイン大統領への忠誠心が低いことがえぐり出されている。さらに、時間はアメリカには十分にあってイラクにはない、と分析している。これは、「焦るアメリカ、待ち受けるイラク」というマスコミ図式とは全く異なるリアリティである。つまり、レオンハードは、地上軍をアメリカから中東にまで移動させ、兵站を準備しなければならないという物理的諸力の劣勢を踏まえ、情報や時間を含む精神諸力で勝っている、と分析しているのである。
ふたつめは、戦略立案の発想の鋭さである。レオンハードは、戦略にとってもっとも重要な目的を、フセイン政権を倒しイラクの民主化政権の樹立という政治目的を達成することだとしている。この目的を達成するために個々の戦闘をどのように連続的に展開するかのシナリオを描いている。まず、航空優勢を確保するために航空攻撃によってイラクの指揮命令系統を叩く、その上で地上攻撃によってバグダットを市街戦によって直接掌握してフセインを捕縛するのではなく、橋頭堡を築き、市街戦に持ち込むことなくバグダット包囲によってフセイン政権の自壊に持ち込むという構想、つまり戦略を描いている。湾岸戦争で機動部隊の指揮経験を持つレオンハードならではの仮説である。その橋頭堡が「バスラ」ではないか、というのが仮説である。なぜ、橋頭堡を築き、市街戦に持ち込まない事が重要なのか、なぜ、バスラなのかは本文を読んで頂きたい。地形を読み切った構想である。
三つめは、戦闘意志の重要性である。全体を貫いているものは、戦争とは戦う意志であり、彼我の戦闘意志が戦争全体を支配するという考え方である。イラク軍の戦闘意志はフセイン独裁と民族対立によって弱い、その証左はフセインの軍備配置に示されているとレオンハードは分析している。この戦闘意志を重視する発想は、孫子からクラウゼヴィッツに連なる戦略家が重要視する共通原則である。すべてにおいて優位にあるアメリカ軍が劣勢に立たされるとすればここに弱みがある。核、生物、化学兵器などの大量破壊兵器が怖いのは、その物理的破壊力ではなく、戦闘意志とそれを支える世論にどのような影響を与えるかである。アメリカ軍の戦闘意志を高め、相手の意志をどのように挫くかに心を砕いている。これは企業の競争戦略を機械的に考え、人間的な実行的側面を軽視する傾向にたいへん有益な示唆を与えている。反戦世論が盛り上がるなかでアメリカ政府のマーケティング力が問われる。
04
戦争から学ぶ
2003年の日本経済は全く予測がつかない。国際政治では、イラク問題があり、身近には北朝鮮問題がある。生存の基本である安全保障が揺り動かされるのだから経済が影響を受け、消費者の購買行動や企業の経営・マーケティングにも波及せざるを得ない。さらに、国内政治も小泉政権が「経済失政」によって不安定性を高めている。赤字政府が経済に対してできることは何もない。そもそも世界で、もっとも豊かな消費者がもっとも不安でもっとも政府を信頼していないのだから経済政策の有効性を論じる状況にない。選択消費が必需消費を上回り、所得よりも資産が消費を規定しているような高度な情報消費社会では、消費者の予測や期待に働きかけなければ政策は有効性を持たない。また、国民の政府への信頼がなければ財政政策も金融政策も働かない。日本経済の行方が、アメリカの景気に左右され、アメリカの景気はイラク戦争に左右される、という構図が成立する理由である。現在のところ消費税率のアップやインフレターゲティングなどの実験的試みで消費者の予測や期待に働きかけられるかはまったくわからない。消費者の将来と期待に働きかけ、経済動向を左右しているのは、民間企業の展開するマーケティングしかない。
高度情報消費社会では、民間企業の優れたマーケティングだけが唯一の景気対策である。政府による産業再生など愚策の極まりである。競争に勝つことが戦略の目的ではない。企業の目的は、消費者の好意、購買と満足を、競争を通じて達成することである。戦略とはこのために利用されるスキルであり、創造的思考である。戦争はダメで血を流すことが悪であることは決まっている。だから、戦争は遠くで反対すれば済むということではない。戦争から学ぶべきことは、如何に平和が維持されているかを知ることであり、死を賭けた冷徹で余りに人間的な競争の思考と力の論理である。戦争戦略から学ぶことはどうしたら消費者の好意、購買と満足を自社の商品サービスを達成するかということであり、その結果の総和として日本経済を浮揚させる思考方法である。
05
万国の万国への戦いの時代
愚かな戦争から学ばねばならないのは日本の戦略である。
ニューヨークの9.11事件以後、世界の国際秩序は大きく変わった。中学校のクラスに喩えるなら、クラスのルール(国際秩序)によってもめ事を調整していた先生が、先生よりもお金持ちで体力もあるクラスの番長が闇討ちを受けたことによって指導力を失い、番長が「これからは俺が世界を仕切る。俺に刃向かう奴は許さない。これからは殴られてからでは遅いので殴られそうになったら先に手をだす(先制攻撃)。特に、ナイフ(大量破壊兵器)を持っている奴は許さない。」と宣言したようなものだ。この喩えでは、先生が国連で、番長がアメリカ、番長を闇討ちにしたのがアルカイダで、現在、番長が追いつめようとしているのがイラクとなる。日本はさしずめアメリカ番長グループに属し、金持ちだが力がないので番長を用心棒にし、北朝鮮は、貧しく小柄だが小さなナイフを振りかざし番長と差しで話をつけて、金持ち日本から資金援助してもらおうと策動しているという状況だろう。
クラスの新しい変化は、番長グループのなかからヨーロッパという新しいグループが生まれ、中国という新しい番長も影響力を拡大しようとしている。アメリカ番長グループの一員だった北朝鮮の親戚である韓国は、番長に反抗して、新興の中国番長に擦り寄ろうとしている。以前には、クラスをアメリカ番長と二分していたロシア番長も経済的には落ちぶれたし、とてもアメリカ番長には対抗できないがナイフはあるし力も残している。
このクラスモデルで言うなら、日本は、昔、番をはっていたがアメリカ番長グループに負けて猛省し、現在はアメリカ番長グループに属し、身の安全は番長にお任せで、せっせとアルバイトに精を出しクラスの優等生になって豊かになったというところだ。しかし、豊かになったのはよいが自分で自分の身を守れないし、この先が見えないのでクラスで一番将来不安を持っている。
日本は、番長がイラクと戦うと言うなら協力するのか。近くの席で貧乏に追いつめられている北朝鮮のナイフにどう対抗するのか。圧倒的な強さを誇るアメリカ番長グループと新興で巨大な潜在パワーを持つ中国番長との距離関係をどうするのか。
厳然と支配する「万国の万国への戦い」という力の論理のなかで、アメリカ番長を用心棒にして、昔の番長は「ペコペコ」と「根回し」の決断なき外交を展開している。不甲斐なく見える政府外務省は、プライドを捨て生き残るためには何でもするという日本の戦略の自画像である。すでに「万国の万国への戦いの時代」が始まり、日本の外交政策において戦略思考が試されているのがイラク戦争でもある。
[2003.01 MNEXT]