昭和は、不良息子の父親への反逆の時代だった、というひとがいる。
自分の息子だけは苦労させたくないと念じた明治大正生まれの父親が息子を最高学府に入れ、息子は西欧にかぶれ、社会思想にかぶれ、革新の名のもとに有形無形の資産を破壊しつくした時代だ、というのである。この精神の病は、戦後生まれの一部の世代にも受け継がれた。伝播領域も家庭から学校へ、学校から企業へ、企業から社会へと縦横に裾野を広げていった。
ひとつの世代が時代をになうものとして他の世代を主導していく時代でもあった。もともと多様性を本性とする消費を、昭和のマーケティングは革命的に破壊し同質的なものに編集してしまった。乱暴でマクロなマーケティングが、そんな土壌に咲いたのかもしれない。
平成は自分の息子に自身が築いた有形無形の資産を継承させる時代である。5,335兆円が引き継がれる有形の資産である。父親は子供に反逆される程強くなく、誤解される程寡黙でもない。もう、ひとつの世代が時代を主導できる自我葛藤の構造はなくなった。多様性に対応できる技術も身についた。それぞれの世代が多様性を模索し資産を創造的に保守していく時代である。
平成のマーケティングはもはやマクロなそれではあり得ない。ひとつの製品・ブランドにひとつの売り方、ひとつのプロモーションというマクロに顧客をセグメントしていく方法はもっとも非効率になった。ひとつの製品にそれぞれターゲットを異にする六つのプロモーションを展開できるP&G、レスポンス率70%を可能にする丸井の情報技術革新、一ヶ月で価格と品揃えを変更できるエイボンのダイレクトマーケティング、マクロなものからミクロマーケティングへ展開が急速にすすんでいる。
マクロなことで済ませる会社とミクロなマーケティングが展開できる会社の差こそ昭和のマーケティング資産の大きさである。
時が冬を感じさせるように、時代の季節は保守を感じさせる。昭和の革新的破壊から平成の創造的保守への転回、マーケティングも資産で格差が生まれる時代である。