01
はじめに
新型コロナウイルス感染症は、経済のグローバル化にブレーキをかけた。「つくればつくるほど収益があがる収穫逓増[1]」の産業は、経済のグローバル化に大きな成長機会を見いだしてきた。原料や部品をもっとも安い国で調達し、労賃のもっとも安い国に設備投資して、巨大工場で部品を組立て、グローバルな物流網を活用して、低価格を武器に、世界の市場を攻略し、寡占化し、高い収益性を上げる。戦後の自由貿易体制下で構築されたこのビジネスモデルと産業が、変わらざるを得ない。衣料、エレクトロニクス、ITや自動車などが典型産業である。それが、コロナ終息後にどう変わるのか。コロナ前に戻るというよりも、コロナ後の各国の規制や貿易ルールづくりで大きく変わることになる。
多くの企業でグローバル戦略、つまり、世界市場の選択、調達、生産などのグローバル配置が見直されている。これらの産業の特徴は、「渡り鳥」、難しくいえば、「雁行形態」産業であるということだ。労働などの安い国に機会を見つけて飛んでいく産業である。
多くの地域経済は、企業城下町といわれるように、製造業の工場とその雇用者によって支えられてきた。その工場の生産性が、グローバル競争で劣ると、閉鎖され、海外生産に代替される。残された地域には何も残らない。しかし、コロナの治療薬の可能性を持つ「アビガン」の国内製造が再開されるように、国内回帰が起こるかどうかが地域経済の将来を左右する。
農業は、「つくればつくるほど収益が低下する収穫逓減[2]」産業である。農地を拡大し、機械化を進めることはできても、工業品のようにはいかない。また、国土が20倍広いアメリカなどとの規模競争は厳しい。
日本の農業は、グローバル競争力がないといわれてきたが、コロナ禍でその弱みが大きな強みになっている。「生存欲望」、「安全安心欲望」が高まり、内食も戻りはじめ、消費者に「安くてよいもの」ではなく、「よくて価値あるもの」を提供できる機会が生まれてきている。そして、農業が活性化することで、地域に根ざした産業が活性化し、その産業のもとで新たな産業が生まれ、地域経済が再生され、結果として、日本経済が再活性化される機会が生まれている。コロナの災いを福に転じるとすれば、GDP1%にあたる農業をGDP10%に、5兆円を50兆円にして、現在のエレクトロニクス産業並みにし、日本経済を実体的に活性化することではないだろうか。
02
GDP1%の農業は消滅する?
農業は5年内に消滅する、という人がいる。根拠は、5年後には農業従事者の平均年齢が70歳を超え、健康寿命を迎えるからだ。参入者が少ないので、働く人がいなくなり、衰退するということだ。
しかし、この主張は、市場メカニズムを無視している。農業労働市場の需給を考えれば、労働力の需要が変わらず、労働力の供給が減れば、賃金は上がり、供給は増える。人口が減って、町が消えるという議論も同じだ。人口が減れば、土地の価格が下がり、新しい参入者が増える。消えるといわれた豊島区は、低価格の住宅サービスを求める中国などの外国人が急増した。
農業が厳しいのは、産業の問題である。自然に依存するので、生産計画と品質コントロールが難しく、生産者が小規模で多様なため、買い手の中央卸売場や農協などの中間流通が多く介在し、低価格競争になりやすい構造を持っているからである。特に、中間流通は複雑で、成長する市場は「場外」になっている(図表1)。生産者が収益をあげられる構造にはないので、大規模投資もできないし、賃金も抑制せざるを得ない。
この構造から抜け出せないのが、現在の日本の農業だ。悲観論が多くなっても仕方がない。
03
農業は成長産業
農業は、市場からみると成長産業である。高齢社会化が進み、65才以上人口は20~30年は増え続ける。そして、高齢層の消費支出は、他年代に比べて食が高い。美味しい食事機会を持つことが、高い価値を持つからだ。
日本のGDPのうち、農業などの第1次産業の占める比重は1%に過ぎない(図表2)。しかし、食が日本人の生き甲斐に貢献する比率は、どれぐらいだろうか。美味しいものを味わった際の喜びを考えると、食ほど生き甲斐に繋がっているものはないことは、誰しも実感しているはずだ。仮に、低く見積もって10%とすると、価値社会では、農業は10倍の価値にできる可能性があることを示している。
コロナ禍で、多くの人がこのことは実感したはずだ。外食やレストランに消費者の足が遠のくなかで、「いつものものを、いつものように、いつもの場所で」という安心安全を提供する固定客のいる外食は、コロナ禍でも驚くほど満席だ。お金に換算できない値打ちがある。
農産物は組み合わさって食材になり、食材が調理加工されて料理になり、料理が提供される場が加わって食事になる。米を買って、家で炊飯する消費者は減りつづけていた(内食)。しかし、料飲店やレストランで炊飯されたご飯を食べる機会があり(外食)、弁当工場で炊飯されたおにぎりをコンビ二で買っている(内食)。
外食は減ったが、評判の店は固定客がつき、予約で満杯だ(予約食)。最近では、惣菜、弁当とビールを買ってイエで夕飯にする食事(イエ食)が増えている。さらに、好きな飲食店のメニューを注文し、ドリンクも含めて、デリバリーしてもらう食事(デリ食)も人気だ。
食事の提供は、内食、外食、中食、イエ食、デリ食、予約食へと、食材がシステム化し、高度化し、多元化して提供されている(図表3)。この消費者の価値観の変化をもとに成長し、伸びる価値の源泉があるのが農業だ。
04
農業は自然の地場が価値の源泉―渡り鳥産業ではなく地場に根ざす産業
農業は、量産型の製造業と違い、地域経済に根ざし、地場の自然を源泉とする産業である。
衣料、エレキ、半導体、薄型パネルなどの量産産業は、安価な賃金を求めてグローバルに移動する。しかし、農業は移動できない。農産物の最大の強みは、その土地と海などの自然環境、季節条件のもとで、栽培、採集され「コピー(複製)」できないこと、「量産」に限界があることである。これは最大の弱みでもある。美味しいと思った「1粒のいちご」は、2度と食べることはできない。「有難い」とはこのことだ。経済学では、この希少性を「レント」と呼ぶ。
日本で独自のマルクス経済学を構築した宇野弘蔵氏は、市場経済の論理には乗りにくい農業は、資本主義がもっとも苦手な領域だと主張していた。それは、偶然的な自然性に依拠しているからだ。
日本の農業の特性は、多様性と多品種性にある。戦後は、農業=農政=米一辺倒であった。その多様性は、自然の生態の多様性にある。
1番空に近いのは富士山、そして、1番深海に近いのは駿河湾である。従って、静岡県は日本で1番多様な農水産物がとれる。その数は439品目で、2位の鹿児島の2倍になる。
この自然の農水産物の多様性が生んだのが、季節性を取り入れた日本の食事と食文化である。この世界に類をみない、季節毎の食材の多様性を消費者に届ける仕組みが、日本の流通である。そして、この流通が日本の農業を再成長させるための最大の鍵である。
05
農業を地域経済の基盤に据え、地域経済を日本経済の根幹に
日本経済からみれば、地域経済の活性化の鍵でもある。戦後の日本の地域経済は、製造業の投資と、工場立地に依存してきた。製造業は、3,000円の羊毛を輸入して、スーツにし、百貨店で50,000円で売るビジネスだった。17倍の付加価値(図表4)となる。自動車は、1トン1万円で鉄鉱石を仕入れて、製鉄会社が鋼板にし、エンジンなどの部品でアセンブルしてディーラーで、100万円で売るビジネスだ。約100倍の付加価値増加だ。
グローバル競争下の産業の盛衰は、地域経済の命運を決める。全国にあったエレクトロニクスや自動車の生産工場は、次々と海外移転し、雇用は失われた。それは、グローバル経済化のなかでの帰結である。資本と技術に国境はなく、コスト競争の源泉は労働力と賃金でしかない。製造業は、自然と固有技術にもとづいたものでないと、必然的に安い賃金を求めて、世界を「渡り鳥」のように飛んでいく。
渡り鳥をあてにして、日本の雇用は維持できない。地域経済が、自然と地域に根ざした農業を基盤としなければならないのは、根無し草経済ではなく、地元に根づいた産業を必要とするからだ。
農業、地域経済を基礎にした、産業融合政策と産業高度化政策が必要である。繊維産業に始まり、半導体、液晶パネル、白物家電、スマートフォン、パソコン、鉄などが海外のライバルとの価格競争で劣位に立ち、渡り鳥産業化した。残るは、自動車産業といっても過言ではない。
しかし、日本のメーカーの50%以上は海外生産だ。そして、わずかに残された国内のものづくりも、厳しいコスト競争にさらされている(図表5)。
日本経済の再活性化のひとつの鍵は、渡り鳥ではない自然と文化に根ざした「レント経済」だ。希少性を差別的な価値にむすびつける経済だ。その柱は、いうまでもなく、農業である。
06
農業水産物の流通経路の最大の弱点
多様な農業生産者と多様な消費者を、商流、物流、情報として繋いでいるのが流通である。日本の農業の流通で、もっとも大きな役割を果たしているのが、中央卸売市場、そして、農業漁業協同組合などである(図表6)。
この明治、そして、戦後に起源を持つふたつの制度は、日本の農業生産物の多様性と海外の巨大資本化した生産性の高いライバルから生産者を保護し、多様な食材を利用する日本の「一汁三菜型」の「和食」にうまく適合していた。
日本の流通は、欧米との比較で、その零細性、過剰性、冗長性、そして、生産性の低さを戦後一貫して指摘されてきた。しかし、それは、日本の豊かな自然、多様な農産物、それを生かした家庭内での食事があり、季節ごと地域ごとに異なる鮮度の高い農産物を、地域に個別散在する消費者に提供するには、多くの小規模な業種店で提供するのが最適であった。
そして、その小規模で過剰な小売に対応するには、多くの仲介流通を必要とした。従って、欧米に比べて遅れていたように捉えられてきたシステムは、日本の食文化が生み出していたといえる。
しかし、この制度は、中間流通主導の経路となり、生産者から見れば、最終消費者や使い手が見えないものとなった。また、卸流通が中心となり、八百屋・魚屋・肉屋などの商店街立地の小売店をカバーするために、仲買人などの中間業者が介在し、複雑なものになった。そして、小売段階の食品スーパーやGMSの出現によって、低価格競争を強いられることになった。
結果として、生産者の代理集団である農協による農機具や肥料などの共同仕入れ、共同販売によるコスト競争力も限界となり、個々の生産者は価格競争を余儀なくされ、生産品目の集約と生産の集約化が進み、専業は少数化している。米などが典型的な事例である。
日本の農業は、流通では、中央卸売市場と農協というふたつの制度によって支えられてきた。しかし、この仕組みは、国際的な価格競争に勝てないだけでなく、生産者の匠の技、イノベーション、消費者と料理人などの使い手を見えなくした。何よりも、日本の食文化が多様化したことによって、消費者に適合的ではなくなった。「一汁三菜」の和食は外食になり、イエで単品を食べる生活には適合しなくなった。
その結果、個々の生産者から見れば、既存流通(場内)の比重が、50%にまで低下し、場外比率が50%まで増える中で、取引先選択、価格交渉や数量交渉もできない極めて柔軟性のないものとなった(図表7)。
これが生産者だけでなく、消費者にとっても、日本の農業の最大の弱点になっている。生産者からみれば、需要が見えず、価格が通らないので、安定した収入が得られない流通経路になっている。
07
販売経路からマーケティングチャネルへの視点転換
日本の農業には、マーケティング視点がない。あるのは販路視点だけだ。日本の製造業のように、最終消費者やその販売者まで関心を持って関与し、自社の経路を育成、成長させて、「マーケティングチャネル」を形成していこうとする視点がない。生産するために、自社の政策によって、最終消費者や販売者まで統制し、売上目標を達成しようとする視点はない。これは、マーケティングマインドの問題でなく、利害がないからだ。
なぜないのか。大量生産には巨大な投資がいる。クルマをつくるには巨大な投資リスクがある。メーカーは、消費者に買ってもらえるのか、ディーラーがどんな販売交渉するのか、を考慮に入れて販売予測を組む必要がある。
日本の農業は、最終消費者や作り手へ関心を持ったり、関与したりしてこなかった。日本の農業生産者は小規模で、投資リスクも大きくない。農協団体も、生産者への関与は高いが、共同販売先は中央卸市場になるので、具体的な販売先には関心もなく、関与もしない。農業生産者や農協などの共同組織が、日本のメーカーのように流通系列化やマーケティングチャネルを形成しようとする事例はない。
08
農業生産者のマーケティング主体づくり
日本の農業は成長産業である。それを実現する鍵はマーケティングである。
現実的に、高齢層と兼業中心の農家が、独自のマーケティングを展開するのは難しい。人、物、金、何よりも情報がない。個々の経営者がマーケティングマインドを持ち、SNSをフル活用して、Webサイトなどで、消費者の顔の見えるマーケティングを展開することは可能だ。多くの生産者が挑戦している。しかし、個々の生産者では、リスクが大きい。
個々の生産者が、法人化して、間接費用として、マーケティングや営業の担当者を置くには100億円ほどの売上規模がないと、リスクはとれない。実際に、個々の生産者で100億円の売上規模はほとんどない。
従って、生産者を組織化して、新たなマーケティング主体を形成することが必要だ。
ニュージーランドやアメリカなどでは、キウイなどの生産者が出資して、マーケティング団体を立ち上げ、量産を武器に、日本市場をターゲットにして、受容性を調査し、大手量販店に営業し、市場導入のためのテレビ広告を打って、一挙に市場獲得した。まさに、メーカーのマスマーケティングの手法で、大量生産による低コストを武器に、市場を創造し、流通を開拓した。
同様の手法は、政府や県の予算でマスキャンペーンが展開されることはあるが、成功とは言いがたい。日本の農業は、北海道などの一部の生産者や団体を除いて、量産による低価格競争ができない。量産が可能だとしても、品質に厳しい日本の消費者には受け入れられない。
マーケティングマインドを持った生産者は散在するが、組織として産業にはならない。大量生産大量販売のマーケティングは、日本の消費者には通用しない。個別生産者を組織化した新たな組織が、マーケティング主体になる必要がある。
これは既存組織では、地域の農協などの農業団体がある。しかし、農協の機能は、共同仕入れなどの生産支援、集荷出荷などの物流が中心であり、最終消費者や小売業、料理人などの情報は薄い。また、市場への関心は、中央卸市場などの「場内」中心になり、「場外」には関心を持ちにくいのが現実である。
そこで、農協を補強し、補完する新たなマーケティング組織が必要になる。機能は、展示会などに限定されるが、各県が展開する「販売公社」などもそのひとつである。望ましいのは、県、農協、生産者などが出資した「地域ブランドマーケティング会社」のような組織や団体である。
具体的には、生産品種や生産者を「地域・県」などの地理性で組織化、団体化し、ブランディングして、伝統的流通システムを利用し、独自の選別流通システムを構築して、消費者が見える売りの仕組みと、提供するシステムつくりあげることだ。成立条件は、生産者の売上規模の合計が100億円の可能性を持っていることだ。このマーケティング推進主体を「マーケティング・プラットフォーム」にすることが大切だ。そして、プラットフォームの提供価値の源泉は、日本と地域に根ざした食文化である。
09
マーケティング・プラットフォームで六つの問題を解決する
このマーケティング・プラットフォームは、六つのことを解決する。逆にいえば、六つの課題を解決するためにマーケティング・プラットフォームが必要だ。
第1に、長期減少傾向にある伝統的な流通システムを補完し、代替できる販売先を開拓できることである。第2に、中間流通を介在しないで、販売先に要望を聞き、店頭での販売支援ができることである。第3に、高度化する消費に対応する様々な接点(デリ食、予約食など)を開拓できることである。第4に、自前のSNSやWebなどのメディアで消費者と、生産者の想い、技や匠を伝えられる接点が構築できることである。第5に、消費者と直接結びつくことによって、消費者の喜びが生産者のやり甲斐に、組織的に結びつくことである。最後に、自社の選別流通システムを持つことによって、売上が拡大するだけでなく、価格競争に陥ることなく、付加価値販売ができる。そして、その付加価値をイノベーションとマーケティング投資の源泉とすることができる。
10
マーケティング・プラットフォームづくりのステップ
最後に、実務的に、マーケティング・プラットフォームづくりのステップを整理する。仮に、県や市町村の公共団体、そして、地域の生産者団体が進める場合の手がかり程度である。
(1)理念と目的を設定する
消費者に、何を価値提案したいのか。どんな生産者の匠や技が、価値を生み出すのかなどを理念やプラットフォームの目的に設定し、団体を組織化する。組織のリーダーを決定する。
(2)生産者が共有する価値をブランディングする
組織が目指す価値と、その源泉となる技を「ブランディング」する。誰に、何を、どんな技で、提供するかのコンセプトを明確にし、実現された農産物のネーミング、パッケージングなどの共通ルールを決定する。その農産物を県などの「認定制度」を活用して、「箔づけ」、「権威づけ」する。
(3)選別流通システムの開拓先を選択する
ある販路に市場を通じて流すのではなく、コンセプトにもとづき、売りたい消費者に繋がっている流通企業を選ぶ。例えば、食品スーパーや大手小売業は、寡占化し、それぞれが個々の戦略を持っている(図表8)。個々の企業を選択することが重要だ。小売業を開拓し、戦略目標を共有化し、共同利益を実現するために店頭化し、売れる状態をつくっていく活動が大切だ。
長期継続取引関係を構築するために、マーケティング主体が、様々な支援を提供し、特定の流通企業との取引関係を限定する仕組みを、「限定流通システム」という。これは、どの取引先とも取引をし、配荷率を最大化しようとする「開放流通システム」とは違う。特定ブランドを特定企業とだけ取引することに違いがある。流通企業を選別し、継続関係を結ぶことによって、消費者と取引先の要望が見え、生産計画や投資を容易にできる。これらの情報をもとに、小売業とともに働くリテールサポートや店頭フェアを実施して売上拡大に結びつける。
(4)農業のマーケティング・プラットフォームをつくる
生産者を組織化し、売り手を増やし、買い手とマッチングする機能をつくる。ひとつの食材では、メニューになって、食事を提案できない。葉物がサラダになるためには、他の野菜や食材、そして、ドレッシングが加わり、レシピが準備されて、メニュー、そして、他のメニューと組み合わさって食事になる。
食材が食事になるには、他の食材やレシピなどの情報が補完されねばならない。それらの作り手と共同して、消費者に提供する仕組みをつくるのが、プラットフォームだ。
多様な消費者と多様な生産者を結ぶ仕組みだ。最近は、多くの既存企業がプラットフォーム化を標榜するようになった。具体例は、食事のデリバリーを行うウーバーイーツだ。ウーバーは、デリバリーをしたいがコストが合わない外食店と、好きな外食を食べたいという消費者を結ぶものだ。
ウーバーが配送するメニューは、これまでデリバリーできなかったものが並ぶ。消費者は、「あの店のあのメニュー」を選ぶことができる。ウーバーは、契約の配達員に、店で商品をピックアップさせ、消費者に届けて、購入代金、配送料金とサービス料をもらう。ウーバーの配送機能が、売り手と買い手を結ぶ機能となって、両者のマッチング(トランザクション)を取り持っている。いままでできなかった取引を可能にして、市場を創造している。
多様な地域農産物のブランドを持つ新たなマーケティング主体である生産者団体も、同じ事ができる。多様な食材を組み合わせて、メニューとして、ダイレクトに顧客に提案する仕組みである。コロナ禍で、内食が増え、それに伴い家庭の食材購入も増え、生協や百貨店などの既存企業の食料品売上も増加し、参入も増えている。一方で、主に品質と鮮度管理の難しさから、退出も多い。
地域農産物ブランドのマーケティング・プラットフォームを構築し、食に価値を求める消費者と、匠の農産物を結ぶ取引関係を創造することが、農業の新しいビジネスモデルである。
11
農業マーケティングの革新
日本の農業は、戦前から常に危機を抱えてきた。そして、様々な改革が提案されてきた。しかし、そのほとんどは生産に関わるものである。いかに生産性を上げるかに集中してきた。共同仕入れ、共同販売などの組合化、耕作地の大規模化、機械化、農法などである。戦前の日本の対外拡大策の動機のひとつが、広大な農地を求めるものであったともいえる。
戦後は、経済のグローバル化でいかに輸入市場を制限し、低価格競争を回避して、日本の農業を守るかに終始し、様々な補助金や規制をしてきた。
共通するのは、生産性が低く、価格競争ができないということだ。従って、いかに農業の生産性を上げるかに努力が注がれてきた。成長会計にみるように、生産の成長率を従属変数とする生産関数を想定し、技術革新などのTFP(全要素生産性)の成長率、労働投入量の成長率と、資本の成長率の三つの独立変数を高めることに腐心してきた。一般論としていえば、技術革新をし、耕地面積を拡大し、労働力を多く投入するという革新が提案されてきた。ITやAIを農業に導入するという提案も技術革新によって、農業の生産性を高めるものだ。
しかし、日本経済の生産性の議論と同じだが、日本の生産性が低いのは、成長会計でみる主に生産の3要素だけの問題ではない。結論からいえば、日本の生産性の低さは、成長率=生産増加=需要増加、つまり、需要の低さ、需要不足が主因である。
農業でも同じである。生産者は、生産の匠や技、「土づくり」や「海づくり」にこだわるが、流通、料理人や最終消費者のことはほとんど関心がない。消費者や需要の観点がまったくなく、売り方が賢明でない。農業に本格的にマーケティングを導入する。それが生産性を上げる解決策になる。しかし、製造業から発展してきたマーケティングを、農業に定着させるにはマーケティングの革新が求められる。農業の産業特性を踏まえたマーケティングが再構築される必要がある。
12
農業にメーカーマーケティングは通用しない
メーカーマーケティングの直訳は、農業には役立たない。工業製品は、品質を安定させ、量産システムを構築できる。農業はそうはいかない。品質は、天候や雨量などの自然や天候に左右される。毎年、土壌は変わる。工業品は、つくればつくるほど収益があがる「収穫逓増」の法則で成り立っている。従って、大量生産には大量販売が必要になる。農業は、伝統的な「収穫逓減」の法則が支配している。この産業特性を忘れていると、ブランディングも工業品イメージに引きずられ、マーケティングチャネルのコントロールはできない。
供給量や品質が安定しない農産物を、いかにブランディングするのか。宣伝広告予算がなくても、いかに認知拡大していくか。営業の専任者を配置できないのに、いかにチャネルを開拓するのか。宣伝予算があり、営業マンを前提にしたメーカーマーケティングとは違う。
農産物には、農産物特性に応じた顧客づくりが必要である。工業品のように資本投資をすれば、生産規模がすぐに拡大できる訳でもない。土地、土壌、農業従事者などのすべてに時間とスキルが必要になる。1年後に生産を倍増することはできない。メーカーマーケティングを棚卸しないと、農業には通用しない。
13
マーケティングチャネル構築のノウハウは有用
他方で、メーカーで培ってきた経験やノウハウは農業でも生かせる。ひとつ目とは反対だ。特に、日本のメーカーマーケティングは、特約店政策、小売系列化をベースにしている。これは、アメリカ生まれのマーケティングには、まったくない領域だ。メーカーは機能分業からいえば、生産に集中し、販売やその先の消費者には関心を持たないものだ。
中央卸市場と農協が、日本の食材流通の中心を担ってきた。生産者は、兼業でも農業を営むことができ、消費者や料理人、販売者のことなど一切関心を持たなくてよかった。しかし、この流通経路が大手組織小売業のシェア拡大によって、縮小し、低価格競争が厳しくなると、これまで通りの取引ではすまなくなる。
農業生産者は、消費者や小売業に関心を持ち、消費者や小売業へ関心を向け、自社のブランドを育成し、販売目標を達成する「マーケティングチャネル」へと視点転換せざるを得なくなる。特約店化、小売系列化、店頭マーケティング、プロモーションなどのノウハウは、農業で十分に生かせるものである。
14
静岡県のマーケティングの取り組み
この10年、少々、縁があって、静岡県の農産物のマーケティングの手伝いをしてきた。
静岡県では、439品目の多様な農水産物を生産している。お茶、メロン、みかんなどのメジャー商品だけでなく、匠の技を生かした農水産物や地場で愛される農水産物が多い。県が品質や安全性を確認して、「しずおか食セレクション」として10年で165商品を認定し、安全安心を担保してブランディングしている。認定商品の売上は約500億円になる。
このような認定事業だけでなく、立地を生かして首都圏への食品スーパーを中心にチャネル開拓を支援し、静岡フェアなどを展開し、定番売場を開拓している。流通サイドでは、高品質イメージの静岡産の多品目の商品を、県が安全性を保証し、提供してくれるのでメリットは大きい。
県、農協、生産者が一体となった新たなマーケティング主体を創造する取組みである。従来の生産者の一本釣り支援ではなく、生産者をグルーピングして、県が「マーケティング支援」を組織としてサポートしている。全国の他県と比較して、農業支援策としては、一時的なフェアや展示会ではなく、消費者、売場、販売先までを「マーケティングチャネル」として育成していこうとする一歩先を行く先進事例である(図表9)。
【注釈】
注1:収穫逓増
工場などで、労働者や設備などを倍にすれば、その収穫量は徐々に増え、結果的に倍以上の収穫量が見込めることを意味する。収穫量が増えるほど、コストに対する収穫量が増加していく。
注2:収穫逓減
農業などで一定の土地から採れる収穫量は、機械や労働力の投入量によりある時点までは増加するが、一定程度を超えると次第に増え方は小さくなっていく。収穫量が増えるほど、コストに対する収穫量が減少していく。
あわせて読みたい
コロナにまつわる”今知りたい”"結局どうなるの?"を松田久一がやさしく解説します。
【連載】新型コロナウイルス感染症の行動経済学的分析
- 第一弾 非合理な行動拡散を生む感情
行動経済学でコロナ問題を斬る! - 第二弾 恐怖と隔離政策への対応
コロナへの「恐怖」感情を和らげるために - 第三弾 収束と終息の行方
冷静なリスク判断と行動こそ最強の感染症対策である - 第四弾 コロナ感染症対策のタイミング分析
緊急事態宣言の発令タイミングは適切だったのか!?リスク評価の合理性を評価する
【特集】コロナ禍、コロナ後の消費・経済活動を捉える
新型コロナウイルス感染症の最新情報を、弊社代表取締役社長 松田久一がTwitterでコメントしています!ぜひフォローしてください。