01
実感できない「豊かさ」
「豊かさ」は求めるべき価値ではない。このことがいよいよハッキリしてきているのではないか。
豊かさを実感できない。日本の世帯収入は為替レートで見ればアメリカの2倍近くの750万円にもなっているのに、生活は豊かではない。この数年、ずっとこう指摘されてきた。ところが、大きな立派な家を持つこと、高級な車に乗ること、うまいワインを安く飲むことは「幸」とは何の関係もない、ということがやっとわかり始めた。明治近代から約110年、戦後50年である。豊かさを求める消費の時代は終わった。
衣食住の生活に必要な支出である必需消費は80年代に家計支出の50%を切っている。月末に支払先の決まっていない選択消費が50%を超えている。親元から通うOLならその比率は80%にもなる。食うために働く時代の価値、豊かさを求める時代は終わった。
17~18世紀のヨーロッパで生まれ、アメリカで成長し、日本で成熟した物質文明の豊かさという価値はもはや追求すべき目的ではないということがだれの目にも明らかになってきている。渋谷の女子高校生の三種の神器(ポケベル、口紅、名刺)まで、多くの三種の神器が豊かさの記号となった。その最後の象徴が地球環境だろう。現在なら「品切入荷日不明」という奇妙な値札がパソコン売場を占めている「コンパック」の"プレサリオ"といったとこだ。
アジアが豊かさを目ざして、猛然と突っ走り始めた。アメリカは物質文明の罠から抜け出せないでいる。ヨーロッパは保守感情の虜になっている。豊かさに代わる価値を世界でいちばん高い給料で創造していかねばならない。日本の製造業が21世紀に向けて負わされている使命だ。
02
生活の中にしか価値はない
工場から出てきた製品をどれだけうまくつくるかの「製品開発の時代」は終わった。どれだけうまくブランドをつけて店頭で並べるかの「商品開発の時代」も終わりを告げた。どんな価値を創造するかの「価値開発の時代」になっている。価値を見つけねばならない。「生きることへの役立ち」(価値)を見つけねばならない。むずかしいことではない。日本の生活の中にしか新しい価値はない。56億の人口の中で、選択消費が50%を超えているのは、日本とアメリカ、そしてヨーロッパの一部の地域でしかない。約3億人地球人口の5%の人々の生活が新しい価値をつくれる可能性を持っている。日本人はその約40%を占める。豊かさ以外の価値を見つけるひとつの方法は、アメリカ化される前の生活、商品の本来性、本源性に戻ってみることだろう。
食事は自分の時間に合わせて個人がそれぞれ好きなものを温かく食べるほうが現在では価値を持っている。「個食化」「中食化」「外食化」というトレンドでとらえてきた。そして、その延長線でコンビニエンスストアで売れるものを商品開発してきた。消費者がそれぞれ自分の好きなものを、好きな時にちょうどいい温度で食べることに価値を見出しコストを払ってきたからだ。
異質の価値がある。みんなで同じものを同じ時間に冷たい温度で食べる価値である。近代化以前の食はこうしてきた。かつての日本人はみんなで食べることにいちばんの価値を見出していた。自然の恵みをみんなで讃えながら食べることに価値を見出していた。
「正月料理」がその典型である。現在の商品にこんな価値を見出し得るだろうか。無意識のうちに長く支持されているものはそれ自体、成熟価値を持っている。忘れてしまった価値が無数にある。価値の掘り起こしが必要だ。「OLD IS VALUE」。生活と商品の本来性、本源性に戻って価値を再発見し、開発することを「成熟社会」に提案してみたい。
[初出 1995.03 「ブレーン」 (株)宣伝会議]