2020年は、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ感染症と略す)に始まり、来年度へ引き継ぐ年になる。
コロナ感染症は、何を変え、何を変えなかったのか。経済は、その変化のスピードを10年速めたと言う経営者もいる。短期的な見通しはTwitterと消費予測にゆずる。
ここでは、消費者と社会にもっともインパクトを与えたコロナ感染症を、緊急事態宣言発令などの政策のタイミングに焦点をあてて、行動経済学的分析とマーケティングインサイト(洞察)の視点から少々振りかえってみる。
結論は、2020年になり、コロナ感染症のマスコミ報道が増え、宣言発令が先行的な刺激(プライミング)となって、中高年女性のリスク意識を高め、同調圧力によって、社会に全面的に波及し、25兆円以上の経済損失をもたらし、相対的に低い感染率と死者数を維持しているというものだ。現時点でみれば、もう少し発令を先送りする方が合理的だったのではないか、という試算もできる。しかし、発令の直後の世論調査では、80%が「遅すぎる」としている。この心理は何なのか。コロナ感染症へのリスク評価は合理的なのか。合理的なタイミングで意思決定するには、どうしたらいいのか。ここでは、政策立案者がいかに合理的に賢明なタイミングで判断できるかを検討してみる。ここで活用する実証データは、当社が11月に発刊する2020年の「消費社会白書」である。
01
もし「緊急事態宣言発令」がもっと先送りになっていたら?
緊急事態宣言発令(4月7日)から、約半年が経過しようとしている。この発令によって何がもたらされたのか。
成果(ベネフィット)としては、先進国のなかでは少し低いコロナ感染率と死亡者数があげられる。しかし、発令による効果かどうかの実証は難しい。むしろ、発令によるアナウンス効果の結果、人々が基本的な感染対策をとったこと、日本の持つ社会文化的特性が大きいだろう。
損失(コスト)としては政府による企業への自粛要請によって、経済的に大きな打撃を受けたことだ。2020年のGDP成長率は、各機関による年率▲5%前後と予測され、対昨年比で25兆円以上の付加価値が失われると予想されている。失業率も5%を超える可能性が高い。
ここで問題としたいのは、発令のタイミングである。タイミングによって、コストとベネフィットが違っただろう、ということである。恐らく、発令が早ければ、感染リスクのコストがもっと小さくなり、経済への打撃は大きくなった。逆に、遅ければ経済打撃は小さくなり、感染が拡大し、感染率が高まり、死者数も増えていたかもしれない。
政治家などの為政者の判断する政策のタイミングによって、人々のベネフィットとコストが違ってくる。納税者としては看過できない問題だ。
02
合理的なタイミングはどうするのか?
合理的なタイミングとはどういうものか。そして、今回の発令のタイミングはどうだったのか。
合理的な判断は、コスト(C)とベネフィット(B)の将来価値を計算して、割引率によって現在価値換算して、合計が少なくとも「正」であれば実施することが経済合理的である。マイナスなのに判断すれば非合理的となる。
つまり、数式で表現すれば以下になる。
Tは各期である。合理的判断は、発令時点で、現在価値が正であることである。期間は、コロナ感染症の終息が見えてくるだろう1年(12ヶ月)とする。
03
緊急事態宣言発令は18.5兆円の経済損失をもたらした
現在価値を計算するには、12ヶ月ごとの価値計算をする必要がある。そして、もっとも価値が大きくなる時点が、決断のタイミングである。
しかし、結果はみえている。
発令前と1年後の2時点で、少々乱暴に計算をすれば、この間(12ヶ月)に、20年は25兆円の経済コストを支払うことになる。ベネフィットは感染者数や死者数が少ないことである。この推定は、仮定が難しいが、何もしなければ、他国並みのおよそ100万人が感染し、2万人の死者数がでていたかもしれない、と想定する(感染率0.7%、致死率2%の仮定)。
この経済損失は、労働力人口の減少によるものである。ひとりの感染者が2週間隔離され、年間3万8千人の労働力が減少したとし、2万人の労働力が喪失されたとすると、約6兆5,200億円の経済利得があったと想定される。
このことが、発令前に予想できていれば、以下の発令前価値となる。
発令前価値=発令した場合のベネフィット-発令した場合のコスト
=6.52兆円-25兆円=▲18.48兆円
従って、発令を先延ばしして経済コストを低下させた方がよいことになる。しかし、現実には発令されたので、便宜上の計算では、約6.5兆円のベネフィットを得るのに、25兆円のコストを投入したことになる。普通は、あり得ない不合理な判断である。
04
あり得ない早期発令の判断は圧倒的な世論が望んだ
この不合理な判断による発令を、人々はどのように評価したのだろうか。
発令直後(4月10~13日)の世論調査(共同通信)では、発令のタイミングについて、以下のような意見だった。
- 適切だった 16.3%
- 遅すぎた 80.4%
- 早すぎた 0.8%
- わからない・無回答 2.5%
世論調査では、他の機関も含めて、「遅すぎた」が圧倒的な多数である(三択質問の限界)。
この結果の意味するところは、もっとコスト(経済損失)を投入してもよい、ということだ。もっとコストを払ってもよいので、感染者数や死者数を減らすベネフィットを取れという評価である。感染者数や死亡者数を経済価値換算することに心理的抵抗もあるが、現前の100円を得るためには10,000円以上を投入してもよい、という世論の状況だった。「経済よりも命が優先」が支配的な世論だった。
発令後は、政府及び地方公共団体などが次々と対応した。特に、政府の企業への活動自粛要請は、供給サイドから経済活動を停止されるものだった。その結果、法律や権力ではなく、マスク、手洗いなどの基本対策に加え、個人の権利を侵害することなく、自粛策がとられ、人々の同調圧力の高まりによって、社会的距離が確保されるようになった。ロックダウンなき経済活動の停止が、大きな経済損失をもたらすことになった。
なぜ不合理的な発令タイミングの判断がされたのか?
政府も発令タイミングは経済合理的な判断としては早すぎた。さらに、人々はもっと早い発令を望んだ。「明日、やろう、は馬鹿野郎」の意識が大勢を占めた。結果として、これ以上は、政府は世論に抗えなかった。北海道の対応が世間に与えた影響も大きかった。
後知恵だが、感染者数の増加はピークを超え、発令は実効再生産数が指数的増加の目安である2.0を切り、収束を示す1.0へと低下傾向にあった。従って、第1波(4月10日前後)を抑えるための実効再生産数への対応は遅れ、何らかの理由で収束に向かっていた動きに、急速なブレーキを踏んだという意味では早すぎた(図表1)。
この時点で、もし発令を1ヶ月先送りしても、一部の専門家が主張したような感染者数の指数的増加(感染爆発)につながらず、経済損失はもう少し抑えられたのではないか。そして、経済損失も少なく、失業による自殺者の増加も防げたのではないか。
05
期間選択の不合理性とリスク評価の歪み
タイミングが不合理である理由は、行動経済学的には、主にふたつ考えられる。ひとつは、「期間(時間)選択」の不合理性である。そして、もうひとつは、「リスク評価の歪み」である。
期間(時間)選択とは以下のような例が典型的だ。
1万円が貰える。さて、現時点で1万円を貰うか、1年後の11,000円を貰うか、どちらを選択しますか、という問題だ。これは将来の価値を、現在価値換算(キャッシュディスカウント)するという問題だ。このとき、現時点での1万円と1年後の11,000円とが、現在価値換算で等しくなるような割引率(利率)は10%になる。従って、合理的判断は、現在の金融機関などの利率(年率0.01%程度)と比較して大きい方を選ぶことである。金融商品を利回りや利率で選ぶことと同じである。もし、現時点でどうしても必要(金銭的逼迫)という条件がないならば、経済合理的には1年後を選ぶのが賢明だ。
この選び方の特徴は、現在であろうが、1年後であろうが、変わらない。これを難しく言うと、時間に対して割引率一定の「指数割引」という。固定金利の複利計算と違わない。
ところが、実際の人々の割引率はこのような指数割引ではない。行動経済学などの実験から「双曲割引」や「準双曲割引」であることが知られている(図表2)。
この意味は、割引率が現在からの時間によって変わってしまうということである。指数割引は変わらない。しかし、「直線的ではない」双曲割引では、現在に近い時点では、割引率が高く、時間が経過するに従って低下するという傾向を持つ。つまり、目先優先ということである。
発令のタイミングが合理的ではなかったのは、この割引率の性格で説明することができる。つまり、目前の感染者数と死者数を最小限化するベネフィットを優先したからである。「ひとりの感染者も、ひとりの死者も出さない」。
このように、双曲割引率が時間によって変わるということは、時間と割引率に負の相関があることを示す。負の相関があると、判断の時間(タイミング)によってベネフィットも変わってしまう(図表3)。
つまり、一定の割引率では、現在と将来のベネフィットは変わらないが、割引率が時間で変わる(割引率が時間の関数)と、現在と将来のベネフィットも変わってしまう。すると、どこかの時点で、選好の逆転が生じる。R.セイラーは「人の行動は、時間の経過に関してかならずしもつねに不変ではない」と述べ、行動の不一致を指摘している。
禁煙やダイエットの失敗は、たばこを吸う安らぎや、眼の前の高カロリー食から得られるベネフィットの方を、将来の健康維持や増進よりも優先してしまうことと同じである。1週間後にダイエットの決断をする。しかし、1週間経過すると、また、1週間後と先延ばしする。これは、当初、想定していたタイミングでのベネフィットがその時点が近づいてくると、また大きくなってしまうからである。そして、行動の不一致が起こる。そして、後悔が生まれる。
実際、発令宣言のタイミングに関し、約6ヶ月後の世論は以下のとおりである。
「遅すぎた」という評価は下がっている。大勢に変化はないが、少々「早すぎた」という後悔の念が生まれているようだ。
しかし、目先優先のバイアスで、感染症対策を優先したというだけでは十分な説明といえない。
一般的には、将来不安や消費よりも預貯金を選好し、現在よりも将来を大切にする将来優先の傾向があるからだ。それが、そう簡単に目先優先に宗旨替えするとは思えない。
考えられるのは、コロナ感染症のリスク評価である。目先優先の心情に加え、過剰なリスク評価が、人々のタイミング判断を歪めているのではないか。
06
コロナのリスク評価
コロナ感染症のリスクの相対評価を得るために、質問紙調査によって、死因などのリスク要因をあげて、「非常に危険」などの5段階評価尺度による評価を得た(弊社調査、サンプル補正済み)。その結果、上位三つの死因は以下のとおりであった。
- 交通事故 83.6(53.2)%
- 違法ドラッグ、脱法ドラッグ 80.4(67.2)%
- コロナ感染症 78.7(43.9)%
コロナ感染症は、脳梗塞や大腸癌などよりも、リスク度の評価が高く、インフルエンザウイルス感染症の68.9(25.5)%と比べると、いかに「危険」だと認知されているかがわかる。コロナ感染症が知られるようになったのは、2020年の1月頃からであることを踏まえると、いかに急速に認知拡大し、リスク視されるようになったかがわかる。
さらに、主観的なリスク評価と致死率(10万人当りの死者数)との関連をみてみた。自らの生命に関わる客観的なリスク指標は、致死率で大小であり、10万人1人当たりの致死数で判断するのが合理的である。このふたつの軸によって、死因をプロットした(図表5)。
その結果
- コロナ感染症は、交通事故と同じように、客観的な致死率以上に、過大にリスク評価されている
- 肺炎は客観的な致死率は高いにも関わらず、主観的なリスク評価は高くない
ということがわかった。
コロナ感染症は、様々な死因のなかで極めて危険視され、リスクの高い感染症と捉えられ、客観的な致死率を上回るほどの死因として認識されている。
また、主観的なリスク評価と客観的な致死率との関連(0.3程度の相関係数)はみられるが、明確な因果関係はみられなかった。このことは、リスク評価は、何らかの歪みを持ち、致死率だけでなく、他者への感染性などの他の要因に左右されていることを示すものである
ここで、改めて、発令のタイミングが合理的ではなかった理由を整理する。
第1に、それは、人々が、極めて近視眼的に、眼前の感染者と死者数を最小限化し、将来、支払うであろう経済損失と自殺者増というツケを見ようとはしなかったことである。そして、これは様々な期間選択であらわれる時間の整合性のなさによる。
第2に、コロナ感染症のリスク評価が、客観的に致死率よりも、極めて高いことである。過大なリスク評価が、眼の前に迫った数多くの感染者と死者数を最小化できる。それから得られる社会的なベネフィットは非常に大きいと見積もらせたようだ。
07
中高年女性の異常に高いリスク評価と同調圧力―マーケティングインサイト
それでは、なぜ、これほどまでに高いのだろうか。行動心理学的な分析では、「感情」が大きな役割を果たしていることはすでに指摘した通りである(行動経済学的分析(1))。恐れ、悲しみなどの感情が、リスク評価を歪めているのだ。
それはどういうことなのか。ここから行動経済学と離れてマーケティングの分析に移行する。
経済学に対して、行動経済学とマーケティングが共有するものは、必ずしも合理的ではない人々の心理の重要性である。一方で、経済学と行動経済学が共有するのは、消費者の多様性を想定しないことである。マーケティングは、市場が、多様で具体的な消費者によって構成されていることを前提にしている。これは大きな違いであり、科学観の違いによるものだ。
ここからは、マーケティングインサイトを加えてみる。
コロナ感染症の過大なリスク評価の理由を探るために、性別、年代別、性別年代別の3属性でリスク評価をみてみた(図表6)。
リスク評価は以下のことが確認できる。
- 性差があり、女性の方が男性よりも高い
- 年代差があり、60代がもっとも高い
- 性差年代差が顕著にみられ、女性60代、女性50代、女性40代が高い
- 男性30代、40代が他の年代層に比べてリスク評価が低い
このことからコロナ感染症は、性別・年代によってリスク評価が異なり、特に女性60代の危険意識は、「非常に危険」が62.2%、「まあ危険」が31.9%と、94.1%の大多数が危険とみなしている。少し低くなるが、ほぼ同じリスク評価なのが、女性50代、女性40代である。女性の中高年層である。
なぜこの層が過剰とも言えるリスク評価をしたのだろうか。女性60代の特徴的な意識をみてみる。
このように女性60代に代表される中高年女性のリスク意識は極めて高い。自分が感染したくないという意識とともに、他者も自分にそう期待していると思っているという「スポットライト効果」に加え、家族、地域、友人関係などの集団に「認められたい」という「同調圧力」が生まれたのではないか、と思われる。実際、「極力外出を控える」は、全体よりも16%高い79%、平日の平均外出時間はおよそ300分である(図表7)。
当初は、中国やイタリアなどの海外報道があり、「緊急事態宣言の発令」が「先行刺激(プライム)」となり、恐怖の感情が引き起こされ、感染予防行動をとるためのリスク意識が高まり、集団的な同調圧力(仲間はずれになる怖さや孤立感)が強く働いたのではないだろうか。行動経済学的には、このような説明ができるのかもしれない(R.セイラー他「実践行動経済学」参照)。
そして、この層がコロナ感染症に関するオピニオンリーダーとなり、より大きな社会の同調圧力(仲間はずれ)を生み出していったと推測される。東京都知事やテレビの情報番組の専門家がこの層に含まれることは、言うまでもない。
08
終息に向けての対策のタイミング-賢明な判断のために
今後、コロナ感染症対策で重要になるのは、「第3波」の兆候の把握と、緊急事態宣言の再発例の判断、そしてワクチン接種に向けた準備と、2021年に延期されたオリンピックを睨んだ終息への段取りである。成否のすべてはタイミングに依存している。
戦略経営においてもそうだが、タイミングほど重要なものはない。「天」の声を聞く、「天命」とはタイミングの言い換えである。「偶然を制するものが軍事的天才」(クラウゼヴィッツ)である。
タイミング判断に関する原則は、不合理な先送りや前倒しはしない、ということだ。状況を判断して、政策のコストとベネフィットを冷静に比較検討して判断することだ。他方で、世論は、双曲割引によって近視眼的にものごとを判断する。従って、感情によって揺れる世論を説得しながら、ベストタイミングを計るしかない。
政治家自らが、リスクをなんらかのプライム(例えば、「密です」などの言葉)を利用して煽れば、恐怖を抱いた世論はより近視眼的に傾き、ロックダウンのような劇薬を望むようになる。そして、政治家が実行すれば支持率は上がるが、結果として、長期的には、人々が大きな「ツケ」を負うことになる。市民も企業も、こうした政治的利用を監視・牽制すべきである。
第3波、ワクチン接種、オリピック開催などの重要な意思決定のタイミングを図る必要がある(コロナ対策に関しては「賢明なコロナ対策のタイミングの判断への提言」を整理した)。
【参考文献】
- ダニエル・カーネマン(2014)「ファスト&スロー」上、(村井章子訳)、早川書房
- リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン(2009)「実践行動経済学」(遠藤真美訳 )、日経BP
- リチャード・セイラー(2016)「行動経済学の逆襲」(遠藤真美訳)、早川書房
- リチャード・セイラー(2007)「セイラー教授の行動経済学入門」 (篠原勝訳)、ダイヤモンド社
- 稲葉寿(2008)「感染症の数理モデル」、培風館
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