価値破壊

1994.02 代表 松田久一

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 不況とは供給が需要を上回る状態であることは言うまでもない。バブル期に、日本企業が投資した額は、フランスの国内総生産(GDP)の約三倍になる。この需要を上回る供給の過剰状態が不況である。

 価格破壊が起こっている。予備校の授業料が半値、オレンジジュースも半値、ミニコンポも半値、コンパクト洗剤も半値だ。まさに半値時代だ。この半値物語は最初はいいが、結末は、労働力価格の半値という悲劇になる。賃金が半分にならなくても、雇用者は半分ですむことになる。そして、価値という物差しからみれば、物語はふりだしに戻る。戻った地点が国際平均価格だ。

 経済政策の担当者が、19世紀のレセフェール(自由放任主義)の亡霊にしがみつくことは、いっこうにかまわない。せいぜい、国内総生産(GDP)の10%前後の話だからだ。できるだけ、足を引っぱらないようにしてもらえばよい。問題は、残りの90%の企業の設備投資と消費だ。特に、60%の消費だ。

 消費者は、賃金や雇用が確保されている限り、清貧と貧乏をシニカルに楽しむことはできる。しかし、企業が清貧を楽しむ訳にはいかない。不況期のメーカーマーケティングが目指すべきは「価格破壊」ではない。不況の対応の根本は「価値破壊」である。いくら商品に差があっても、30%以上の価格差があっては競合商品に負けるというのが通念だ。しかし、通念を破って、半値に勝てる価値を発見しなければならない。半値で買える商品の価値と倍値で買う商品の価値の差を、生活者に伝え、実感してもらわねばならない。消費者は価格破壊によって、商品の選択基準を失っている。自分の生活にとって、美しさとは何か、快とは何か、良いとは何か、という価値基準を失っている。選択の手がかりは半値しかない。つまり、自分の願望を見失っている。失われた願望を再建すること、こんな生活がしたかったんじゃないですか、と提案することが、不況へのただひとつの解決策である。