日本がものづくり大国であることは誰しも認めることであろう。実際、アメリカやEC諸国に比べて製造業の比率は高く、「made in Japan」は世界の消費者にとって高品質の代名詞でもある。また、ものづくり大国が日本の歴史、文化や伝統に深く根ざしたものであることもよく知られている。しかし、1990年代はこのものづくり大国に大激震が走っていた。その震源は言うまでもなく中国である。
日本がものづくり大国としての基盤を形成したのは1960-70年代である。なぜ、この時期に現在の大手家電メーカーが輸出競争力を高め、日本のリーディング産業へと成長していったのか。その理由は市場の特性と要素条件(要素賦存)にある。
アメリカ主導で形成された戦後の経済秩序は、戦争への道を開いた経済ブロック体制から自由貿易体制へと転換し、その背景にはアメリカの圧倒的な経済力があった。この体制下で日本はアメリカ市場への輸出を強めていくことになる。資源がなく人口が多い日本が世界で生き残っていくためには、原料を輸入し、加工して輸出する貿易立国しかない。
ものづくり大国となったのは、アメリカ市場が開放され、輸出が自由となり、それに適した産業が製造業であったからだ。つまり、アメリカと日本の要素賦存の違いが、製造業、特に、地域的文化的ローカリティが少なく消費者ニーズの同質性の高い家電市場であった。ものづくり大国とは、ただ、それだけだったと言い切ることができるかもしれない。からくり時計などの高度な技術水準が江戸時代から蓄積され、近代科学技術を受け入れる地盤があったことも首肯できる。しかし、単に、日米の要素賦存の違いから、価格調整メカニズムによる経済の現実原則が貫徹されただけだとみることができる。ものづくりに必要不可欠な大量の中堅技術者が優秀で低コストであったに過ぎない。貯蓄率の高さが工場建設のための資本投資と蓄積を可能にした。何よりも戦後の日本は、科学技術で先進国に追いつこうとする気概があった。ものづくり大 国の基盤は、日本の戦後という歴史性、モノが好きな文化性が偶然の条件として作用し、主因は日米の要素賦存の違いによって生まれたものに過ぎない。