中国メーカーの多様化戦略への対応―垂直差別化では勝てない
円安で製造業の国内回帰のための設備投資が伸びている。円高による空洞化からの転換である。特に、自動車やエレクトロニクス産業の回帰が期待されるが、製造を海外に移転すれば、人に蓄積される経験値が支配する製造技術は戻ってこない。日本の工業高校生の就職先のトップは美容師であることはよく知られている。工場を持つことより、人気美容師になるということだ。それはそうだろう、気持ちはわかる。
製造が国内で始まり、工場があると品質競争が起こり、「新し物好き」が誕生し、形成されて、マニアックな市場が形成されていく。「ご意見番」が現れて、微差に拘る「蘊蓄」情報が拡散され、市場が形成されていく。やがて、製品が多様化し、大きく成長していく。オーディオ市場やAV市場などはそうであった。
円安で国内生産でも利益が出せる環境になった現在、日本のメーカーは、再び、国内市場を支配できるだろうか。半導体、オーディオ、テレビなどで復活は可能か。
結論は、可能だが、これまでとは、全く違う競争優位をつくっていかないと難しい。
再参入条件は、前門のトラ、後門のオオカミ。トラはアメリカであって、オオカミは中国だ。軍事力では敵わない両国だが、両国のプラットフォームやメーカーに勝てる仕組みは作れる。成功の鍵は、「価値の多様性」による差別化である。ひとつひとつ紐解いていこう。
まずは、現実の日本市場の競合状况を確認してみる。
日本のテレビやオーディオなどのAV市場は、韓国メーカーと中国メーカーに席巻されている。「東芝」は中国メーカーが利用権をもつ製品が多々あり、テレビではパナソニックは撤退の可能性が話題になる。ソニーはかろうじて、「ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント」の映画会社イメージと独自の技術(ミニLEDなど)、そして、カメラ市場で、CCDイメージセンサ半導体の品質と量産優位でスマホに部品供給し、市場地位をなんとか確保できている、という情勢だ。
日本のテレビ市場は、液晶は中国、有機ELパネルは韓国LGに独占支配され、さらに、中国メーカーに液晶も有機ELも移行しつつある。従って、テレビ市場は、テレビの本体であるパネルをつくらない日本メーカーしか存在しない。韓国や中国からの輸入パネルに日本用チューナーにつけて、画像エンジンなどのソフトウエアを付加して、自社ブランド名で販売しているに過ぎない。そのパネルメーカーも韓国から中国に移りつつある。オーディオでも、かっての「オーディオ御三家」(サンスイ、トリオ、パイオニア)は消滅し、DACアンプなどのデジタルオーディオ市場では「中華オーディオ」の独占場である。FIIOをはじめ、デジタルの高級オーディオは「中華ブランド」が支配する。
1990年代、日本では、「ものづくり神話」のもとで、韓国メーカーのスマホ市場などへの参入に対し、韓国メーカーは「低価格」のローエンドを担い、日本は、「中高級」、ミドルとハイエンドをつくって、「垂直分業」でいけばいい、という議論が横行した。「でもしか」官庁のひとつである文部科学省などのロケット担当のキャリアは自信満々に豪語していた。これが単なる空理空論であったことはその後の市場が証明している。同じような垂直差別化による分業論はどの先進国でもある。国際貿易の議論にも、垂直と水平貿易という論が展開されている。理論では、「為替の影響を排除できる相対価格」で展開されるが、現実は「為替の影響を受ける絶対価格」が支配する。この違いが理解されていない。日本は、資本が有り余っているのに、固定設備の巨大な半導体、液晶パネルなどの産業は壊滅してしまった理由が説明できない。絶対価格で勝てないからだ。 1970年代、アメリカでは、日本が自動車市場に参入を始め、一定の成功を収めると、アメリカの経営層は、「小型車は日本にまかせればいい」、と言い、「デカい車」をつくり続けた。同じ垂直差別化の論理がつかれた。1990年代の日本も同じだった。そして、現在の韓国では、「低価格品は中国にまかせればいい」、といわれている。
垂直差別化による「棲み分け」ではキャッチアップには勝てない。アメリカの自動車市場、日本のオーディオ市場がそうであり、現在、韓国のテレビ市場がそれを証明しようとしている。
なぜなら、エレクトロニクスや自動車市場では、生産が移転されると、生産経験の蓄積によって、市場が成長し、競争力をつけ、ローエンドからハイエンドまでのすべてで量産優位が生まれるからである。コストだけの累積経験効果ではなく、相乗的な経験効果が、キャッチアップの後発に有利なようになっている。
さらに、技術防衛によって、製品や生産技術を秘匿しても、国内競争で敗退したメーカーの技術者から技術流出が起こり、キャッチアップは免れられない。また、日本のエレクトロニクスメーカーが、欧米メーカーを市場から締め出すと、欧米メーカーは、日本をキャッチアップする国の企業に、技術移転で利益回収しようとする。
そして、日本メーカー潰しの技術流出をする。「敵の敵は味方」という論理で、ドイツやオランダのメーカーは、中国や韓国に技術移転する。ドイツ自動車メーカーの中国へののめり込みは、EV市場での中国の強さはその「結果」である。
韓国や台湾の半導体のベースとなった技術はフィリップスなどの欧米メーカーのものである。彼らは、どうせ日本に負けるなら、日本のメーカーが高収益をあげないように、技術の売り逃げをする。
長期の円安予想のなかで、国内回帰で生産の設備投資をしても、技術優位の時間確保ができても、垂直差別化は無理だ。技術大国自慢には、日本は高級品、中国、韓国などのフォロワーは中低価格などと言ってはいられない。
それでは、例えば、中国メーカーにどう対応するか。解決策は、マーケティングのセグメントスキルを生かした価値多様化である。
中国メーカーがキャッチアップしている市場を想定してみる。有機EL、ガジェット系、通信ネットワーク系、半導体など様々なエレクトロニクス関連商品がある。中国メーカーの強さと戦略は何なのか。「安かろう、悪かろう」の印象が強いが、これは1970年代のアメリカ市場における1960年代の日本メーカーのイメージと同じである。1980年代、日本メーカーが世界のエレクトロニクス市場を席巻したのは、「よい物を安く」の戦略をとったからである。品質とコストをトレードオフ関係として捉える欧米の先行メーカーにはとれない戦略であった。。欧米では、品質とコストは「トレードオフ」関係にあると思い込んでいたからだ。実際、短期的にはそうだが、長期的には両者を追求できる。
これと同じ言い方をするなら中国の強みは、「多品種の物を安く」である。品揃えを増やせば高くなるという日本市場の「思い込み」を中国メーカーは破って戦っている。人口の多さが、「最小ロット」を満たす製品数が多くなるからだ。
例えば、何かのエレクトロニクス製品を製造するには「金型」が必要になる。これが初期投資の参入障壁になる。金型ひとつを1億円とすると、これを償却するには、1万円の製品を1,000個売らねばならない。このように、製品コストには、単位当たりコストは、製造個数とともに、低下し最小になる個数がある。それが最小ロットである。先ほどの例のように単純化すれば、1万個で金型がペイできる。これは、日本では、1,000点ほどの系列店などの自社チャネルがあれば圧倒的に有利である。1店1個の配荷でペイできる。現在ではこの系列店がないと苦しい。エレクトロニクス製品、自動車や化粧品まで最小ロットをクリアする仕掛けはいろいろあった。しかし、そのもとを辿れば、製品を購入できる中流層人口の大きさであり、人口である。中国メーカーの現在の強さは、最小ロットをクリアできる品種数が日本との人口比では、約10倍以上とあるということだ。日本で最小ロットを五つクリアできるなら中国では50品種以上になる。
これを実際に、体現して急成長しているのが、Anker、SwitchBotやFIIOなどのエレクトロニクスメーカーである。品揃えの広さと新製品導入スピードの速さで圧倒されるので対応できない。この戦略で、掃除機ロボットの市場で、開拓者のiRobotを追撃し、事業撤退に追い込んでいる。単品集中と多品種化の優位性は、成長市場から成熟市場の転換期では、単品集中による低コストを上回る価値を多品種戦略は創造できる。従って、勝てない。段差を乗り越える機能が欲しいユーザーはメジャーではないが、その機能を求める顧客には大きな価値を提供できる。中国メーカーは、提供可能だが、iRobotは「できても」しなかった。単品集中との戦略的矛盾をもたらすからだ。
中国メーカーの持っている、潜在的な多品種の強さには、垂直差別化でも勝てない、製品多様化では追いつけないとするとどう競争優位を構築していくか。最初に提言したように、市場セグメントスキルによる価値多様性の「トライアドマーケティング」(「日本のブランド危機と再生戦略 - トライアドマーケティング」)である。
少しだけ触れると、多様性には「最小多様性」で対応する(アシュビーの法則)。しかし、多様性の品種のような数では優位にたてない。従って、顧客の価値観でセグメントし、選択し、価値適合性を高めた多様性(最小多様性)で価値をつくりこみ、販売チャネルや売場での売り方と統合して差別化する戦略をとることだ。
市場競争の戦場を局地化して、数の優位に対して、局地で機動優位にたつという勝ち方だ。贅沢の仕方でも、中国と日本では全く違う。中国の贅沢は圧倒的な量の贅沢だ。極みは、酒池肉林である。森の林の木に肉を盛り付けるという発想は日本では生まれない。
価値は、その国の持つ文化や歴史に根ざしている。多くの日本人が、中国の贅沢を理解するのが難しいように、日本の価値は日本人が「暗黙知」として共有している。従って、中国メーカーが、価値別に多様化するには、文化的障壁が存在する。国境のない、デジタル技術では差はでない。差を生む価値のもとになる文化を源泉に勝てることは、中国と距離を置き、並走してきた日本の歴史が証明している。