連載 情況の戦略判断シリーズ

なぜ、「外国人」社長が大手企業で多くなるのか - コーポレートガバナンスの罠

2025.03.17 代表取締役社長 松田久一




なぜ、「外国人」社長が大手企業で多くなるのか - コーポレートガバナンスの罠

 日本でよく知られる企業、セブン&アイ・ホールディングス次期社長にスティーブン・ヘイズ・デイカス氏が、日産の社長兼最高経営責任者(CEO)に、イヴァン・エスピノーサ氏が選任された。日本人にとっては、今後も少々わかりにくい「外国人」社長選任が多くなることが予想される。

 わかりにくさは、日本の会社なのに「外国人」という愛国心にもとづく情緒、そして、いわば「天の声」として従業員の信頼関係のもとで選ばれてきた伝統意識からくる異和感である。

 私は、会社は、社会に価値を提供することによって社会的存在が承認され、価値とは、人々の生きがいや欲望に寄与することだと理解している。さらに、会社は、所有の中心が従業員になるべき有機体であり、「紙」ではない、と認識している。この考えが、日本企業を成長させ、日本文化に根ざした統治である。但し、この理念は真理であっても、制度のなかではまったく担保されていない。この理念を実現するには、上場廃止しかない。また、制度化されない不透明性が、従業員のやりがいを喪失させかねない事態になるかもしれない。こうしたリスクもあり、さらに、多くの人々の資本を受け入れない、つまり、巨大投資ができなくなる可能性を決めねばならない。個人的には、セブン&アイ・ホールディングスが一時期目指した非上場化を進めるしかない。それほど、現状のコーポレートガバンス制度は、株主だけの価値を追求し、一部経営者の私的欲望を満たす制度になっている。

 なぜ、日本の歴史風土に根ざす本質的な経営ができないのか。日本の文化風土に培われた人材が、社長に選ばれないのか。

 ひとつは、日本の大手企業の海外売上は、ほぼ50%以上になっているという変化がある。セブン&アイ・ホールディングスが、アメリカ創業の「セブンイレブン」を買収し、現在では、約13,000店を擁し、アメリカ第一位である。そして、この事業は収益の悪化が続き、25年2月期で、前年同期比で74%である。国内店舗数の21,743店の半数弱の大きさである。さらに、北米やアジア各国を踏まえると、将来の成長基盤は海外にあるとみるのが自然だ。従って、日本文化を担った人材は、寧ろ、今後の事業に有利ではないとふつうの認識を持つ、一般株主の利害を代表する社外取締役には映るだろう。誰でも考える戦略は、国内の「金のなる木」が絞ったキャッシュフローを、海外成長市場に振り向けて、次世代の収益事業を生み出す。それが、将来のキャッシュフローを最大化する「会社価値」をあげる方法だと、それなら、デイカス氏だろう、となる。

 日産も同じ事情だろう。日産の売上の命運を握るのは、アメリカ市場であり、現在はアメリカでは「ポンコツ車」の代名詞となっている日産ブランドを建てなおし、トランプ関税を乗り切るのは、メキシコの生産工場が鍵を握る。その知識をもっているのは、ラテン系のセンスを知り、メキシコ生産を知るエスピノーサ氏だろう、と社外取締役は考え、選出するだろう。ルノーとの縄張り争いも回避できる。

 「外国人」が選ばれるのは、会社の将来の収益性が海外市場にあり、その市場の成功の鍵を握る人材が最適だという論理になる。

 もうひとつは、コーポレートガバナンスという制度が、外国人を選びやすくしているということだ。日本の人口が減少し、海外市場が重要になる。経営に多様性をとりいれなければならない、という仕組みになっているからだ。

 経営やマーケティングのプロからみれば、なんと愚かな選択だと感じる。ガバナンスの透明性は担保できても、長期の収益性に繋がる戦略、自社技術などの有形無形の資産や強み、そして何よりも、顧客に提供すべき価値ビジョンを提示し、舵取りできる人材かどうかの評価が入る余地があるとは思えない。

 コーポレードガバナンスコードに従い、将来の収益性を現在換算したキャッシュフローに「矮小化」し、「多様性のある」社外取締役が、一般常識で選んだ結果が、現在の日本企業では、「外国人」になるということだ。戦略とは、「他社のやらないことを選択すること(M.E.ポーター)」である。しかし、ほぼ門外漢の社外取締役が選ぶのは、「当たり前のことを選択する」経営者である。これでは、長期的な収益性が低下するに決まっている。何より、企業が顧客に提供する価値からユニーク性が失われる。

 なぜ、経済産業省、法務省や東京証券取引所が、日本企業の価値提供を劣化させ、競争力を弱めることに繋がる恐れのあるコーポレートコードを推進したのか。振り返ってみれば、長い間、日本の大手企業の株主総会は、「総会屋」が仕切り、見返りを得るという不透明な構造が支配していたからである。まったく株主の価値など認められていない時代が長かった。荒れる総会対策として、管理職が役員の楯となってカラダをはっていた。この反動と、アメリカから迫られた「金融ビッグバン」によって、企業文化の違うイギリスやアメリカから直輸入して推進された。この制度化が、呼び水となって、海外投資ファンドや「アクティビスト」(物言う株主)が活動を拡げた。

 現在の大手企業は、会社価値、つまり、キャッシュフローを最大化する可能性を最大化することに腐心し、そのための経営トップを、いわば「経営の素人」である社外取締役で構成される選任委員会が選んでいる。日本では、「トランプ」や「イーロン・マスク」のような「独裁者」は、創業者でない限り、選ばれない。そして、株主第一の経営をする「凡人」外国人が選ばれる。最悪の場合は、日本の法治では御せない、カルロス・ゴーンのような悪徳経営者を選出してしまう。

 平均的な日本人が感じる、大手企業の「外国人」社長の就任は、今後も、上場企業においては多くなるだろう。海外市場の売上が大きく、成長のために上場を必要とする企業では自然な成り行きだ。しかし、それが、社会への価値提供の劣化や競争力の低下を招いては元も子もない。なんらかのコーポレートガバナンス改革を必要とする時期がきている。

 アメリカでは、トランプ政権への適応から相次いで、金科玉条となっていた「多様性」の見直しを進めた。最大の問題は多様性問題も含め、企業が市民社会へ価値提供を通じて存立していくうえで、株価を気にしないで、持続的な収益につながる戦略をとりにくくなっていること、消費者よりも株主が優遇される制度、従業員主権を尊重できない制度になってしまっていることだ。

 最後に、ある事例を紹介したい。経営陣の内紛から選任委員会の社外取締役が「お友達」で選んだ、自称「プロ経営者」が、やはり、お友達の「外資系コンサルティング」会社を導入し、組織改変で、権力を集中し、ブランドの売買によって、株価を上げることに成功したように装い、海外大手のDX系のコンサルティング会社の役員に70代で天下る事件があった。コーポレートガバナンスの遵守の名の元で実行されたケースである。これでは、巧妙な手口による総会屋の乗っ取りに過ぎない。

 この違法でないが著しく経営倫理に反する、会社を食いものにする手口は、すべてコーポレートガバナンス規定に準拠したものであった。