構成
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- はじめに
第1章 なぜ会社は利益より価値を追求するのか【〇月〇日公開】
第1節 価値と欲望の出発点
第2節 価値概念は経済学から消えてなくなった
第3節 産業組織論から再生した新たな価値概念
第2章 企業の提供する価値とは何か
第1節 古典経済学の価値論との違い
第2節 マーケティングの価値論の薄さ
第3節 現代企業が提供する価値とは何か
第3章 価値の根拠となる欲望とは
第1節 ヘーゲルの欲望論
第2節 欲望とは「自己の自立性についての自己確証」
第3節 ヘーゲル欲望論の現代的拡張
第1項 自己意識を無意識へ拡張
第2項 欲望の主体の拡張
第3項 エビデンスアプローチへの拡張-脳科学
第4節 見田欲望論の操作的実用性
第1項 見田欲望論の二元表
第2項 欲望(desire)の概念と三水準
第3項 マズロー欲望論と見田欲望論の比較優位
第4項 顧客満足の誤解と欲望充当
第5項 欲望の優先判断ー相対主義の陥罠
第5節 欲望のアポリアを解けるか
第1項 なぜ欲望は無際限なのか
第2項 なぜ複数の欲望同士は矛盾しているのか。
第3項 なぜ欲望を制御できないのか
第4項 なぜ欲望は、突然、出現したり、消えたりするのか
第4章 価値と欲望の本質的関係-価値充当の階層的性
第1節 欲望と価値を伝える言語の問題
第2節 欲望と価値を捉えるフレーム
第3節 価値の欲望充当
終わりに 経営とマーケティングの基礎-価値論と欲望論
付録 価値拡張のマーケティング実務
主要概念と主要参考文献
はじめに
哲学思想のための経営マーケティング入門
企業の経営やマーケティングの実務に長く携わっていると、自然、社会や人間についての理論や洞察が浅く嫌気がさすことがある。やはり、哲学や思想が根底にある経営やマーケティングがよい、と思えてくる。しかし、そのようなものはない。他方で、哲学が現実の仕事の悩みを解決してくれるかというとまったくない。哲学思想は、大学では人気のない学問になり、専門分野化が進んで制度学問に堕してしまっている。問題意識が現実にはない。
そこで不遜ながら実務のなかで、哲学や思想を糧にしてきた経験を生かして、哲学や思想を学んでいる人達こそ歴史を現実に動かしている経営やマーケティングを学び、実務に生かすべきだと考えた。世に、ビジネスマンに哲学を勉強しようと呼びかける提案は多い。違うだろう。哲学や思想が役に立たなくなったのは、実務の現場の世界を知らないからだろうと問い直してみた。
現場が困っているのは、価値とは何か、そして、欲望とは何か、ということである。価値を古典経済学の議論で済ませ、現代経済学では、効用概念になっている。あるいは、選好がいえれば効用すら想定しなくていいといってみても何の役にも立たない。また、欲望を、マズローを引っ張りだしてみたところで、自社の製品サービスがどのような欲望を満たしているのかなどわかりようがない。従って、消費者に買ってもらえないという現実の問題に、現場の直観で、価値や欲望からアプローチすることが間違っていると考えるのもおかしい。
消費者が、チョコレートを買うのに、効用としての甘さを買っているのではない。やはり、働いている自分への自尊心などの価値を求めている。そして、その価値に根拠を与えているのは、欲望であり、世知辛い世の中を、少しでも喜んで自分らしく暮らしたいという社会的承認欲望だ。生活世界では、価値が求められ、欲望によって人々は生きながらえている。これを根拠づけられない、哲学や思想が、現実を無視し、怠慢で、間違っていると考えるべきだ。アリストテレス、デカルトやフッサールを持ち出すまでもなく、哲学者は現実の問題を考え抜いた。それが哲学と呼ばれているだけだ。
実業の思想家として、日本経済がデフレからインフレへと転換するなかで、生産者を基軸とする売り手はどんな価値を提供すべきか、その根拠である買い手の消費者の欲望はどのように捉えられるのかを実務に落とせるまで、概念を砕き、ブレイクダウンしてみた。浅学非才はいうまでもなく、読者のみなさんに多くの批判を蒙りたい。
付録 価値拡張のマーケティング実務
ここまで理論的な整理をしてくると、ほぼ自動的に、価値拡張を目的とするマーケティングシステムを描くことができる。仮に、特定の商品やブランドに関し、六つの標準的なステップで実務的な課題解決を考えてみる。以下に簡単に整理しておく(図表12)。
第1ステップ 価値課題を設定する
すべては課題の設定から始まる。自社の課題を提供価値とその根拠となる顧客の欲望から課題を考える。この前提となるのは、売上、利益、シェアなどの収益性の長期的傾向である。4C(顧客、流通、ライバル、自社)のフレームで仮説的な価値課題を集約する。
第2ステップ 提供価値を明らかにする
自社の製品やブランドが、どんな「価値手段チェイン」を提供し、どんな欲望に充当しているのかをあらためて確認する。通常は、愛用者カードや独自リサーチなどで、製品属性や機能についての評価は確認できるが、肝心の価値との繋がりはわからない。外部専門家も含めて、属性―便益(ベネフィット)―価値の「価値システム」を捉えなおすことが必要になる。その上で、消費者のセグメント区分を明確にし、セグメント選択をし、セグメントと提供価値で構成される「市場戦略」を整理する。この段階で、収益課題を中心に、仮説が整理される。この仮説を量的調査で検証確認し、具体的な数値課題を明確にする。
第3ステップ 製品ブランドコンセプトのリデザイン
製品ブランドを価値手段システムとして捉え直すと、消費者に価値を提供し、WTPを上げていくためには、標的セグメント、価値手段システム、そして、自社提供能力の課題が明らかになる。特に、製品レベルでは、誰に、どんな価値を、どんな手段(属性機能やベネフィット)で提供すればよいかが明らかになる。それが明確になれば、属性や機能ではなく、価値を伝える言語メッセージを明らかにする。これは、製品ブランドコンセプトをリデザインすることである。
第4ステップ 基本戦略の提供価値の明確化
リデザインされた商品コンセプトのデータをもとに検証する。基本的な考え方は、WTPが最大になるような基本戦略の選択である。基本戦略を明示し、価格政策、チャネル政策、プロモーション、営業などと統合的な価値活動を再構築する。
第5ステップ WTPによる価値提供のモニタリング
企業の持続的な収益性に繋がるのは、WTPである。WTPの測定とリデザインコンセプトの受容性を予測する。希望小売価格とWTPの乖離から価格競争やライバルの参入可能性を分析し、対抗策を立案する。同時に、WTPをベースにして会社の価値による社会貢献を明らかにし、社内外の広報コミュニケーションをおこなう。
主要概念と主要参考文献
【主要概念】
- 実業と実務
- 実業とは、広告業などの「虚業」に対し、生産者や商業者などの業のこと呼ぶ。この概念は、戦前に生まれた概念であり、価値の実体主義の考えが根強く反映されている。長幸男が松下幸之助などの実業家の思想を編集し、「実業の思想」として編集している。充足と充当 ニーズを充足する、あるいは、欲望を充足する(satisfy)という言い方がされるが、本文で述べたとおり、価値は「目的チェイン」として提供され、消費者は、「価値手段チェイン」として受容する。これは、同一次元での一対一対応ではない。従って、3次元の水準を持つ価値が、3次元の水準を持つ欲望に対応(appropriates)することを充当と定義している。疎外(Entfremdung) ヘーゲル哲学を理解する上での重要な概念である。この概念は、芸術の労働の定義にまで使われる。 例えば、芸術は、自己の思惟や「概念の感性的なものへの「疎外」である」(『美学』)のように使われる。自分の思惟や概念を、詩や音楽などの感性的なものに「表現=疎外」し、その作品が作者自身にとって「よそよそしいもの」として現れる。これは、いわば、表現というものにつきまとう必然である。労働も、自分の欲望を実現するために、自分の労働によって、イスなどを作る。すると、そのイスが自ら生み出したのものではないように、他人に評価されたりして、「よそよそしい」ものになる。「労働疎外」は、初期マルクスの「経済学・哲学草稿」でよく知られ、「人間疎外」として社会批判にも使われていた。しかし、これも、ヘーゲルの概念をマルクスがほぼ同義で用い、資本主義段階の生産手段の資本家的私有批判に使ったもので、仮に、生産手段が労働者に所有されても、労働疎外は生まれるものなので、後期の資本論執筆段階では、自然と人間の関係としての「労働過程」の問題として拡張されている。自己確証(Selbstzertifizierung) 自分が自分であること、自分が主人公であることを証明し、自分で確認するということであるが、ヘーゲル用語としては、自己意識の対象の否定を通じて自己確信を客観的なものとするという弁証法的な認識に至ることである。人間は、動物や植物を否定し、生物的に自己を維持し、自分が自分であることを確認するが、同時に、そのことについての他者承認を必要とする。それが欲望であるが、ひとりよがりでないためには他者に承認されることを必要とする。いわば、この確認が自己確証である。アイデンティティ(自己同一性) 自分が自分であるということであり、それが自己だけでなく、他人から承認されるものでなくてはならない。それが自己確証であり、ヘーゲルは、E.エリクソンの心理学的な「アイデンティティ(自己同一性)」を先取りしている。実存 世界に投げ出された、何ものでもない人間のことである。物などの存在は、道具的なあり方として存在が承認されているが、多くの人は承認されていない。不条理な世界のなかで、苦悶する人間を実存と呼ぶ。第2次世界大戦後のフランスの若者の、野放図な生き方に対して名付けられ、サルトルが実存と関連づけた。自然実在論 自然的な物体は誰にとっても確実に存在するという基本的なバイアス。自然的な物体は観念の投映であり、実在しないとする観念論と対立する。実用主義 アメリカのデューイなどによって生まれ、ローティなどに受け継がれて発展している哲学。「役立つもの」が真である、とする。後期資本主義 ドイツのユルゲン・ハーバーマスの現代資本主義の捉え方。資本主義を経済的土台として、民主制度によって選ばれた政府が上部構造として成立するのではなく、民主主義を反映しない手続きによって、獲得された政府が支配する正統性を持たない政治的上部構造を持つ資本主義社会のことを「後期資本主義」と呼んだ。ここでは、明確な規定をせずに、資本主義、後期資本主義、後期高度資本主義のような発展段階論としての意味でも使っている。市民社会 国家を、家族、地域社会、民族、そして、国家のように有機的な同心円として捉えるのではなく、資本主義的な経済的土台と政治文化などの上部構造として捉える社会認識。市民社会は、資本主義社会のひとつのあり方や段階である。市民が主役の社会であるが、市民とは商人や生産者などのブルジョア階級、資本家階級であるとともに、自由・平等・博愛などの価値を体現する人々でもある。市民社会とは、後者の側面を強くもった社会であり、イギリスの特定時期に存在した歴史的に実在する社会である。市民社会は、資本主義の格差拡大などの負の側面ではない、マルクスの指摘する「資本の文明化作用」を強く持った社会である。価値手段システム(means-end-chain-system) 商品を、「means-end-system」として捉えることは、Laddering Methodsとしてよく知られている("Understanding Consumer decision making")。これは、商品の属性や効用を、質的調査を用いて、価値と結びつける実務的方法である。原理的には、単なるものに、消費者が価値を認知するのは、自分の欲望する価値を、物の属性のように不安防衛機制として、投映(projection)するからである。商品の物的属性、効用(物理心理的ベネフィット)と価値を結びつける実用的手法である。訳語としては、「手段―目的―連鎖」とするのが自然だが、生産サイドの「価値連鎖(Value Chain)」との混同を避けるために「価値手段システム」とした。
【参考文献】
- 資本論(カール・マルクス)2024 筑摩書店
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【脚注】
[01]
マルクスは、「資本論」の「貨幣の資本への転化」の章及び「いわゆる労働元本」において、繰り返し、市民社会の「自由、平等、所有そしてベンサム」の仮象性を批判している。特に、資本家と労働者の取引は、自己の労働力を所有している労働者と生産手段を所有する資本家の労働市場における労働力商品の取引において、労働力の効用を、自由と平等にみえる。しかし、内実は労働ではなく労働力の売買であり、生産手段を所有非所有という非対称性のもとで行われる。それだけでなく、日々繰り返される「自由、平等、所有そしてベンサム」の取引は、市民社会が「自由、平等、所有」の社会であるという共同幻想を形成すると批判している。
[02]
イギリスなどのヨーロッパ諸国で、「市民社会」が歴史的に存在したかは、実証的には疑わしい。しかし、丸山眞男、大塚久雄、平田清明などの戦後の政治、経済史をリードした知識人は市民社会の存立を信じ、憧憬を抱いていたが、歴史的実在性は極めて短期で局地的あったことが論証されている。向井公敏「マルクスの世界史認識と「市民社会」論」 同志社商学 34(6) 1983年。
[03]
ヘーゲルは、「法哲学』のなかで、市民社会を「欲求の体系」(Das System der Bedürfnisse)と捉えている。
[04]
「自然実在論にもとづく実用主義」あるいは「プラグマティズム」というものが体系化されている訳ではない。何度疑っても存在を知覚するものはある、そして、使えるものが真理である、という信念である。
[05]
ここで、マルクス・ガブリエルと竹田青嗣氏をとりあげたのは、任意にすぎない。
[06]
「ポーターの競争論戦略論は古い」という議論がある。すでに、「競争の戦略」が発表されて約40年を超えるからである。その批判点は、バーニーに代表される資源視点(Resource Based View)の能力拡張の欠如、イノベーションによる業界構造の不安定性、そして、業界構造の多様性などがある。他にも、ミンツバーグが様々なポーター理論には包摂されない学派(school)を紹介している。これらの視点は、ポーターがベースにした事例も含めて確かに古いものである。しかし、ポーターの事例研究で知られるソフトドリンク業界の分析は現在でも十分に通用する。さらに、RBVによる組織論的批判は、当を得ているが、能力の評価という主観性が強すぎて、企業内では政治的色彩が強くなる。理論的には、事例にもとづく帰納推論であって、ひとつの仮説に過ぎない。GoogleやAmazonなどを分析するには、イノベーション理論が不足という論点について、ポーターは「競争の戦略」で業界の進化として織り込み済みで、また、企業間関係が競争関係ではなく、協力関係にあることも認めている。これは、業界や産業を、競争関係をメインに捉えるのではなく、「市場プラットフォーム」として捉える別の市場観によるものである。これは、ポーター理論には補完理論が必要だということを示すものであり、理論が破綻しているものではない。ポーターの業界構造批判には、コンティンジェンシー理論の焼き直しで、新味はない。業界を単純に類型化することは難しい。総じて、ポーター批判は、経営論のなかの狭い批判であって、ポーターが依拠している、仮説検証の論理に裏づけられた産業組織論を批判できるようなものではない。個人的には、ポーターはまだ3割以上を打てるバッターであると評価する。
(J.B.バーニー「企業戦略論」"The End of Competitive Advantage - How to Keep Your Strategy Moving as Fast as Your Business"、Rita Gunther McGrath/Harvard Business School Press)H,ミンツバーグ戦略サファリなど。尚、日本でも、経済学に明るくないマーケティング経営研究者が追随する傾向にある)