価値の根拠は何か―欲望を充当するもの(要約版)

2024.10.07 代表取締役社長 松田久一

欲望と価値を本気で論じる理由

 「価値の根拠は何か―欲望の充当(要約版)」を配信します。このコンテンツは、本文が長いのでAIの要約機能を活用し、さらに、手を加えたものです。コンパクト化されていますので読みやすい「エグゼクティブサマリー」です。

 要旨は、経営やマーケティング、そして、消費者心理学でも、曖昧に扱われている「ニーズ、ウォンツ、欲求、欲望」などの概念を整理しています。欲望の定義をヘーゲルまで遡ればなんとか納得できるものが掴めました。欲望は、自分が自分であることに気づく自己意識の意識経験であり「自己の自立性に関する自己確証」です。アダム=スミスのように、素朴に考えると、価値とは、自分の欲望を満たすために投下した労働の対価です。

 この欲望と価値が出会うのが市場です。ここから出発して、基礎工事のゆるい地盤に立つマーケティング地盤を固めようと試みました。

 実務的な課題は値上げ対応です。輸入物価があがったので、値上げで潤っている企業が多くなっています。結果として、持続的な物価上昇が続いています。しかし、ただの値上げは、消費者から大きな予期せぬ反撃を受けます。価値が変わらないのに、値段があがるというのは、価値実現率が100%を切っているということです。つまり、ライバルや大手組織小売業などが低価格競争をする環境が現出したということです。解決策は、「定義されていない、捉えどころのない価値をあげる」ということです。この価値上げの課題を実務で消化するための理論的な基礎づけをしようと試みています。

 結果は、読者の判断ですが、それなりの「お値打ち」のあるものになりました。しかし、幾分、能力が足りず、分量が多く、天(消費者)に唾する難解なものになったので、要約版で公表することにしました。

 この問題は、この仕事を始めておよそ40年、経済学、戦略経営やマーケティングの企業や社会のソリューションを本気で考える上で最大の不満でした。行動経済学の弱点もここにあります。「心理学的基礎」がなく、曖昧なことです。そこで、ブラックボックスを透明にして、その箱の中をみてやろうという欲望の試みです。どうか少々お付き合いいただければ幸いです。

 「欲望論」と「価値論」を基礎にしたのものが弊社「消費社会白書2025」とワークショップになります。是非、ご期待下さい。

 松田久一

01

なぜ企業は利益より価値にこだわるのか

 企業は利益を追求しなければ生き残れないが、利益追求自体が目的ではない。目的は理念の実現である。多くの企業は理念を通じて提供価値や社員の働く意味を表明している。企業が理念を公表するなかで、アップルは理念を持たないが、創造性を強調し間接的に価値提供を示唆している。企業理念は差別化や品質、社員のモチベーションに関わり、収益性にも影響を与える。価値は重要な概念であるにも関わらず、価値の定義や根拠となる欲望は不明確である。ここでは、経営やマーケティングの基礎を整理してみる。



02

価値概念はもはや経済学にはない

 価値は、企業の外的環境と内的組織を結びつける重要な鍵だが、現代経済学ではその役割はほとんどない。アダム=スミス、リカードなどの古典経済学では価値が重視されていたが、「限界効用」の概念が登場し、効用概念を基礎にした市場メカニズムによる価格調整が論理化された結果、価値概念は消滅。現代の数学的形式化が高度化したミクロ・マクロ経済学には価値概念が含まれていない。実務的な価値に基礎を与える知見は、産業組織論やシュンペーターのイノベーション論にあるだけである。値打ちで測れる価値の本質とは何かが明らかにならないのに、現代企業は価値提供を表明していることになる。クライアントが病気なのにその治療に関する知識が、経済学関連の諸科学にはない。



03

ミクロ経済学の周辺で価値概念が復活

 産業組織論は、独占や寡占、不公正取引を分析する経済学のミクロ的応用であり、この産業研究からポーターの競争戦略や価値論が生まれた。産業は垂直的な構造を持ち、川上から川下まで原料から製品を消費者に提供するプロセスがある。SCP理論により業界の競争構造を分析し、ポーターはこれを企業の収益性に基づいて再構築、5フォース分析として提唱した。ただし、ポーターのモデルは日本企業の強みを十分に反映できないという課題がある。



04

企業の提供する価値とは何か

 ポーターの価値論では、企業は「価値連鎖(Value Chain)」を通じて価値を創造する。企業の主活動と支援活動の九つの価値活動が相互に連携し、最終的に消費者に提供される価値が生まれる。この価値は、単に価格やコストにとどまらず、品質や機能といった多様な要素を含み、消費者の欲望を満たすものである。企業間の関係は、単なる取引関係ではなく、相互に影響し合う価値の連鎖として捉えられ、全体で価値創造がおこなわれる。ポーターの価値論は、価値創造の源泉論で、従業員の活動(労働)ということになる。



05

古典経済学の価値論との違い

 ポーターの価値論は、アダム=スミスの価値概念と共通点があるが、重要な相違点も存在する。スミスは分業によって富が増えるとし、労働を通じて、富の実体である商品の使用価値と交換価値が生まれるとし、その価値は、「WTP(支払意思額)」で測定できると定義した。これによって、価格と価値の関係という難問や社会構成などの価値の社会配分の問題を回避している。

 ポーターの価値論は俗流的な労働価値論であり、現代経済学とWTPで接合するうまい方法だ。古典経済学を批判的に継承したマルクスは、WTP=交換価値を「抽象的人間労働」と定義した。この抽象的人間労働は、血や汗のような実体ではなく、社会全体の労働分配を平均化したものだ。つまり、価値は個々の企業活動ではなく、社会的に決定される。ポーターの価値論は、はこの社会的視点が、「価値連鎖システム」としてユートピア的に想定されているに過ぎない。



06

マーケティングの価値論の浅さ

 マーケティングにおける価値論は、ポーターの価値論と比較すると内容が希薄で、「マーケティングの父」と呼ばれるP.コトラーによれば、価値創造、価値伝達、価値配送を含む総合的な活動とされるに過ぎない。その価値とは、品質、サービス、価格の「三位一体(triad)」としている。これはいわば根拠のない定義であって、本質的な定義ではない。さらに、コトラーは価値を利益とコストの合計として捉え、顧客の認知に基づくものとした。このような議論からマーケティングの提供価値は、顧客満足の充足という発想に陥りやすくなった。しかし、価値充当と満足充足とは、まったく次元が異なることから、顧客満足を目的化する1990年代のアプローチは、現代では、愛用者カードシステムの残存として残るが、企業が提供する価値充当とは何の関連もないことが歴史的に明らかになった。

 現代の経済学や経営、マーケティングでは、価値は定義できない。わずかに、企業の価値活動によって創造され、WTPによって測定されるということだけが、実務上の手がかりである。我々が抱いている消費者にとって大切なもの、重要なものとは何かはとり残されている。これには、価値に根拠を与える欲望から迂回しなければならない。



07

欲望を捉える手がかり

 実務研究は、学問の壁に囚われずに、実務に役立つものこそが価値があるというプラグマティズムだ。しかし、価値を300年前の古典経済学から始めたように、欲望はどこから始めたらいいのか。どこまで遡ったら確かなものがつかめるのか。これは確かめるしかないが、ドイツ観念論の哲学まで、すなわち、G.ヘーゲルまで遡ればいいのではないか。やはり、近代という時代、ヨーロッパのドイツという地域性から生まれた世界哲学はあらゆる思想の集約点となり、そして、源流となっている。そのなかでも、ヘーゲルのやわらかな哲学大系は現代を先取りしている。欲望もヘーゲルの捉え方まで遡れば足がかりがつかめる。



08

価値の根拠となる欲望とは

 ヘーゲルの欲望は、「社会的承認を得る自己確証」である。恐らく、多くの人は驚くに違いない。なぜそれが欲望になるのかと。人は、社会と自然から疎外され、生み出された存在である。自分が生きるために、自然や動物の生命を奪って、自己のものとする食欲によって、生きながらえることができる。これは、自然を自分の力によって「承認」し、生きながらえるという自己確証を得る行為である。ヘーゲルは、人間が、意識を意識しない段階から、自己認識する段階に至り、理性へと発達していく過程の第二段階として、自分の意識を位置づけ、その冒頭に欲望を意識することで自己意識が始まるものとして欲望を位置づけている。そして、その本質は、社会的承認を得るための自己確証である。ヘーゲルの欲望論は、何がしたいとか、何が欲しいというものではなく、より根本的なものである。「自然・内・存在」として、「社会・内・存在」として、自然と社会の承認を得て、自己の持続性を確信することが欲望の本質である。自然と人間、社会と人間を媒介するものが欲望である、と突き詰めたようだ。この根底的な捉え方を確かな欲望論の出発点とする。



09

ヘーゲルの欲望論

 ヘーゲルは『精神現象学』で、欲望を人間の自己意識の発展過程に位置づけている。欲望は「他を否定して自己の自立性を維持すること」として定義され、動物の本能的な欲望と異なり、人間は他者との関係で承認を求める。これは「相互承認」を通じて自立性を確立するものであり、市民社会を「欲求の体系」と捉え、欲求が市場を通じて充足されるとみなした。ヘーゲルの欲望論は、スミスの市場経済と通じる要素を持っている。



09

欲望(desire)の概念と三水準

 欲望の実務を考えるには、用語の再定義が必要である。ここでは、欲望一般を三つの水準に分類し、要望(request-will)、欲求(needs- bedürfnis)、欲望(desire-begierde)と定義する。ヘーゲルの文脈では、欲求、欲望、欲望一般が用いられ、コトラーはrequirements、needs、wants、demandsなどを提唱しているが、実務に適さない。一方、マズローの欲望階層論では、needsは欲求として理解され、自己実現は欲望に近い。従って、マズローの理論を基に欲望を考えることが妥当である。



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欲望とは「自己の自立性についての自己確証」

 ヘーゲルの欲望論は、欲望と労働を経済学的価値と結びつけ、人間が自己意識のもとで欲望を抱き、労働を通じて物を生み出す過程を示す。初期のマルクスはこの労働観を引き継ぎ、私有財産や階級対立による労働の疎外を論じる。欲望は価値を決定し、労働がその源泉となる。欲望の対象は分業によって生まれ、古典経済学の「労働投下説」と一致する。マルクスの「原初状態」は現状分析に利用され、欲望、労働、価値、消費の論理を導出する基盤となる。



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現代欲望論としての見田欲望論

 経営マーケティングにおいて欲望はマズローの「欲求5段階説」と結びつくが、ヘーゲルは「他を否定し自己の自立性についての自己確証」と定義する。ヘーゲルの理論では、欲望は自然を労働で加工し、有用なものを生産・消費する手段となり、マズローの理論を包括する。見田宗介の「未完」の欲望論は、サルトルの影響を受けつつ、ヘーゲルから現代への架け橋となる。心理学や脳科学の進展を踏まえた見田の理論は、数量的研究の視点も取り入れ、現代的な価値を持つ。



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欲望二元表と3視座と3水準

 見田は、欲望の充足が人間の解放に重要であるとし、欲望論を整理している。この考えは顧客ニーズの充足に似ているが、1990年代のマーケティングブームのように成果には結びついていない。ヘーゲルによると、欲望を満たすことは幸福をもたらし、自己確証につながる。見田は欲望を二元表に整理し、生物的欲望から実存欲求へと高度化する過程を示す。この枠組みは、ヘーゲルの理論を基に現代の欲望を包摂し、実務に活用可能な理論と操作的な枠組みを提供する。



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マズローとの比較

 見田欲望論は、マズローの欲望のピラミッドに対していくつかの優位性を持つ。第一に、自己実現欲望が重要視され、「生きがい」が明示されている。この「生きがい」は、常に追求されるが到達できないニヒリズム的な構造を示し、マズローにはない深い人間理解を提供する。第二に、見田は対他性を取り入れ、他者との関係から生まれる欲望を強調している。これにより、欲望の対象が希少であることや、他者の所有を否定する競争の側面を捉えられる。結果として、見田欲望論はマズローの理論を凌駕する。



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無意識をどう扱うか

 見田宗介の欲望論は実用的だが、いくつかの課題を抱えている。主な問題として、欲望の無意識性が挙げられる。ヘーゲルや見田は欲望を理性や自我に基づくと考えるが、フロイトは無意識が人間の行動を規定することを示した。フロイトの理論は精神分析で多くの患者を救った。フロイトにとっての欲望は「リビドー」や「快楽原則」に従うとされ、自然な欲望とは異なる。また、彼は生の欲動と死の欲動について、無意識的欲望が商品サービスの価値評価にも影響を与えるため、無意識レベルの価値を引き出す技術が重要と論じている。



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学習理論における欲望

 「コンビニでの缶ビール購入」や「とりあえずビール」は無意識的な行動で、条件づけによる学習効果が関与している。行動主義心理学の研究によれば、繰り返しの行動が一定の反応を生み出すことが示されている。例えば、コンビニに入って特定のビールを購入し、満足感を得る一連の行動が学習されている。この行動は欲望によるものではなく、飲酒による満足感が動機づけであり、ドーパミンが関与している。また、動機理論は内因と外因を考慮し、特定の行動を生む要因を探るが、欲望の根拠がない価値についての理論も重要である。



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欲望を生むのは機械か

 ヘーゲルや見田の欲望論は人間中心主義に基づき、人間の理性と意志を前提とするが、非人間主義的な視点も提起されている。レヴィ=ストロースの研究は、理性による科学的思考がひとつの見方に過ぎず、未開民族も独自の知識体系を持つことを示した。また、M.フーコーは近代社会科学の共通構造を指摘し、人間中心主義や歴史主義は乗り越えるべき対象となった。ドゥルーズやガタリは「欲望機械論」を展開し、欲望の主体を社会の構造に求める視点を提示。このアプローチは欲望理解を個人から社会に拡張する新たな可能性を開く。



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相対主義の陥穽

 マレーの55の欲望 を見田の枠組みで位置づけることは可能だが、優先順位を付けることが課題となる。現代科学は「人によって異なる」としか言えず、Aさんの「生きがい」欲望とBさんの「生存欲求」の共約性を見出すのは難しい。共通基準、例えばCさんの優先順位は普遍的で公正である必要があるが、これは困難である。その結果、相対主義に陥り、個人や集団の価値を認め合わない状況が生まれる。これは「自己の自立性についての自己確証」が実現されないことを意味し、科学的思考が支配する社会では欲望が狭い範囲に限定される。



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価値と欲望の媒介-欲望に根拠を持たない価値

 欲望と価値との関係において、欲望は、人間と自然、人間と社会を媒介し、社会的に生産可能性を持った対象が価値となる。人間は、欲望によって自然に、そして社会に回帰され、包摂され、自己確証を得る。現代では、それが無意識から、さらには、社会に回帰することによって生まれている。

 従って、価値が欲望を充当する有用性を持つものであり、欲望が価値を包摂する関係にあることを理解する必要がある。以下の三つの領域に分けられる。

 ひとつは欲望未充当領域、ふたつ目は、欲望と価値のマッチング領域、三つ目は根拠のない価値領域である。

 このように、欲望と価値は互いに関連し合っているが、すべての領域で価値が欲望に基づいているわけではなく、特定の領域では無関係な価値が存在することが確認できる。



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価値と欲望とのリンケージ

 価値と欲望の関係について、以下の三つのポイントが整理できる。

 ひとつは欲望の広さと企業の価値の限定性、ふたつ目は直接的および間接的な欲望への対応、三つ目は持続的な価値提供と企業の利得である。

 このように、企業は消費者の欲望を理解し、価値を提供することで、経済的な利得と社会的な承認を獲得する構造が形成される。



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価値拡張とマーケティングシステム

 マーケティングシステムは、六つのステップで価値拡張を目指す。まず、課題設定から始まり(第1ステップ)、提供価値の確認(第2ステップ)、ブランドコンセプトのリデザイン(第3ステップ)がおこなわれる。次に、リデザインしたコンセプトを基に基本戦略を策定し(第4ステップ)、WTP(顧客の支払意思額)をモニタリング(第5ステップ)する。最後に、WTPを基に価格競争や企業の価値貢献を分析し、広報活動を展開する。



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価値論という基礎

 経営やマーケティングにおける価値や欲望の議論に対する不満から、知的誠実性に基づいて価値論や欲望論、価値拡張をまとめた。価値とは何か、企業が創造する価値と欲望の関係、そして値上げに対抗する価値拡張の方法について整理し、実務に役立つエッセンスをまとめた。実務臨床も進んでいるが、これの説明は別の機会とする。