円安は歓迎すべきかー過熱する円安論争

2024.07.17 代表取締役社長 松田久一

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円安は歓迎か

 円安歓迎論と是正論の論戦が燃え上がっている。恐らくエコノミスト筋には、P.クルーグマンの「円安は日本にプラス、パニックの理由でない」という取材記事(2024年6月3日、ブルームバーグ)の影響が大きい。アメリカのリベラルな経済学者として若くして嘱望され、「ノーベル経済学賞」を受賞した大物経済学者の発言なので、尻馬に乗るエコノミストが増えたようだ。

 消費動向に一家言ある者として、再び、消費には過剰な円安は害あって一利なし、景気にもよくないという立場だ。少々、交通整理をして、論理を検証してみよう。

 現代の生活者は、消費者としての顔、労働力としての顔、そして、投資家としての顔、家族を持つ実存的な社会的存在としての顔と、四つの顔を持っている。円安は、消費者としては物価があがって損、勤労者としては会社の業績がよくなり、将来所得が増えるので得、投資家としては、NISAやiDECOなどを通じてドル資産への分散が進んでいるので得、実存的な個人としては海外旅行が夢となり意気消沈だ。合計すると、生活者としては、損になる。一所懸命働いて、海外旅行にも行けないのだから面白くない。こうした感情論が経済を支配していることは、行動経済学を持ち出すまでもなく言うまでもない。結論は、円安は害が大きい、だ。特に、人々の働く意欲や自信を疎外していることは大きい。

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日本の円安是正論を訝るクルーグマン

 クルーグマン「大先生」は、円安にメリットがあるのは、「国際経済学」の初歩的な論理からみれば歓迎に決まっているだろう。自分の「クルーグマン国際経済学 理論と政策(原書第10版)」日本語訳を読め、と叱られるだろう。訳は6版の方がいい。

 先生曰く、「円安は多少の時差を伴って、日本の物品・サービス需要に実際に前向き」であり、「純輸出」(輸出-輸入)が増えて、国民所得を増加させ、消費が増え、景気はよくなる。「なぜ(政府や日銀が)パニックのようなものを誘発しているのか」は「謎(puzzle)だ」。パニックとしか思えない財務省などの為替介入がわからない、とインタビューに答えている。

 クルーグマン先生にたてをつくつもりは毛頭ないが、純輸出が増えて、国民所得(GDP)が増えるということなのだが、実際に、2021年からのドル相場と純輸出の関連をみてみると、その関連はみられない。円安になって輸出は少々増えるが、輸入も増えるので相殺されて「純輸出(輸出―輸入)」は増えない。相関をとっても関連は低い。

 つまり、為替を操作して、自国通貨安(円安)で輸出を増やして、他国の輸入を増やし、他国産業に影響を及ぼし、不況を輸出するような「近隣窮乏」効果はみられない。この効果は、理論的には、小国の開放経済モデルである「マンデル=フレミングモデル」で定式化されているが、2021年以降の月次データでは検証できない。もし他国の産業を脅かすような円安ならば、アメリカを含む諸外国からクレームが来るはずだが、財の貿易に関し、大きな変化はない。

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不況輸出の近隣窮乏化効果はない

 なぜなのか。期待為替を含めるなどの議論はあるが、ここではモデルが検証できず、単純に円安で輸出は大きくは増えていないという事実を確認するにとどめたい。ただ、有力な仮説として、何を輸出し、何を輸入するかは、比較優位、現代では各国の「要素賦存」で決まり、為替はあまり影響しないという「ヘクシャー=オリーンの定理」をあげておく。

 80年代の花形輸出産業であった自動車やエレキの製造比率はもはや50%以下である。素材、原料や製造機械の輸出が増えても、最終製品の付加価値に比べれば低く、代替できるものではない。

 つまり、戦前とは異なり円安は、企業の輸出が増えて、設備投資と雇用が増え、勤労者所得がめぐりめぐって増えるという経路はほとんどない、ということだ。戦前の各国間の経済関係、すなわち、グローバルチェインにはあまり依存関係はなかったが、現代では高度なつながりを持ち、為替変動で簡単に変わるようにはなっていない。

 現代では、円安はメンタルも含めて自国窮乏化政策になっている。

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円安の要因は短期的には金利差、長期には購買力平価の均衡

 さらにクルーグマンは、円安の短期的な原因は、10年ものの国債などの日米金利差にあるが、日本の景気回復が昨年の下期以降は弱く、長期的には、人口特殊出生率の低さなど人口統計的な要因の弱さが影響している、としている。

 クルーグマンとしては、円安メリットを生かして国民所得を増やし、長い低成長から脱却し、確実な回復を確認できるまでは金融緩和を維持し、ましてや、円高誘導の為替介入などはすべきではない、そして、移民の受入拡大などの労働力人口を増やす長期政策をとれとアドバイスしたいのであろう。

 さて、円安はクルーグマンに代表される標準的な国際経済学のテキストでは、短期的には日米金利差によるが、長期的には、財サービスの価格は、要素賦存比率の比較優位で貿易が行われるので、平準化され、「購買力平価」に一致する、と分析される。

 購買力平価は、生活に必要な財とサービスの量を比較して算出した数字で、IMFやOEBCDなどの国際機関で算出される。実勢レートにかわるひとつの見方だ。これによる現在の円の購買力平価は、およそ120円だ。現在のレートよりおよそ40円高い。購買力平価からみれば、円は25%も過少評価されている。

 長期的には、貿易によってこの差は裁定され、収斂していく。購買力平価の平易版として知られるのはマクドナルドの価格である。現在では、ビッグマックの価格は、アメリカで793円(5.56ドル)で、日本では450円(3.17ドル)である。約1.8倍だ。マック指数では、日本円は143円で一致する。

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円安の構造的背景には日本経済の衰退

 直近で、約160円でも長期的には120円に収斂する。多くのアナリストはこういう見方だろう。しかし、どれぐらいの時間をかけて調整されるかはまったくわからない。

 現在(2024年7月)、なぜ25%もディスカウントされているのか。それは、長期の日本経済が過小評価されているからだ、というのが、クルーグマンや日本の円安歓迎論のエコノミストや一部の経営者の見方だ。為替変動は、必要な貿易量に必要な取引額で決まればいいのが、実際は、取引量の10倍以上の投機マネーが動かしている。個人のFXもそのひとつだ。

 従って、思惑で動く。投機家が、円安になると思えば円安になり、円高と思えば円高になる。その材料に、金利などの経済情報や政策当局の発言などが利用される。2024年度に入って、日銀総裁の「迂闊な発言」が大いに円安投機に利用された。

 こうした円安の思惑の背景に、つまり、円がディスカウントされているのは、日本衰退論が広がっているからだ。クルーグマンもそうだ。

 人口が減少する、リーディング産業がない、イノベーションがない、生産性の低いゾンビ企業が多い、企業の戦略志向がないなどが根拠に使われる。エレクトロニクス、半導体や液晶パネルで産業政策をミスリードしてきた経済産業省などの政府筋も同じような議論だ。解決策として、政府主導の次世代半導体産業の育成と投資、中小零細企業への支援策の削減、政府による戦略的経営者育成などという政策に結びついている。民間企業は信用できないので、政府自らが産業育成と経営に乗り出すという官僚主導の国家資本主義=「新しい資本主義」政策だ。供給サイドが変われば、経済は変わるという論理だ。「市場の失敗」よりも「政府の失敗」のリスクが急速に高まっている。市場の失敗は、経済主体が支払うが、政府の失敗は、残念ながら官僚ではなく、国民が支払うことになる。

 政府は、物価高にならないように円安是正しながら、円売りになるNISAなどを奨励し、「運用立国」策をすすめ、円安につながる日本衰退論を助長している。投機筋は、矛盾した「二枚舌政策」の裏を読み、円安にかけている。

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日本衰退論の3予測―人口減少、低生産性と成長会計

 なぜ、このような日本衰退論が世論を支配しているのか。個人的には、全体視点を失った専門家が提示する「日本経済衰退」フレームが世界を覆っているからだ。

 それは、人口減少予測、低生産性、そして成長会計分析という三つの前提で成り立っている。

 ここでは、簡潔にこの三つの予測について、「ケチ」をつけておく。「ヘーゲリアン」としては、外在批判ではなく、内在批判をしたいところだが長くなり、読者の迷惑になるのでやめて、話のネタに使っていただける程度にする。

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「2024年生まれの女児は同じ数の子供を生涯に産む」という前提

 人口減少予測は、ほぼ「まがい物」である。計算は誰もできて簡単そうだが、その理論は納得できるものではない。それは誰にでもわかる。

 専門家が計算し、煽り、政治家が踊っているにすぎない。日本は人口統計の専門家が多く、国連の人口予測の統計の基本手順は日本の研究者をベースにしている。現在の人口から将来の人口を予測するので、仮説的な前提とモデルが必要になる。その前提が非現実的であるなら予測も非現実的である。

 人口予測の原理は、あのコロナの感染予測と同じ手法がとられている。合計特殊出生率とは、コロナ感染の数理モデルの「実効再生産数」と同じだ。女性が生涯に出産する子供の数が、自分とペアの男性分の二人以上の子供を生み、幼児死亡を補うと2.1人になるという極めて単純なものだ。ウィルスに雌雄はないので1人の感染者が何人に感染させるかという数字だ。1.0を越えると拡大する。この数字は簡単な微分方程式による。現在の数字から将来を予測するには、現在の「微分的な変化」を積分すれば、大きな変化のもとを求めることができる、というものだ。もともとは、マルサスの人口論からきている。

 この予測は、「世代」を前提にしている。同一時間に生まれたウィルスを同世代と見なし、そのまま世代交代が進んでいくとどうなるかを予測している。コロナウィルスの場合は、5~6日が同一世代である。生まれて死ぬ。この世代が生み出す感染者数が同じだという仮定を置いている。

 これと同じ方法が人口予測に使われている。「手引き」によれば、人口の場合は、1才刻みである。2024年生まれの女性が生涯生む子供の数は同じという前提である。これを1才毎に積み上げて人口予測している。個人的には、この規範化された算出方法に納得できない。

 マルクスがマルサスを批判したように、人口の増加に、食料の増産が間に合わないという予測は、経済を無視した空理の予測である。現在の人口予測はこれと相似である。

 国連の過去の人口予測を調べてみると外れてばかりだ。30年前の予測では、30年後はナイジェリアが世界最大の人口国になると予測していた。それが、中国になり、インドに変転し、実際はインドになった。日本で最初に消滅すると言われた豊島区は、人口増加している。地代、所得などの経済、女性の高学歴化などの社会などの要因を含まない人口予測は、信じるに足るものではない。

 問題は、なぜ、この人口予測が信じられるようになったのか、である。どうも全体知から部分知へと専門家主義に陥っているようだ。機会があれば、規範的な方法ではない予測をしてみたいものだ。それが内在批判だ。

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日本の生産性の低さは社会的文化的コストか?

 ふたつ目は、低生産性の問題だ。日本の生産性は低い。得に、労働生産性が低いとは何度も言われてきたことだ。

 街の小売サービスなどのゾンビ企業が多くて生産性が低い、大企業では社内失業が多い、などと叫ばれてきた。

 戦前も変わらない。貿易拡大を目指した「金輸出解禁」による「金本位制」への復帰は大不況をもたらすことになった。当時も、バブル経済終焉後で低生産性企業が銀行に多く、国際競争力のない企業が倒産し、銀行が連鎖することは目に見えていた。それにも関わらず解禁を図るという愚策をとった。その結果、日本経済は政府主導による統制経済へ進むことになる。

 低生産性の問題は三つに切り分けなければならない。生産性とは、インプットに対するアウトプットであり、付加価値(売上)を労働投入などで除したものである。

 日本の議論は、無駄が多いという論点が多い。小売やサービス業で、他国に比べて人が多すぎるというような議論だ。店員がにこりともしない欧米では、笑顔が有料だ。日本は無料だ。

 大学を卒業して、商店街を自転車で走り、得意先を訪問する銀行営業などは「低生産性」の代表のようなもので、現在ではほとんどみなくなったが、過剰投入の代表例である。このようなキャリアは欧米では存在しない。銀行や保険に関しては、実感としても生産性は低い。余談だが、銀行系や保険系のエコノミストが、日本経済、消費や生産性についてのコメントをしていると、「頭隠して尻隠さず」としか思えない。

 もうひとつの低生産性の例は、販売流通分野に多くの労働力が投入されていることだ。商社などの卸、小売業に加え、様々な仲卸などの中間流通、製造業が応援販売としてリテールサポートに投入されている。

 どれほど投入されているかを統計的に把握することは難しい。消費者が支払う価格と、製造業が小売業に商品を卸す価格の差は、流通マージンと呼ばれている。現時点で、これを推計すれば、35~45%に上昇していると予測できる。商社という、世界的には特異な「業種」で、時代遅れであり、経済全体でみれば労働力を投入しすぎである。

 これらの例は、売上を増やせば、生産性をあげられるものだ。

 高生産性の代表は、インポートブランドなどの販売員である。もはや、富裕層の持つ高級ブランドの代表名刺となった「エルメス」、特に「バーキン」は圧倒的というほどの世界的な人気を国内外で誇り、「グッチ」のように値上げで高級ブランドが崩壊するなかで、店頭化される前に完売する状况が続いている。

 アメリカでは、エルメスの商法への訴訟がなされ、販売員への「逆リベート(先行して入荷を知らせてくれるように依頼するために人気コンサートなどのチケットをプレゼントすること)」が指摘されている。

 エルメスの売上は対前年で30%を超える。そして、このバーキンブランドをつくりあげ、販売の鍵を握っているのは、顧客のニーズにカスタマイズするスキルを持つ販売員である。

 日本が生産性で欧米に劣るのは、労働投入が多いだけでなく、付加価値(売上)が小さいという需要特性にもある。

 つまり、生産性の問題は、売上などの価値を得るための投入コストなので、売上をあげれば生産性をあげられるということであり、販売員はムダだというものではない。人員を投入すればそれだけ売上をあげればいい話だ。日本経済が成長しないから生じる問題だ。

 さらに、このようなムダなコストは、社会文化的な経済的生産性では判断できない価値判断を含んでいる。社内失業が多いことが、低い失業率に結びついている。これは雇用を大切にする社会規範があるからだ。人間関係をよくして社会順応的に暮らしていくために、笑顔で挨拶するというのが日本の文化的特徴だ。

 過小需要なので生産性が低いという経済循環によるものと、日本社会と日本文化を維持するコストがかかっているものがあるということだ。

 従って、生産性だけで経済の衰退を議論するのは誤認を招く。無駄なコストには社会文化的側面や需要が過小なのは、節約を好む消費文化の側面を強くもっているからだ。従って、どんなコストをかけている企業の製品を消費者が選ぶかで生産性は決まる。生産性の問題を社会的に解決するのは消費者だ。政府が余計なことをしなければ、何も悲観することはない。

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低成長だがイノベーション大国の日本、移民増加で高成長するアメリカ

 最後に、日本衰退論の根拠としてあげられるのは、潜在成長率が低いという推計と人口 予測である。成長会計という成長率を予測する規範的なルールがある。成長率を、労働力人口成長率、資本成長率、そして全要素生産性成長率に分解して予測する方法である。なぜ、この3要因なのかは、この3要素で成長率を説明できるのでそうなっている。この式を対数にすれば、成長率は三つの足し算になる。

 この単純な足し算の予測式に、将来の人口成長をベースにした労働力人口成長率を代入すれば、先の予測の通り「マイナス」になる。国内の工場などの資本成長率も、過去にほとんど有力製造業は生産の海外移転をすませているので、代入すべき延長推計は「マイナス」になる。そして、実際の成長率から資本と労働の成長率を引いた残りが、イノべーションと呼ばれる「全要素生産性」の成長率である。

 日本の過去の成長率はほぼ1%程度なので、資本と労働の成長率がマイナスであることを考えると、日本経済はイノベーションで踏ん張っていることがわかる。多くのエコノミストや経営者の讒言と異なり、日本はイノベーション大国である。アメリカは、単なる移民による人口成長に依存した経済に過ぎないというのが事実だ。

 これらのことより、成長会計の枠組みで、日本経済を予測する限り、人口減少の人口予測があるので楽観的な展望は生まれない。しかし、それは専門家の枠組みによる予測に過ぎない。

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円安は百害あって一利なし、寧ろ、格差拡大でやる気を喪失

 円安に対応するには、短期的には、金利格差を埋めるしかない。国際収支も、貿易収支も黒字なので、約350兆円もある日本の海外拠点の収益を円に換えやすい促進策を拡充するのも手である。長期的には、自由貿易を推進し、輸出奨励をし、個人が海外の消費者の代理購買で輸出するような動きが誘発するようなことまで必要かもしれない。

 しかし、根本的には、専門家の予測にもとづく日本衰退論を客観的に払しょくすることが何よりも大事だ。経済は、みんながそう思えばそうなってしまう。新札が、1万円の交換価値をもつと信じているので、流通してしまう。実態は、原価のある材料を使った高度な技術印刷に過ぎない。

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日本経済を見るフレームチェンジ

 日本経済の見方のフレームチェンジが必要だ。消費は経済だけではなく、社会現象だ。さらに、現代の日本人は、四つの顔を持つ生活者だ。労働による収入と投資で稼いで、生き甲斐や自己実現の欲望のために消費し、家族や地域社会として暮らし、生きながらえる。円安で近隣窮乏策により近隣諸国に不況を輸出しても収入が増えなければ、百害あって一利なしだ。

 2024年、日本は大きく変貌しているという感覚が支配している。従って、少し先の未来を知りたいという欲望を禁じ得ない。コロナ禍で、経済も社会も政治もわからない感染症専門家、さらにはもっと世間が狭い感染症数理モデル専門家に意思決定を委ねてしまった。その結果は、周知のとおり、日本の経済再生は世界から取り残された。

 不確実性が高く、未来を知りたいという欲望が高まる時、どうしても専門家の予測を信じてしまう。その結果は、全体を見失い、生活感覚を失い、部分解に陥り、全体解を見失う。エコノミストは、人口予測、低生産性、成長会計というフレーミングに陥ってしまっている。このフレーミングから抜け出さない限り、日本と日本経済は衰退へと転げ落ちていくよういしか見えない。実際はもっと違う現実と資本主義の未来がある。