01
どこに消えたマーケティング?
マーケティングという言葉を耳にする機会が、マーケティングの実務をはじめた1980年頃に比べて、各段に増えた。これはマーケティングの実務に長く身を置いてきた者にとって、喜ばしいことだ。しかし、空漠たる物知りの多弁、実際には日本経済や企業から、消費者や顧客志向のマーケティング理念が失われている。
なぜなら顧客志向のマーケティング理念を持たない企業が増え、デジタル経済下で成功しているからだ。また、「コンシューマリズム(消費者主権)」が高まった70年代を知らない世代の経営者が増えたからかもしれない。行き過ぎた消費者志向(「消費者は王様」)への反省と反動(モンスタークレーマー問題対応)かもしれない。
しかし、もっとも大きな要因は、経済のデジタル化が進み、さらにコロナ禍でデジタル化が変化を10年早く加速させ、GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)などの「巨大情報寡占企業」(眼のつけどころ「世界情報寡占企業からデータ提供代が貰える日―『グーグル後の生活』と等価交換」参照)の影響力が圧倒的に大きくなったからだ。このたった5社の株主時価総額は約750兆円(2021年1月)であり、日本経済の年間GDPをはるかに上回る。明らかに「世界独占」という新たな問題であり、デジタル経済の弊害でもある。
これらの企業は多くの企業の見本例となっているが、必ずしも顧客志向ではない。
グーグルは、検索サービスの側面では、利用者が無料で利用できる有難い企業だ。しかし、もうひとつの面では、個人の利用情報をもとに、企業に広告機会を提供し、5兆円近い利益を得ている。「二面市場」のビジネスモデル(次稿「ビジネスモデル篇」参照、6月公開予定)だ。
利用者1人あたりから、年間24万円を得ていることになる。従って、グーグルは、検索利用者に、検索サービスを含めて1人当り年間24万円以上の効用や価値を提供していなければ、市場経済の原則である「等価交換」をしていないことになる。これが等価交換であるかどうかは、明らかにされていない。他方で、シェア80%と独占性が高いので、他の検索サービスにスイッチすることが難しい。
他のGAFAMのサービスも似たようなモデルである。これらの企業は、スティーブ・ジョブズ時代のアップルを除き、マーケティングで成功した企業ではない。
成長するネット市場で、利用者などの関与者が共通利用できる「プラットフォーム」[1]の提供者(プラットフォーマー)になり、利用者の増加が利用価値を高める「ネットワーク外部性」[2]によって、独占化、寡占化した企業だ。成功の鍵はビジネスモデルにある。寧ろ、プラットフォーマーは消費者に対する「高圧的マーケティング」を展開し、利用せざるを得ないような環境をつくり上げた。およそ30年前のGAFAMの草創期の提供サービスの水準を思い起こせば、いかに利用者を軽視したものであったかがわかる。このモデルでは、品質を高め、顧客満足を追求するよりも、ネットワーク外部性の働く利用者の数の獲得が重要であったからだ。「あの使いにくさ」、「あの無駄なパッケージ」、「あの個人情報流出」などが記憶に残っている。GAFAMが消費者志向のマーケティングを展開し、世界のよき企業市民になっていくのはこれからだ。
GAFAM以前の経営の見本例は、P&G、コカ・コーラ、ウォルマートやGEなどの企業だった。これらの企業の成功の鍵は、イノベーションとマーケティングだ。しかし、GAFAMが、デジタル経済の主役となり、成功の見本例となったので、顧客志向のマーケティングは重視されなくなったと言っても過言ではない。経済から、マーケティングが消えた、という印象だ。
だが、企業の長期存続は、「社会厚生」の増大に繋がる消費者志向、顧客志向による「消費者余剰」[3]の増大が鍵である。近年、日本を含む先進国が、GAFAMに対して独占禁止法による規制を強めようとしている。それは、独占の弊害が生まれているからだ。経済学の「厚生経済学の基本定理」[4]で知られるとおり、「消費者余剰」の最大化が社会余剰=社会厚生の最大化に繋がる。
02
激動期の生き残り戦略
経済のデジタル化が急速に進み、市場は成熟期から市場「脱皮期」に移行した。買い出しに行っていた食材は、多元的な内食調達システムへとニーズが変わりつつある。自動車もEV化の進展によって、単なる移動ツールになり、地域交通を担う移動システムに脱皮しようとしている。家族社会を前提にした家庭用電気製品は、単独社会ではネットワークに繋がった家事支援システムへと変わりつつある。
この市場が大きく脱皮し、すべての企業が消滅する可能性を持つ激動の現代には、時代を担う使命、すなわち企業理念を実現することが必要である。そして、荒波を乗り切るために、目指すべき新たな目標を提示し、企業戦略を明示し、事業を担うすべての従業員の行動を変え、生き残れる確率を高めるのが「戦略経営(Strategic Management)」(松田久一「比較ケースから学ぶ戦略経営」参照)である。しかし、残念なことに、このスタイルをとれる日本の経営者は少ない。従って、組織的に戦略経営が実現する仕組みが必要である。そして、戦略経営の成功の鍵を握るのが、マーケティングである。
激動期の生き残りに必要なのは「戦略経営」とそれを実現する「マーケティング」である。消費者に受け入れられなければ、GAFAMが幾ら巨大寡占企業になり、世界市場の支配力を持っても、30年の寿命を越えることはできない。企業の長期存続には、やはり、顧客志向が重要であることに変わりない。コロナ禍で急速に回復する19世紀創業のエルメスやシャネルなどのラグジュアリーブランドが例証である。
この機に、さまざまな業界のマーケティングの実務で活躍するみなさんに向けて、改めてマーケティングの「クラシック」を整理してみたい。「クラシック」というのは専門家の間で「確立した規範や基礎」の意味だ。実際、このマーケティング体系で、クライアントへの提案競争を乗り切ってきた実績がある。
提案したい体系は、理論的には、後述する「戦略的マネジリアルマーケティング(Marketing for Strategic Management」)」である。しかしながら、言葉が長いので、現場で使ってきた実績があるという意味で「プロ・マーケティング」と呼ぶことにする。
ここでは、主に、本業に近い専業企業の「商品サービスレベル」のマーケティングとして整理し、次稿「ビジネスモデル篇」で、多角化企業の「事業・企業レベル」の「市場プラットフォーム」などのビジネスモデルをベースとするマーケティングを整理する。そこでも、顧客志向のマーケティングが、成功の鍵を握ることを明らかにしたい。
一般に、戦略を整理する際に、商品ブランドレベル(ブランドマーケティング戦略)、事業レベル(事業戦略)、企業レベル(多角化戦略などの企業戦略)の3階層で考えることが多い。しかし、現実には、3階層で「綺麗に」整理することが実践的とは限らない。企業と状況に合わせて実践すればいい。個人的には、ブランドと事業の2レベルで十分だと考えている。ただ、戦略知識として企業レベルも知っておこう。
03
マーケティングは使えてこそ「何ぼ」-とりあえずの「定義」を頭に入れよう
マーケティングは、マスメディアに登場するタレントのように消費トレンドなどを「語るもの」ではなく、「使うもの」である。
何かを使うとは、使うものを知り、その機能を使いこなし、使う目的を達成できることである。
マーケティングを使うとは、マーケティングとは何か、を頭に入れて、自分が担当する商品やサービスの売上を増やすには、何をすればいいのか、そして、いかにすればいいのかを決めることである。
ここでは、多くの読者が共有できるホテルの会社を考えてみる。コロナの影響で、稼働率は約30%となり、損益分岐稼働率の約60%にまったく届かない。経営トップは、残業削減や人員削減ばかりを考えている。ホテルの売上をどう上げていくのかを考えるのが、ホテルマーケティングの実務だ。
マーケティングが使えるとは、自分が担当や関与している商品やサービスのマーケティングを組み立てて、社長や事業のトップに収益改善案をプレゼンテーションできる、ことである。
マーケティングとは何か、の答えは、とりあえずは定義を知ることにある。まずは、難しい定義を紹介する。マーケティング業界では、「アメリカマーケティング協会(通称、AMA)」の定義をもっとも尊重する。世界でもっとも権威があるからだ。この最新の定義を紹介する。
"Marketing is the activity, set of institutions, and processes for creating, communicating, delivering, and exchanging offerings that have value for customers, clients, partners, and society at large."(2017年承認)[5]
マーケティングとは、顧客、クライアント、パートナー、そして社会全体にとって価値のある提供物を創造し、伝達し、提供し、交換するための活動、一連の制度、およびプロセスのことです。
1980年代の定義に比べれば、随分シンプルにしたものだと感心する。原料などを仕入れて、製造・オペレーションし、消費者に提供する川上から川下までの一連のプロセスや仕組みとして定義したようだ。しかし、何回、「念仏」を唱えても頭に入ってこない。
そこで、とりあえず、次のように考えておこう。
「マーケティングとは、顧客の好意と購買を巡る企業間競争のノウハウと哲学」(水口健次)[6]
シンプルだ。これは、私のマーケティングの先生であり、上司であった水口健次氏の1980年代の定義である。1980年代以降のメーカーマーケティングをリードしてきた「セールスプロモーション論」や「第3次創業論」で知られている。現在では、少々、修正すべき点もあるが、実にうまい。とりあえず、これを3回唱えて、マーケティングの意味がわからなくなったら、この実務定義に戻ろう。
補足したいことはふたつある。
ひとつ目は、この定義では「顧客の好意と購買」を目的としているが、この消費者志向は、マーケティングの本質・理念・哲学の問題であり、後述することにする。実は、なぜ消費者を大切にしなければならないのかということの証明は難しい。水口氏は、それを哲学という言葉で表現している。
ふたつ目は、マーケティングの歴史的役割からの広義の定義である。1920年代のアメリカで誕生したマーケティングは、後期資本主義の歴史的役割を担っている。それは、経済の市場化(Marketing)であり、技術革新によって生まれる製品サービスの新市場創造(Marketing)、市場取引における対等な価値交換(Value Exchange)という役割である。つまり、マーケティングとは文字通り「市場経済化」を実現する機能そのものである。
この点に関しては改めて次稿「ビジネスモデル編」で論じることにする。
04
マーケティングをデザインする
マーケティングとは、会社が何をすることなのだろうか。マーケティングをデザインし、組み立てるとは、どういうことなのか?
それは、自社の製品やブランドを多くの人に買っていただくにはどうすればいいのか、という経営者の目線で、マーケティングの主に四つの機能を組み立てることだ。しかし、これがなかなかできない。それは、様々な会社の制約を受けている従業員目線ではなく、経営者目線で会社や組織を見渡してフリーハンドで政策を決めなければならないからだ。
他方で、マーケティングの醍醐味は、経営者と同じ目線で、経営とマーケティングの政策を自由に組み立てることができることだ。
具体的に、マーケティングをデザインし、組み立てるとは、
- 顧客満足の最大化、ロイヤリティ、売上、利益、シェアなどの企業目的を設定し、
- 対象市場を捉え、区分(セグメント)し、選択(Segment Targeting)し、
- 対象顧客への製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)の四つの機能によって、価値を提供し、対価を得る関係づくりをする
ことである。
つまり、マーケティングの組み立ては、1.の目的を目標にブレークダウンし、2.STと3.4Pの機能を、利用可能なすべてのデータにもとづいて、アドバイザーの意見も取り入れながら決定し、その実行計画を関連組織と分担し、実行スケジュール化することである。
売上や収益の改善策は、現状のST+4P策を分析し、売上減の要因を特定し、修正し、改善することだ。この認識が大切で、答えは問題を捉える枠組みにしかないということだ。
売上拡大問題を解決する枠組みは、他の枠組みよりもマーケティングがもっとも優れている。体系的、包括的、網羅的な観点から解決策を考えることができるからだ。
05
都心ラグジュアリーホテル競争の激化
さて、いよいよホテルを事例にマーケティングを考えていこう。
ホテル業界のマーケティングを選んだのは、21世紀の消費の高度化の最先端になると予測するからである(トラベルジャーナル2021年3月22日号、松田久一寄稿「ソロ消費とソロ旅の実像」参照)。これからの企業は、財であろうが、情報、コンテンツやサービスであろうが、事前に品質のわからない、見えない経験財として消費者に価値を提供しなければならない。その経験財の最たるものが、ホテルの提供する「ホスピタリティ」のサービスだ。他業界のマーケティングの実務家も、学べることは多いはずだ。
何よりも、コロナ後の抑圧された欲望の消費回復の現場になる。ホテルは、コロナ後の顧客獲得競争の最前線だ(「消費反発の現場を探る ようこそ都心のリゾート―熱狂的ファン生む「アマン」の魅力」参照)。
ホテル業界は、2021年現在、コロナ禍で大変厳しい経営環境にある。このホテル市場とその変化をどうとらえ、読むかがマーケティングの第一歩になる。市場の風を読む、トレンドを読むのもそのひとつだ。マーケティングがトレンド予測屋のように見られるのは、このせいである。
少子高齢化による人口減少、単独世帯の増加、収入階層化の進展といった、これらの消費社会トレンドを踏まえ、ホテルなどの個々の業界にどのような変化がもたらされるかを読み、何が機会になり、何が脅威になるかを分析することが、最初の市場環境の分析だ。ここで、簡単に、ホテル市場に影響を与える中長期の変化を整理しておく。
- 市場規模は、およそ2.15 兆円(2019)とされ、順調にプラス成長していたが、コロナでほぼ半減した。
- 旅行ニーズなどの高まりからホテルの提供する宿泊ニーズは強い。しかし、本格回復は2022年以降とみられる。
- 訪日外国人旅行者数(3,188万人-2019年から411万人-2020年、日本政府観光局)は激減しているが、国内客数の比率の高い日本では、近場への早期回復が期待できる。海外観光客はワクチン接種率の高い欧米からの回復が期待できる。
- 東京への新規参入、特に、都心へのラグジュアリーホテル市場への参入が相次ぎ、競争が厳しくなっている。他方で、エコノミーレベルでは、ホテルチェーンの寡占化が進む。
- 都心ホテルでの長期滞在サービス、テレワーク利用などのサービスが進み、サービスアパートメント化が進んでいる。
- ホテルの資産保有、施設運用、ホテルブランドのライセンスビジネスの分離が進み、特に、収益改善のために、国際的に割安な資産を海外の投資ファンドに売却する動きが加速し、ホテルグループの再編が進んでいる。
このような1~3年先の変化の分析から、自社にとって、何を機会と捉え、何を脅威と捉えるかを分析し、自社の弱み(Weakness)と強み(Strength)から、市場を見極める(SWOT分析)[7]。この分析の鍵は「決めつけ」である。失敗を恐れて決めつけることが苦手な人が多いが、とりあえず決めておくことが大事だ。計画段階では修正はいつでも、何度でもできる。
東京都心のラグジュアリー市場では、2021年度の部屋の稼働率は10~30%といわれる。損益分岐点となる約60%の稼働率を大きく下回っている。
他方で、千代田区大手町、中央区銀座から港区麻布台の都心三区の中核エリアにおいて、ラグジュアリークラスのホテルブランドが投入されている。「アマン東京」、ハイアットグループの「アンダーズ東京」、マリオットの「東京エディション虎ノ門」、参入済みの「ザ・リッツ・カールトン東京」、「ザ・ペニンシュラ東京」、「マンダリンオリエンタル東京」の「新・新・御三家」などの海外ラグジュアリーブランドに加え、「星野リゾート」も参入した。既存の「オークラ」、「ニューオータニ」、「帝国ホテル」、「パレスホテル」もリニューアルで迎え撃つ。
ホテル需要がほとんど蒸発している中で、東京都心部では、熾烈な生き残り競争が行われている。このホテル業界のマーケティングを、どう立案するかを考えてみたい。
これまでのホテルマーケティングは、オペレーションレベルでのマインドなどの気遣い論が多く、ホテルビジネスをどう展開するか、どう競争に勝つかという整理は少ない。
ホテルマーケティングのメッカといわれ、多くのホテル業界の経営層を輩出する米コーネル大学のテキスト(「The Cornell School of Hotel Administration on Hospitality: Cutting Edge Thinking and Practice」)も、ホテルマーケティングの独自の体系はなく、どううまく「ホスピタリティ」を提供するか、というオペレーション論が多く、もの足りない。
【注釈】
- [1] 製品サービス市場の売り手、買い手及び補完的な関与者を結びつけ、相互作用のある市場取引を行うための経済合理的な共通機能、のこと。
→MNEXT 「高収益な市場プラットフォーム事業をどう創出するか-MSP事業創出作法」 - [2] 同じ財・サービスを消費する個人の数が増えれば増えるほど、その財・サービスから得られる便益が増加する現象を指す。ネットワーク外部性が存在する財・サービスには、利用者の増加が更なる利用者の増加を促す"正のフィードバック"が発生する。
- [3] 消費者が払ってもよいと思う額と実際に支払う額との差。
→ミクロ経済学入門 西村和雄著[岩波書店、1995] - [4] 同じ機能や役割を持った同質的な商品サービスでも、収入によって「支払意思価格(WTP)」が異なる。「よいものを安く」の単一価格戦略だと、企業にとっては機会ロスになる。
- [5] Definitions of Marketing
American Marketing Association, 2017
→https://www.ama.org/the-definition-of-marketing-what-is-marketing/ - [6] →「現代マーケティングの知識」水口健次著[日本実業出版社、1976]
- [7] SWOTとは、強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat) を指す。マーケティング戦略を策定するには、「自社」についての分析と「自社をとりまく環境」についての分析が必要であり、SWOT分析は、そのための考え方と手法を体系化したもの。自社の強みと弱みを明らかにし、自社を取り巻く環境(顧客、競合他社、政府、経済状況、などの競争要因)に関するビジネス上の機会と脅威を明らかにする。