本コンテンツは全11回の連載です。
全体の構成はこちら
1.
戦略不在の現在
新しい戦略論を提案したいのだがその前に、戦略のようなものが日本企業にあるのか、ということと、これまでの戦略論は有効か、ということが整理されねばならない。この前口上と新しい戦略論の手がかりを探すことがここでのねらいである。
日本企業に戦略があるとは思えない。戦略を作る現場の仕事を支援してきた感想である。教科書的な中長期計画、前年度と無関係な年頭方針、とりあえずつくった事業計画書のことではない。現場で有効性を発揮し、すべての活動のバックボーンとなっている計画=戦略のことである。言い過ぎかもしれないが、「日本企業には戦略がない」と思う。
一方で、日本企業にはアメリカ流の分析的戦略家ではないきわめて独創的な戦略家がいる。とおり一ぺんの分析ではとても追いつけない、戦略思考をもった実務家が売上1000億円に対して1人という割合で現実の戦略を支えているようにみえる、いわゆる、「人物」がいる。トップの個性の強くない、コツコツタイプの日本企業ではこうした人たちがいろんな手段を使って企業の戦略をリードしている。
戦略の不在と独創的戦略家たちの存在、これが戦略がなくても世界で強くなった日本企業の現実ではないだろうか。最近、この戦略の不在という傾向に、拍車がかかってきた。独創的な戦略家たちも企業の戦略をリードすることが難しくなってきたようである。これには事情がある。ひとつは、戦略の不在に根拠を与える新しい戦略観、企業観が主流になってきたことである。もうひとつは、現実の市場が要請する戦略構築の難しさからである。
『ビジネス・ウィーク』誌の造語に「マネジメント・バイ・ベストセラー」という皮肉たっぷりの言葉がある。「ベストセラーによる経営」ということである。書店には無数の戦略書が品揃えしてある。この戦略書ブームを作り出したのは、戦略よりも行動を重視するという戦略観を提示したピーターズとウォータマンの著書「エクセレントカンパニー」である。1983年(昭和58年)である。戦略否定の書が、戦略書ブームのトリガーになったのである。
20年間の業績と業界の通の評判によって選ばれた、「周囲のあらゆる変化に器用に対応していく能力にとくに秀でた」超優良企業をフィールドした結果の散文的報告である。彼らは、これらの企業には八つの共通条件があるとしている。[1]行動の重視、[2]顧客に密着する、[3]自主性と企業家精神、[4]ひとを通じての生産性向上、[5]価値観に基づく実践、[6]基軸から離れない、[7]単純な組織・小さな本社、[8]厳しさと穏やかさ、である。選ばれた43社から抽出された、長期にわたり高実績と革新を続けるエクセレンズの本質である。
提案のひとつの焦点は、戦略よりも実践を、構築内容よりも構築プロセスを重視することにあった。この提案は、行動よりも分析的戦略とスタッフを重視するアメリカ企業には新鮮で異質な価値をもっていた。分析を重視するマッキンゼー社のプロジェクトの中から生まれた自己批判でもあった。しかし、戦略よりも行動とラインを重視する日本企業には戦略軽視の正統な根拠を与えることになってしまった。
こうした戦略観は、戦略構築をしっかりやらないで、ただ、ひたすら忙しくしていることを許すことになった。現場という名の現象へ、発想という名のコピーへと日本の戦略論は動きはじめた。
これは戦略論のコペルニクス的転回でもあった。「組織構造は戦略に従う」(チャンドラー)という命題による「はじめに戦略ありき」の戦略観が「はじめに組織ありき」(野中郁次郎)へと転回したのである。戦略もないのにアメリカ企業に勝る日本企業の説明に好都合であった。こうした戦略観が「戦略の進化論的アプローチ」へと流れていく。
もうひとつ、戦略構築がカットされてしまう本質的な事情は現実の市場の難しさである。企業を支える顧客が多様化し、異質化し、高速変化している。ピーターズは、近著のなかで述べている。「もはや、エクセレントカンパニーはない」「どの企業も安全ではない。IBMは、1979年に死を宣言し、1982年には絶頂を迎え、1986年に再び死んだ」(「混沌のなかの繁栄」)、という企業の死生観を披瀝している。こうした戦略の有効性についての無常観の背景には、多様化し、異質化し、高速変化する市場をただ、「わからないことが多発する環境」(野中)として捉えようとする環境観が横たわっている。この環境へのあきらめが新しい戦略論の根拠であり、戦略構築よりも内部で処理できる組織改革へと多くの企業を走らせている背景でもある。
市場の理解から戦略構築に時間をかけるよりも、人身一新で、人を変えればなんとかなるの心情で、独創的な戦略家たちも現場へ、ラインヘと移動しているのが、現場に起こっていることである。
結局、戦略不在の現在は、市場理解を「混沌」で済ます無力感と、市場の多様性、異質性、可変性という多変数を処理可能にする戦略構築の難しさがもたらしているのである。
今、日本企業に必要になってきているのは、市場の多様性に対応できるだけの市場分析力とそれを許容できるだけの幅のある新しい戦略論である。それが日本の実情である。この戦略の再構築がこれまでのマーケティングの幅ですむはずがないことはいうまでもない。