本コンテンツは、2006年末に行われた弊社社員向けの研修プログラムにおける松田の講義を要約したものです。
経営・経済
社会・政治
文学・歴史
自然科学
00
はじめに
『書評2006』ということで毎年1年間、大体毎月十数冊、或いはそれ以上の本を1年間集めてみて、大体200から300冊の中から選んで皆さんにご紹介しようと思います。それで、社員の皆さんが1年間不勉強なところをこの3時間ぐらいで取り返そうというところがこの狙いです。
我々の仕事というのは他人様に偉そうに小言を申し上げる。「こういうふうにしたらいいんじゃないでしょうか?」というふうに、ひとつひとつの仕事の中で調査をして、何らかの形でお客さんに「こういうふうにしたらいいんじゃないか?」というふうに偉そうにものを言う立場であります。どうしたらものが売れるかということを一生懸命考えてお客さんのためにそれを提案するということが我々の仕事なんですけれども、これはいわばプロとしての知識人の仕事であるというふうに考えてもらうのがいいんじゃないでしょうか。
知識人と一般の人との差というのは、一般の人というのは生活のことを一生懸命考えていればいいということなんですが、知識人というのはどうしても余計なことが気になって「自分は何のために生きてるんだろうか?」とか、「この世の中どうしたら幸せになれるんだろうか?」とか、「真実とは何か?」とか、「本当とは何か?」とか、「美しいとは何か?」とか、あるいは「善いとは何か?」とか、そういう余計なことばっかり考えている人を知識人と呼んでいるわけですけれども、世の中というのはそういう知識人とそれから一般的な人々とそのふたつの相互作用によって成り立っているわけです。この『書評2006』でやろうとしていることは知識人と呼ばれている人たちが、特に日本だけには拘っていませんけれども、一体どういうふうに世の中を捉えて、どんなふうにこの現代社会というものを捉まえようとしているのか、そこに焦点を置いてみようと。そういうことを自分に課してやっているわけです。
基本的には15冊選びました。『書評2006』という形で皆さんにご紹介したいタイトルは、「知のドラマ」、というのをタイトルにしてお話ししたいと思っているわけであります。
まず、「経営・経済」の領域から5冊、「社会・政治」の方から3冊、「文学・歴史」から4冊、自然科学から3冊。狙いは我々は職業知識人なので、世の中のことぐらいちょっと他の人よりも知っておかないとお客さんに対して失礼ですよということがひとつ。
それから、二番目に、現代というこの時代をどう捉え直したらいいのか、あるいは見たらいいのかというその見通しを知識人業界の方からちょっと見てみようかということですね。
それから、目次の読み方というのも皆さんにご教示したいというのが小さな目的であります。なぜ目次の読み方が重要かというと、こんなもの200~300冊、お前本当に読んでるのかと言われるとこれはなかなか難しい。精密に本を読むということは大変難しいことで。精密に読む本というのは月に1冊ぐらいのものですね。読むべき本の筆頭には岩波の古典文庫あたりが挙げられると思います。現代人の著作は目次を見て読むべきところを拾っていく、省略しながら読んでいく感じになります。しかし内容がわかるという読み方をしないといけない。そのポイントというのはどこにあるかというと、速読法ということもありますけれども、やはり目次を読んでいくということが非常に重要なんです。目次を読んでいって、仮説を持って読んで、それでその人の力量を判断して見ていく、そういうことが非常に重要なんです。そういう意味において目次の読み方というものを皆さんよく勉強して欲しい、これを通じてちょっと習得して欲しいなというふうに思います。これはなぜ重要かというと、「概念操作」ということが非常に重要であるということです。
目次の構成というのはプレゼンテーションのストーリー構成と非常に密接に関わっておりますので、そういう意味でドラマ性、プレゼン、ストーリー、そういうものをどうつくっていくかということを理解して欲しいということでもあります。
『書評2006』では、すべて目次を紹介しますので、目次の読み方というものをよくご理解いただければと思っているわけです。
01
経営・経済
まず、「経営・経済」から紹介していきます。経営というものについて、この書評ではあまり取り上げないんです。なぜ取り上げないかというと、まだ経営とかマーケティングの学者の先生というのは歴史が浅い。そのせいか、経営とか経済、特にマーケティングの本で取り上げたいと思うものが少ないのです。そんな中でも今回入れましたのは梅田望夫さんの『ウェブ進化論-本当の大変化は、これから始まる』、篠原三代平さんの『成長と循環で読み解く日本とアジア』、野口悠紀さんの『日本経済は本当に復活したのか』、それから原洋之介さんの『「農」をどう捉えるか-市場原理主義と農業経済原論』、最後にスティーヴン・レヴィットさんの『ヤバい経済学-悪ガキ教授が世の裏側を探検する』です。
この『ヤバい経済学-悪ガキ教授が世の裏側を探検する』は、タイトルで売れたそうなんですが、結論から言いますとこの中でどれが好きかというと、やはりこのレヴィットさんです。経済学者というのはすぐ難しいことを言いたがるというか、難しいく言ってわからないようにするというか、数学信者というか、そういう側面をたぶんに持っているんですけれども、これからの経済学というものを非常に示唆するレヴィットさんという方は、まだ28か29歳で、今シカゴ大学の教授をされているみたいです。ハーバードの助教授からシカゴに移りまして、「フリーコノミクス」という造語を使ってますけれども、これは「インセンティブ」をベースにした非常にいい本だと思います。
それから、原洋之介さんですね。東大の農業経済学を背負っている人です。一生懸命書いたという本ですね。だいたい団塊の世代の人たちが60代になってきまして、60代というのは、だいたい思想体系ができ上がってくる年なんですね。原洋之介さんも自分の構想とか自分のやってきた東大の農業経済でずっと頑張ってきた歴史とか、そういう東洋史研究のところでやってきた成果が60代になってやっと出てきた。思想とか哲学というものが自分の中で芽生えてくるというのはやはり60歳過ぎてからかなというふうに思いますけれども、それをまとめた本ですね。
この5冊を経営・経済の分野で取り上げて紹介していきたいと思います。こちらも限界があるのでこれぐらいしか取り上げられなかったという面がありますけれどもね。
(1)『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』
まず、梅田望夫さんの-本当の大変化はこれから始まる-という『ウェブ進化論』、ちくま新書から出されております。『フォーサイト』(新潮社)でずっと連載してまして、1ページで連載されてきたものをまとめた本ですね。この本は今年のマーケティング業界、経営に圧倒的な影響を与えた本と言っていいと思います。「ウェブ2.0」と言われている領域を、日本に紹介したものです。この本は非常にお得。これだけの分量とこれだけの内容で新書版で780円くらいだというのはすごいなということです。
目次は、8章構成になっております。
- 序章 ウェブ社会 本当の大変化はこれから始まる
- 第1章 「革命」であることの真の意味
- 第2章 グーグル 知の世界を再編成する
- 第3章 ロングテールとWeb
- 第4章 ブログと総表現社会
- 第5章 オープンソース現象とマス・コラボレーション
- 第6章 ウェブ進化は世代交代によって
- 終章 脱エスタブリッシュへの旅立ち
この本は、今、新しいことが起こってまして、それが革命なんだということが言いたいわけです。何が革命の要因になってくるかというと「グーグル」がひとつ。それから「ロングテール」です。これはアマゾンなどでよく言われるものですけれども、売上の顧客商品の分布をとってみると非常に長いすそ野のように分布が広がっている、そういう現象です。「ベキ分布」の一種ですけれども、そういうふうになっている。
世の中のことが全部正規分布で起こってると、釣り鐘型のきれいな分布になる。身長、体重とかそんなものは全部正規分布なんですね。だから、どういうことが起こるかというと、平均とってみると身長が日本の場合165センチぐらいだとすると、それの1シグマ、2シグマぐらいで、「シグマ」、つまり標準偏差がわかるわけですね。だいたい7割とか8割とか9割ぐらいの分布がわかるということなんです。
ロングテールというのはそういう現象じゃなくて、ベキ分布なので非常にすそ野が長い。だから、平均というものが意味がない。したがって、先ほど言いましたように、平均があって、その回りに標準偏差があったときに、それをとっても何の意味もなくて、その分布の特徴を現すことができない。それくらい非常に長い分布を示している。世の中の現実というのはそういうベキ分布に従ったものではないかというのが第3章ですね。
それから、第4章が、今年の『TIME(タイム)』(タイム・インク)の表紙になりましたが、「あなた=YOU」ということなんです。結局ブログ、そういう総表現社会というふうなものを紹介したということです。
それから、第5章目に「Linux」を初めとするオープンソース、それから「オープンオフィス」とかそういうオープンソース現象というものとソーシャルネットワークサービスに見られるようなマス・コラボレーション、そういうものを紹介したものです。
つまり、新しい現象として文章から読み取れることは何かというと、グーグルが登場したということ。それから、インターネットの世界で起こっていることはロングテール分布であるということ。それから、ブログが出現してみんなが表現できる、みんなが表現者になってきたよという話。それから、今までクローズドなマイクロソフト、ウィンテルというものが支配する世界からオープンソースというふうなものの世界にだんだん変わってきたんじゃないか。この四つの現象を含めて現代社会というのはこの世からあの世に移ろうとしているんだというのが一番言いたいことですね。それを微に入り細に入り、自分の私的事情から細かい現象まで入れて非常にてんこ盛りでまとめている本、それがこの本です。
これだけ膨大な分量、詳細な記述を収めてるのがこの本です。だから、非常にお得。800円ぐらいで買おうとしたら非常にディテールな現象がわかるという意味で非常にお勧めの本です。これが売れた理由が本当によくわかります。今でもフォーサイト誌でずっと連載しておりますけれども、そういうことですね。
最後に、彼のキーワードを紹介しましょう。インターネットの「こちら側」と「あちら側」です。「こちら側」というのは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したフィジカルな世界のことを指します。対して「あちら側」はインターネット空間のバーチャルな世界のことです。私は「この世」と「あの世」と読みかえてみました。「この世」にいるのは、典型的にはソニー。「あの世」にいるものというのは典型的にはグーグルですね。マイクロソフトはどっちにいるかというと、どうも「この世」にいるようだと。これからは「この世」から「あの世」に変わっていく。日本というのはまだまだ、日本のすべての企業というのは「この世」にいて苦しんでるんだ、全然儲かってないんじゃないか、そういうことですね。それで、最後に革命で常に起こる現象として、すべての権威とかそういうものが崩れていくということです。
目次から何を読むかというと、そういうことを読めばいいんです。そうすると1日も2日もかかるような本の読みが2~3時間で済む。そこまで想像力を働かせて読む。ポイントをどんどん読み続けていって、それで一番知らないところだけは自分の頭の中にインプットしていくということだと思います。
特に驚かされたのは、我々はグーグルというものの会社の情報について、或いはグーグルがやってることについてさっぱりとわからなかった。ところがグーグルの世界というものが恐ろしいものだということがよくわかってきたというのが梅田さんの成果だと思います。日本でのグーグルの紹介者というふうに言ってもいいと思います。
グーグルというのはご存じのように、ネットワーク・コンピュータのシステムなんですね。我々は何もいらない。パソコンを持っていて、ウェブ環境、つまりインターネットエクスプローラーでもいいし、或いは他のプラウザでもいいんですけれども、ブラウザが載っていれば、あとはグーグルの世界が、いろいろなアプリケーションとかコンテンツとか情報とかを見れるようにしてくれる。そういうものがグーグルの世界なんです。
それを突き詰めていくと、ウィンテルが要らなくなる。それから、クローズドなOS支配もなくなってくる。あるいはオフィスというのもなくなってくる、それぐらい革命的な意味を持っているということを紹介してもらった本がこの本かなというふうに思います。
したがって、ウェブ2.0とかというのは別にタイトルだけで中身は具体的に定義されていないわけですけれども、そういうものを広める大きな役割を果たしたということです。
特にグーグルというものの見方がふたつあるわけですけれども、グーグルをこれからどう見ていくか、或いはグーグルがこれからどういうふうな影響を与えてくるかというものを分析する。それがこれから必要になってくるんじゃないかというふうに思います。
そういう意味においてこれはいい本ですので、特に現実を知らない人、そういう人にとってはこういう本を読んでみるのもいいんじゃないかなと思います。
(2)『成長と循環で読み解く日本とアジア―何が成長と停滞を生み出すのか』
それから、篠原先生ですね、1919年生まれですから、87歳になられました。だいたい経済学者は長生きですね。一橋系の経済学者として著名な方です。経済の世界というのは、今は東大と一橋とそれから阪大が主流ですね。この篠原先生の本は実証をベースとするものです。頭だけで勝負しない、体も使って勝負する経済学者。そういう実証で勝負していくタイプの先生ですね。「統計研究会会長」をなさっています。
今年、日本経済が復活したと言われたわけですが、「成長と循環を読み解く日本とアジア、何が成長と経済を生み出すのか」ということで、目次は4部構成です。
- 第I部 日本経済の停滞と課題
- 第II部 論点でつづる日本経済の成長と離陸
- 第III部 アジア経済の加速化
- 第IV部 国際比較分析でみる世界経済
第I部の一番大きなポイントというのはどこにあるかというと、「第1章 平成期不況の真実」、この第1章が一番のポイントだと思います。日本経済の停滞と課題、平成不況の真実、中国経済拡大効果と構造改革効果とか、低成長下の大量国債発行と郵政民営化とか、世界一の対外純資産と先進国一の財政赤字とか、こういう日本経済の現状みたいなことが1章に書かれてあって、その次にいろいろな形の論点がありますね。高度経済成長の理論と政策とか、猪木武徳氏との対談とか戦後何とかかんとかとずっとありますけれども、戦後の産業政策とか貿易摩擦論とか成長論争とか在庫論争、設備投資循環論争とか、輸出主導型成長と為替レート、産業政策の利点とか、これまで経済学の世界の中で論争になってきた論点は篠原三代平さんなりの観点から整理されています。
それから、最近のお題としてはアジア経済について東アジア経済からどのように変わってきているか、中国経済というのはどうなのか、インド経済というのはどうなのかと、BRICs(ブリックス)に代表されるそういうアップデートなテーマをここで取り上げており、そして国際比較分析による世界経済となっています。
先生は景気循環がご専門でして、景気循環というのはどういうのかというと、人生山あり谷ありと同じようにすべてのものに山があり谷がありますけれども、景気にも常に山があり谷がありという、そういう現実的な現象に着目し、経済現象の時間的系列に対する分析をしていくものです
よく発見されている循環というのは四つあるんですね。「在庫循環」「設備投資循環」「建設循環」「コンドラチェフの波動循環」です。それぞれサイクルの長さが違うわけです。我々の音でも水でも何でもそうですけれども、そういうのはそれぞれ純粋な音がいろいろ混じって雑音として聞こえてくるとそれが現実ということなんですけれども、それを分解すると四つの波に分かれるというのが、だいたいよく言われている説なんですね。篠原先生というのはそれをずっと実証分析されている先生です。一生をそれに懸けたと言ってもいい。
そういうことを分析していったときに、第1章が一番重要なわけです。第1章が一番重要というのはどういうことかというと、「一体、なぜ今日本経済というのは復活しているのか?」というのを説明しようという動機なんですね。経済というのは、経済とか経営とかという現実問題をどう分析できるかというところが一番の鍵なわけです。そのところが非常に重要なわけです。平成不況の真実というのは、一体何なのか?この篠原三代平大先生は平成不況の真実をどう捉えていったのかというところをご紹介したいと思います。
こうした長期不況をただ政策不況としか考えない人もいます。「これは政策の失敗だ」と。あるいは不安不安というふうに言って消費不安とかそういうものを煽るとか、あるいは経済政策が失敗したとか、トゥーレート、トゥースモールとか、政策をとっても小さ過ぎたり遅過ぎたりと、とにかく経済政策が失敗して、バブル後の長い長い長い長い不況が1991年以後約10年にも渡る、或いは15年にも渡る長い不況を経た、そういう意味で全く政策不況だったというふうに言う人がいる。
しかし、篠原先生はこう言うんですね。「しかし、私はその7割以上が大型バブル崩壊不況だと考える」と。つまり、「バブル崩壊がこの長い長い長期低迷の不況の原因である」と。それが長期不況の真実なんだということを言うわけですね。「私は人生懸けて、いわゆる景気循環の現象を分析してきた。分析していくと、だいたい1701年から大きな長期波動の循環があって、その長期波動の循環からいうと、ちょうど日本のバブルというのは、世界経済における第六回目の過剰流動性に伴う大不況が起こったんだ」、と私は先生の意図を読んでいます。
第一回目というのは1701年から1714年のスペイン継承戦争の時に起こって、その後1720年にはロンドンでの南海泡沫事件や、パリでのミシシッピ会社事件によるバブルが起こりました。それから、第二番目の循環というのは1756年から63年の7年戦争で起こって、1772年の恐慌になった。第三番目は1793年から1815年のナポレオン戦争に起こって、1825年に大恐慌が起きた。それから、第四番目は1861年から65年のアメリカ南北戦争の時に起こって、同時に1870年から71年末にプロシアとフランスにおいて顕著でした。それでビスマルクとナポレオン3世が戦ってフランスが破れてドイツ統一になるわけです。その時に1873年恐慌が起こりました。その後、1914年から18年にかけて第一次世界大戦が起こって、1929年恐慌が生まれた。第6回目が日本のバブル。それがあまりにも大き過ぎて、大型バブルであったためにその大型バブルの結果として長期大不況が、平成長期大不況が到来したんだというのが篠原先生の説なんです。
こういうふうに、いわゆる長期の過剰流動性というものが、過剰流動性というのは簡単に言いますと、世の中にお金があり余ってしまうということですが、お金があり余ってしまった結果として、いろいろなものが高くなったり、いろいろなところでバブル現象が起こってくる。日本でいいますと地価が高くなったり、株価が高くなったりとかですね。だぶついたお金が株式市場にいったりとか、あるいは土地市場にいったりとかしてどんどん高くなっていきました。
今、韓国がバブルなんですね。韓国は日本のGDPのだいたい10分の1しかなくて、一人当たりのGDPが日本の半分しかないような国ですが、マンションは1億円から2億円もするわけですね。そういう非常にバブル現象というのが起こってくるわけです。そのバブル現象が起こってくる一番大きな原因というのは、こういう過剰流動性、お金があり余るということです。
日本の場合は国際協調路線というのがありまして、アメリカの「双子の赤字」というのがありましたけれども、その結果、1980年代低金利政策を採らざるを得なかった。その結果として、過剰流動性が起こった。過剰流動性というのは、世界中の通貨が基本的にドルしかないので、ドルをいくら刷ったってアメリカは刷り放題という構造になっている、というのが一番大きな原因なんです。そういう形で過剰流動性が発生した。そこにもってきて設備投資とか過剰の投資を行い、──だいたいあの時に日本で行われた設備投資というのはGDPの約20数%、フランス経済の5倍分のものをだいたい1年ぐらいに設備投資をやるというとんでもない設備投資をやったわけですけれども、──その結果として日本にバブルが起こってしまったんだということですね。したがって、平成長期不況も大型バブル崩壊後の長期的後退の一環として解析してよいというのが篠原三代平先生のお考えであるわけです。
そういう理屈から言うと、今どうなのか。ふたつポイントがありまして、ひとつは戦争によって生じたバブルではなくて、今回は戦争以外の要因、構造的な要因でもって過剰流動性が生じてバブルが崩壊した。その結果、どうも日本の景気循環の長期のサイクルというのがずれたようだ。10年サイクルできていたものがどうもそれが20年サイクルになっている可能性があるというのが篠原さんの循環論のポイントのひとつです。
それからもうひとつは、その循環の設備投資の規模がどうも変わってきているのではないかということです。このふたつのポイントがこれまでの循環とはちょっと違う点、というふうにあげているわけです。
結論から言うと、設備投資はもっと上がっていくというのが篠原先生の考え方です。2010年ごろに設備投資が対GDP17%ぐらいに上がっていくんだと。ということは、これから2010年にかけて日本の景気はもっとどんどん上がっていくということになっていくと言われています。そういう循環に関して篠原先生はふたつの証拠をあげているわけですけれども、ひとつは民間設備投資対GDP比率の長期循環がどうなっていくかということと、第二番目に有効求人倍率の長期循環というのをあげているわけです。平成バブルのときに有効求人倍率は1.4で、今1.06(2006年11月・季節調整値/厚生労働省2006年12月26日発表)ぐらいですけれども、これは恐らく2010年頃に1.2まで上がるだろうということです。だから、労働者数というか雇用者数と設備投資、つまり需要をつくり出すふたつの大きな背景というものを考えていったときに、これから2010年に向かってずっと上がっていく過程にあるんだと、それが篠原先生のポイントです。
したがって、今現在の景気がいいというのは景気循環の過程からいって当然だろうというのが先生の見方であります。しかしながら、その根拠というのは、徹底した循環論的な見方からきているということもお忘れなくと思います。これは非常に真面目な先生の真面目な研究なのでご紹介しておきます。
(3)『日本経済は本当に復活したのか―根拠なき楽観論を斬る 』
三番目に、「日本経済は本当に復活したのか?復活しとらへんわ、そんなもの!」というのが野口悠紀雄先生の主張です。
元大蔵官僚で、スタンフォード大学に客員教授として行かれて、今は早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授をされています。
この本は、「そんなものウソやないか!」ということなんです。「そんなもの全然復活してない!」と。サブタイトル『根拠なき楽観論を斬る』ということなんですけれども、それのポイントですね。章構成はこうなっています。
- 第1章 経済の現状を虚心坦懐に見つめよう
- 第2章 ライブドア事件を考える
- 第3章 株主不在の日本式経営を考える
- 第4章 企業の社会的責任論を排す
- 第5章 財界と国策会社
- 第6章 インターネットのビジネスモデル
- 第7章 何で今ごろ郵政民営化?
- 第8章 人口減少社会で必要なのは何か?
- 第9章 小泉税制改革を総括する
- 第10章 国の形を考える
- 第11章 世界は大きく変わっている
ポイントをいくつか紹介したいと思います。目次を見ていただいたらわかるように、一番大きなポイントは第1章にあります。「経済の現状を虚心坦懐に見つめよう」と。見つめているのが4ポイントあります。
ひとつは、企業収益の回復は本物ではない、企業収益は回復してないよということです。二番目に、金融機関は冬の時代を脱したか?全然脱してない、と。金融機関はもう本当に冬真っ盛りの中にいるじゃないか。三つ目は、今は家計に犠牲を強いて企業が生き残っただけじゃないか、ということです。最後に、日本経済の問題はライブドアだけではない。つまり、ライブドアなんていう、ちっぽけなものに比べてあのグーグルというのはどうなの?、すごいじゃないか。日本というのは新興のIT企業が大手を振って歩いて、結果として何も起こらなかったじゃないか、そういうことを言ってるわけですね。だから、「日本経済が復活してるなどと言うんじゃないよ!、全然だめじゃないか」、というのが野口先生の主張なんですね。この説も確かにあるわけです。
まず、「企業業績の回復は本物ではない」ということですね。増益は事実です。確かに増益している。株価上昇をもたらしているというものも考えてみると、確かに利益を出している。バブル期以上に利益を出している企業も多い。しかしながら、それは全部一時的なんだというのが野口先生の見方なんですね。確かに株価は上がっているけれども、それは非常に一時的である。どういうことかというと、製造業というものをみてみると、輸送用機械、つまり自動車が64.7%の増益、鉄鋼は59.9%増益、石油・石炭が17.7%増益というふうに輸送機械、つまり自動車と鉄鋼と石油・石炭が著しく高い伸びを示していることは事実です。それが全体の伸びを押し上げているんです。これに対して情報通信機械というのは43.0%の減益、電気・機械というのは18.6%の減益。したがって、これからの日本の産業を支えていく情報通信機械と電気・機械というのは減益じゃないか。もう一方の輸送機械、鉄鋼、それから石油・石炭の増益というのは何が支えているかというと、実は値上げじゃないか。需給逼迫で価格引き上げができたから増益になったんだ。したがって、日本の増益というのはものすごい短期的で一時的なものである。したがって、そういうものはあてにできない、そういうことを言ってるわけです。だから、今の経済回復というのはウソなんだと。
国際比較でいくと、さらにとんでもないことになっているということですね。ROA(Return On Assets:総資産利益率)で比較してみると、トヨタは4.8%、キヤノンは9.6%です。これに対してアメリカのインテル、シスコシステムというのはそれぞれ17.5%、16.8%と、とんでもないROAの比率であって、日本は21世紀的製造業にまだまだなれていない、そんなふうに野口先生は言うわけです。
第一番目に、企業収益の回復というようなものは全く本物ではなくて、まだまだダメなんだ!と。
それから、金融機関というのはバブル崩壊後、大変足を引っ張ってきたわけですが、今、金融機関が回復してみずほ銀行がもう一度国際舞台に出ていくとか三菱東京UFJ銀行の業績がめちゃめちゃいい、とかそんなことが言われているわけですけれども、これもウソだ!ということが言われています。
今、世界の金融機関の自己総額ランキングにおいて三菱UFJファイナンスグループは第二位です。みずほファイナンシャルグループは第12位まで上昇しております。これだけ上がってきたということなんです。しかし業績回復しているのは、いわば見せかけなんだ、ということが言いたいんですね。日本の金融機関の利ざやは低水準、極めて低水準、とにかくでかい金を動かしているんだけれども、それの利ざやというのはものすごく薄い。薄いというのは、貸付条件を貸付先企業のリスクを考慮して適切なレベルに設定しないからだと。要するにリスク評価の能力がないから、安い金利しか貸し出しできなくてそれで儲けることができないような状況になっているんだ、ということです。それから、銀行の収益率が非常に低いという理由のもうひとつは、運用資産のうちのほとんどを国債で運用していて、リスクマネーを運用しているようなことになっていないからだと。したがって、日本の金融機関が回復したというのは見せかけに過ぎなくて、経営的には昔と全く変わっていないというようなことが起こっているんだということですね。
日本の金融機関は収益率を高めるべきだということで手数料ビジネスにどんどん出ていこうとしているけれども、金融機関というのはまだまだそういう手数料ビジネスというのができるようになっていない。まず基本のリスク管理がそもそもできていない。50年代にマルコビッツという人が開発した「平均・分散フロンティア」という分析手法も実務的に生かせる金融機関なんて日本にはどこにもないんだというわけです。そういう意味で金融機関が回復したというのはまるっきりうそじゃないかと。これはなかなか現実的な評価をしているなというふうに思っています。
第二番目、「金融機関は全然ダメだ!」という話です。
第三番目、「家計に犠牲を強いて企業だけが生き返ったのではないか」ということですね。1990年の時に家計の受け取る利子というのは38.5兆円でした。大体400~500兆円のお金を銀行に預けて受取利息というのが1990年で38.5兆円でした。その後一貫して減少を続けて、2003年これがいくらになったか?40兆円の利子をもらえるところが今いくらもらっているか?一般の人々は。1,500兆円の金融資産を預けていくらもらっているかというと5兆円。つまり、40兆円から5兆円まで8分の1まで縮小したんです。利子所得という、本来家計にいくものが銀行にいっただけなんです。それが家計に犠牲を強いて企業が生き返ったということですね。
いろいろな見方ができますけれども、企業業績が回復しても賃金にそれが全く波及していない。利子の再配分というのを考えていくと、家計が本来もらうべき利子というのは返っていってないし、それから家計が受け取る賃金俸給、つまりサラリーも1980年には約118兆円、1991年には211兆円まで順調に増加していきましたが、1997年に242兆円になって、それ以降ほぼ一貫して減少して、2003年には222兆円になっている。つまり全体の所得分配からいって家計に分配される部分というのは非常に少なくなってきている。つまり、利子所得の配分からいっても、全体の所得の再配分の面からいっても家計所得が少なくなっている。つまり、「家計に犠牲を強いて、企業と金融機関が儲かっている構図」です。それが非常に短期的な今の日本の経済の回復を支えている根底なのだということですね。
何よりも一番先生が、景気回復が本物ではないというのは、第一に、利益が顕著に増加したのは原料・素材産業を中心とする一部の業種だと。第二に、その利益増を新しい時代に対応する新しいビジネスモデルを確立されたからではなくて、値上げが可能な世界経済の環境があったからもたらされたんだと。それは一時的循環的現象であっていずれ反転する。第三に、利益額が増加した、企業は利益額が増加したといっても利益率で見ると依然として低い。とりわけ本来は日本経済の未来を担うべきエレクトロニクス関連企業の利益率は惨憺たる有り様であって、日本経済が復活したというふうなウソをつくな!というのがこの本です。篠原先生の説と全く違う説なんですけれども、こういう見方がある。
皆さんもまず2006年の現状を考えていくときに、『ウェブ進化論』という、ウェブ2.0という世界をひとつは見通す必要がある。それから、『成長と循環で読み解く』という、篠原先生のような日本経済回復論に対して一定の知識を持っている必要があるのと、野口先生のようにまだまだだという説もある、そういうことですね。
(4)『「農」をどう捉えるか―市場原理主義と農業経済原論』
それから、もうちょっと遠いスタンスで考えられているのがこの原先生ですね。私も昔から読ませていただいている先生ですけれども、『「農」をどう捉えるか』。1944年、兵庫県生まれですね。
この本の構成というのは次のとおりです。
- I部 明治期の農政論
- II部 大正・昭和初期の農政学・農業経済学
- III部 昭和後期の農業経済学
- IV部 比較農業論の構築に向けて
先生としては自分の人生の集大成としてこの本を書こうとした。これは大きな大きな展望を描いている本であるということがこの章構成を見ればわかると思います。市場原理主義に対して農業をベースとしたアジア基軸の新しい経済圏を構築しなければならない。これがこの本の主張なんですね。
これは一定の日本の知識人の業界にある根強い流れのひとつで、それを何とか理論づけて世界に通用する理論にしたい、そういう本なんです。
農業経済学の、アジア経済論と言ってもいいかもしれませんが、それの専門家ですね。トップクラスの学者さんです。皆さんも名前ぐらいは知っておかないといけない人です。
明治期の農政論ということなんですけれども、こういう構成になっています。ポイントは「IV部 比較農業論の構築に向けて」です。これがこの先生の提案のポイントなんですね。I部、II部、III部は学説史ですね。だれも書かなかった学説史なんです。農業経済論についてだれも書かなかった学説史を俺が書いてやろうという気概がI部、II部、III部にあります。
日本の経済学というのはどこからスタートしていくかというと、──日本は後進国でした。明治期になって初めて近代化をスタートさせたわけですから、──これは産業からいくと農業です。日本の経済学のスタートというのは農業経済学から始まった。農業を何とかしなければ日本経済というのは良くならない。つまり、「明治期の経済学=農業学」だと、それが農政学だいうわけです。したがって、官公庁へ行っても農林省が圧倒的な力を持っていたということになるわけです。ちょっと前の1970年代の通産省(現、経済産業省)と同じだけの、それ以上のパワーを持っていたのが農林水産省と内閣府というか、内務省ということになります。それが戦後、力関係が変わっていった。だから昔は、優秀な官僚たちというのは全部農林省とか内務省とかそっちの方へ行ったんですね。
農業学、農業経済学が光り輝いていた時代があったわけです。農業学、農業経済学が光り輝いていた時代があったわけです。今の東大の学部でいえば理IIにあたりますが、当時は、それが現在の経済学部の前身よりもずっと光り輝いていたわけです。
原先生は何から日本の経済学をスタートさせているかというと、──つまり経済学の歴史を書くということはイコール自分の主張を込めていくということですけれども、──新渡戸稲造の『農業本論』からスタートしていく。新渡戸稲造というのは、ご存じのように北海道大学で農業経済学の指導をされた、前の五千円札の肖像の人です。岩手県出身の人で、東京女子大の初代学長でもあります。原先生は『農業本論』からスタートして、横井時敬、それから柳田國男などについて述べていきます。
柳田國男の農業論は私も大好きでよく読んでるんですが、昔の優秀な人たちは農業のことを本気で考えたわけです。農業のことを考えなきゃ日本の経済というものを考えることはできなかった。それから、高岡熊雄という人の『農業開拓論』、それから那須皓。そして、東畑精一さんは(ヨーゼフ・)シュンペーター著書の訳者としても有名です。東畑さんがいわゆる現代の東大経済学の原点みたいになってくるわけです。それから、マルクス経済学の中で、宇野弘蔵を生み出していくわけですね。そして、宇野弘蔵のところから生まれてくるのが岩井克人、前の東京大学経済学部長ですね。そこで伊藤元重とかいろいろ出てくるわけです。
そういうふうに明治期の原点となる農業学があって、大正時代に東畑精一なんかが出てきて農業学を完成させるんだけれども、昭和に入ってそれがいわゆるマルクス経済学の方に流れていくのと、それから市場原理主義という形で農業が忘れ去られていく。東大経済学部の前の学部長もマルクス経済学出身の方になってます。だから、原先生は「本流に戻せ!」というのが基本的な主張としてあるんだと思います。結論からいきますと、「新渡戸稲造に戻せ!」というのがこの主張の原点になります。そういう意味でI部、II部、III部というのは学説史なんです。
ポイントは4点あります。比較農業論の構築部分ということですね。
これは何が言いたいかといいますと、日本の農業というのはものすごい個性的なもので、日本の経済というのは農業の非常に個性的な初期条件の下で発生したんだということです。資本主義というのは、「プロト工業化」というふうに斎藤修さんなんかは言ってますけれども、いわゆる農村部というようなところに農村で使われる農機具なんかをつくるところができて、そこである共同体とある共同体との間で交易が始まる。それをベースにして地域農業経済というのができていくという構造になっているわけです。日本の場合はそういう分離型じゃなくて、いわゆる耕作機械とか鋤とか鎌とかの製造を内部的条件で興していくというふうなこと。あるいは生産性を上げていくために欧米においては農地を広げていくと。日本のヘクタール値でいくと10倍とか100倍とかという単位で、100倍以上の単位でオーストラリアとかアメリカの農業は行われていますけれども、日本の農業というのはせいぜいそれの100分の1とか10分の1でやっているわけです。そうすると、経済学の常識ですけれども、生産性を考えてみると、その生産性で圧倒的に負けるわけです。同じものをつくると絶対的に負けるわけです。そういう絶対的に負けるという条件からスタートしている。その特殊な条件の中で日本の農業はスタートしてきた。
そこで日本の農業というのは大苦境に陥るわけですね。明治以降それが直接的に世界経済とリンクしてくる。後で第二次世界大戦がなぜ起こっていったかということですね。これは農業の破壊というか、世界的な大不況というか、大暴落というのがベースになって、東北の岩手を含めた農村地域でどんどん悲惨な状況が起こっていって、どんどん女の人が売られる。世界中に売られていくという状況が起こってきたわけです。そういう悲しい苦しみの世界の中から二・二六事件が起こって、日本が発狂していってどんどんと世界侵略に乗り出していくという歴史を経ていくわけですけれどもね。
そういうことの中で原点にある日本の農業ということを考えた時に、非常に小農経済からスタートしていった。そういう日本の農業の個性、そういう個性的な近代化というものもまずあったんだ、というのがこの主張のポイントなんですね。IV部の1を紹介していますが、日本農業の個性とはそういうところにある。発展のパターンがものすごく違う。日本は体を小さくして勤勉化することによって小さい土地で生産性を上げる、いわゆる勤勉革命を起こした。同時代にイギリスではアークライトらによる紡績機やワットらの蒸気機関などの発明の成果を活かした機械的生産主導の発展も含めて、産業革命によって生産力が拡大したのに対して、明治時代、江戸時代の日本の農業の生産性というのは勤勉革命によって、つまり真面目にこつこつと一生懸命米づくりに励むことによって生産性を上げようとした。ですから、西洋における産業革命と日本における勤勉革命、こういう特殊条件の差があったんだと、そういうことを言ってるわけですね。
そういうことの上で、日本の農業というのは小農経済でペザント・エコノミー、百姓経済というような状況が日本の個性だというのが確認点のひとつです。
それから、第二番目に生態適応型伝統農業の多様性、これは中国に行ったら灌漑農業があるし、東南アジアに行ったら焼き畑耕作農業があるし、あるいはインドネシアみたいなところに行くと、根栽農耕というのがある。つまり、農業というのはものすごい多様なんです。アジアにおける農業というのはものすごく多様なんです。その多様なところに世界市場に売るための農業が形成された。それがイギリスのエンクロージャーとアメリカの綿プランテーションという農業。それから、米、小麦の商業的農業発展というようなものがアメリカでどんどんと起こっていった。ほとんどアメリカの農業というのはもう完全に産業化されてしまっているわけですね。それから、ミャンマーのメコン川下流地域に行きますと米作が発展していく。それから、東南アジアの植民地では、いろいろな農業経済が発展していく。世界市場に「売る」ため、その土地の固有の条件、そういうものをベースにした農業じゃなくて、世界市場に売るためだけの農業が形成されわけです。一方でアジアにはものすごいその土地とか環境に適応した多様な農業があって、もう一方でアメリカ、イギリスを中心として輸出するための近代化された産業的な農業ができた。そういうものがあったんだという確認の上で、したがってすべての農業は歴史的経路依存性を持っているんだというわけです。
原先生は、苦しんで苦しんだ結果としてどう理解したらいいんだろうと考えた。どういうことかというと、アメリカ農業を徹底的に追求していくとこれは完全に市場原理主義になるんです。日本の農業の、例えば農業というのは経済を超えたものだ、みたいなことを言うともう経済社会で通用しないわけです。それをどうするかというふうに考えるときに、自分の頭の中で多様性を処理するかわりとして原先生が編み出してきたのが、近代経済学とマルクス経済学のぎりぎりの接点であるところの歴史的経路依存性という考え方です。
つまり、「それぞれの地域はそれぞれの地域の歴史に依存した農業を持っているんだ。それが農業の本質である」というのが原先生の言いたいことです。したがって、それぞれの農業というのをどういうふうにこれから生かしていくかというのがこれからの日本の農政論のポイントなんだというわけです。そのための経済学をつくるべきで、それは地域経済学であるべきであるというふうに言ってるわけです。
それから「農業と地域経済を問題にしない経済学なんていうのはダメなんだ。これからの農業経済に課された不易の課題というものは地域をベースにした農業経済をベースにしたそういう経済を目指さなきゃいかん!その経済の原点はどこにあるかというと、新渡戸稲造と柳田國男の経済学にある」というのが原先生の主張です。
「日本は東南アジアの中国を含めていろいろなアジア地域に独自の農業文明圏というものを提案して、その提案の上で地域経済論をベースにして新しい日本の固有性を乗り越えた東南アジア地域経済論として農政論をつくっていかないと日本の農業というのは生きる道がない」というのが結論です。雄大な構想です。
(5)『ヤバい経済学─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』
原題が「フリーコノミクス」という、この本は1年か2年前に出た本で、著者はスティーヴン・レヴィットさんという方です。2006年に翻訳されました。ジャーナリストのダブナーという人と、それからこの経済学者のレヴィットさんの共著です。今、シカゴ大学で教鞭を執っています。2003年、40歳未満で最も優れたアメリカの経済学者に贈られる「ジョン・ベイツ・クラーク・メダル」を受賞しております。
『ヤバい経済学』という、このタイトルやめてくれと、出た時は思いましたけれども、ベストセラーに入ったんですね。だから、結果としてよかった。しかし、内容を知った人にとってはちょっとやめてほしかったなと思います。内容は「応用経済学」です。『応用ミクロ経済学』というのが、この人が本来考えていた本のタイトルです。
この本は売れました。大変売れました。ビジネスのベストテンには入っていないかもしれないけれども、15位かそれくらいには入っていると思います。このタイトルだけ見ると"いかがわしい"感じですが、中身は超真面目。経済学で最も重要な概念のひとつである「インセンティブ」についてのお話です。「インセンティブ」という考え方をここまで現実に応用して説明できるというのはなかなか大した力量だなと思います。
これはやはりこれからの経済学のひとつの見本だと思いますね。やはりできるだけ易しい数学を使ってきちっと現実を切っていく。大理論とか大モデルの時代はもう終っている、というわけです。したがって、現実の具体的な現象にきちっとロジカルな根拠というか、合理的な論理性というものを与えていく、それをゲーム理論でやったりとか、簡単な数学的なモードを使ってやった。足し算、引き算だけでシンプルに語れるのが、経済学の本当は理想的な姿です。その足し算、引き算で現実を切り出してみせることができると、そういうものが恐らくこれから求められるんじゃないかなというふうに思っています。
面白いですね。しかし、じっくりと読まないといけません。この本は斜め読みはできないです。つまり理屈書きを略するとさっぱりわからんようになる。数学でパパッと書いてあったら数学のわかる人はその数式さえ追っていけば理屈はわかるんですけれども、この本は一々読まないとわかりませんから。面白いことがわかりますので、経済学の醍醐味を知りたい人はこういう本がいいんじゃないかなと思いますね。最後は置いておいて、7章構成です。
- 序章 あらゆるものの裏側
- 第1章 学校の先生と相撲の力士、どこがおんなじ?
- 第2章 ク・クラックス・クランと不動屋さん、どこがおんなじ?
- 第3章 ヤクの売人はどうしてママと住んでるの?
- 第4章 犯罪者はみんなどこへ消えた?
- 第5章 完璧な子育てとは?
- 第6章 完璧な子育て、その2 あるいは、ロシャンダは他の名前でもやっぱり甘い香り?
- 終章 ハーヴァードへ続く道二つ
- 『ヤバい経済学』のなにがどうヤバいのか。訳者のあとがきに代えて
こういうふうな構成になっているんですけれども、これは現実を切るロジックで、ただ人々の興味を引くためのタイトルですね。本当は真面目な経済分析なんです。真面目な経済分析というものをベースにして、できるだけ読んで欲しい。人々にいろいろなことを気づかせてあげたいということがベースになっているわけです。だから、経済学の分析によって皆さんに新しい気付きをお知らせしたいということですね。
(ビル・)クリントンがアメリカの大統領のときに若年層の犯罪-日本でも犯罪というものが非常に話題になっておりますけれども-が話題になりました。いわゆる凶悪殺人鬼というやつですね。それが向こうも出てきた。1995年に犯罪学者のジェイムズ・アラン・フォックスという人がアメリカの司法長官に詳しい報告書を提出しました。ティーンエージャーによる殺人が急増する、重々しく予測してみせた。フォックスは楽観的観測と悲観的観測のふたつのシナリオを描きました。彼の考える楽観的観測では10年の間にティーンエージャーによる殺人は15%増加する。悲観的観測では100%増加する。次の犯罪の波は過酷である。1995年は古き良き時代であったとさえ感じられるだろうと彼は述べています。
当時のクリントン大統領も、「6年ほどの間に少年犯罪というものに対処しなければならないんです、さもないと我が国は本当に毎日犯罪が起こることになります。私の後を引き継ぐ人たちはグローバル経済のすばらしいチャンスについて演説しているひまはなくなるでしょう。彼らは都会の通りを行く人たちの命をつないでいくことで精いっぱいになるのです。」と語っています。
1995年、アメリカのティーンエージャーの犯罪というのがものすごく話題になったわけですね。このままいったらニューヨークの町も歩けないし、ロサンゼルスも歩けないと、もう大変なことになるよということでやったんです。その後どうなったか。ジェームズ・アラン・フォックスが警告した100%の増加ばかりか15%の増加さえ見せず、5年間で50%以上の減少になった。2000年にはアメリカ全体の殺人率は35年来の水準にまで下がった。暴行から車泥棒まで他のほとんどの犯罪も同じようなものでした。つまり、犯罪が激減したんですね。アメリカでは何人に一人はレイプされているとかそういう映画もりましたが、そういう1995年来言われたアメリカの犯罪というものがこの10年間で激減したんですね。
激減したのは何でかというのを経済学的に分析しようということです。経済学的分析というのは何かというと、ここにもいくつかあるわけです。いくつかの統計データを定義して、ひとつの答えを出していくということなんです。まずインセンティブというのを考えていこう。それから、「通念」というのを疑っていこう。それから、バタフライ経済で考えていこう。つまり、遠く離れたところで起きたほんの小さなことが原因で劇的な事態が起こってくる、そういう複雑系の現象として見ていこうということです。そういうふうにして、何をどうやって測るべきか知っていれば、込み入った世界もちょっとわかりやすくなるということで、データを提示していこうと考えたわけです。そんなことをいくつか方法論を提示しながらやっていくわけです。
なぜ犯罪が減ったか、原因としていろいろなことが言われているわけですが、ひとつは経済成長です。つまり、景気が良くなって、失業率が下がって、収入が増えたため、犯罪が相対的に魅力的でなくなった。それからもうひとつは、いろいろな法律の規制が良くなったからじゃないかということです。ニューヨークの犯罪激減というのはそういう規制をやったからだ、とかいろいろなことが言われていますが、その実証的な証拠はどこにもない。
あの予測はどうなったのか?なぜ減ったのか?ということなんですけれども、レヴィッドさんによれば、1990年代の犯罪が激減した原因は実は別にある。いろいろな専門家が言っていますが、真実は、世間で言われてきたこととは別にあるんだということを言ってるわけです。アメリカ全体の好景気、つまり1990年代の経済のおかげで犯罪が減ったんだ、あるいは銃規制が広まったために減った、ニューヨーク市が導入した画期的な取り締まり戦略が効いたんだというようなこと、そういうことがいろいろ言われているけれども、それはみんなウソなんだというのがこの本の主張なんです。
「では、いったい何なんだ?」ということなんですけれども、1990年代の犯罪が激減した理由はひとつの裁判にあるというんです。遡ること約20年、ダラスに住んでいたノーマ・マコーヴェイという名前の若い女性が起こした裁判ですね。この人は子供ができて中絶をしたかった。ところが、アメリカのほとんどの州でも同様ですが、テキサス州法では中絶が禁止されていました。これを違憲であるとして、ノーマ・マコーヴェイと中絶手術を行って逮捕された医師などが訴訟を起こしたんです。その集団訴訟の結果、1973年1月22日、裁判所はノーマ・マコーヴェイ氏の訴えを支持する判決を下し、中絶の合法化が一気に全米に広がりました。もちろん、判決はノーマ・マコーヴェイにとって遅過ぎた。裁判に訴えてからもう何年も経っており、当然その間にお腹の赤ちゃんは十月十日で出てくるわけですから。本人にとってはもう終ってしまってるわけですけれども、この裁判に勝って中絶が合法化されたことによって犯罪が減ったというのが統計的な結論なんです。
これはいろいろ実証分析をしているわけなんですけれども、犯罪を起こす子どもというのは家庭環境が非常に悪い。どういうふうに悪いかというと、母親の多くがまだ10代とかそういう非常に未成熟な年齢で、教養も知識もない。父親のいない場合も多い。家庭環境の悪い若い母親が悪い子どもを生み、その子供が犯罪を引き起こすと、そういう悪循環になっていました。したがって、悪い環境があって、その悪い環境の中で子どもを生むということが起こっているので犯罪のリスクはどんどん高まっていくということです。ところが、この中絶法によって中絶ができるようになった。そうすると、悪い環境の母親が子どもを生まなくなった。その結果として悪い環境で生まれる子どもが少なくなって犯罪が減少したんだ。これが真実なんだというのが結論なんです。
こういう経済的な分析というものをどんどんやっていこうということです。皆さんが転勤、或いはどこかで自分の買った家を売らなきゃいけないというふうになった時に、不動産屋はごまかしをしてないかどうかというのが問題になる。或いはどの不動産屋を選んだら一番自分にとって高く売ってくれるか。マンションを転居する時はできるだけ高く売って欲しい、それで不動産屋に頼む。不動産屋に頼むと売ってくれる。だいたいマージンが6%ぐらいあるそうですけれども、30万ドルの家を売ると典型的な手数料6%、だから1万8,000ドルというようなものが儲けになる。その1万8,000ドルというものが儲けになるので不動産屋にうまく売ってもらったらいいわけだけれども、彼らはそれを本当にうまく売っていくことができているのかどうかというのを分析しましょう、それが人間のインセンティブです。人間をインセンティブから分析していきましょう。つまり、誘因、動機ということ。動機から分析していこうということですね。
面白い現象があって、医者の商売でいうと、出生率が低下している地域の産婦人科医は出生率が上昇している地域の産婦人科医よりも帝王切開を行う可能性がずっと高い。帝王切開やった方がお金が儲かるから、商売が厳しい時、医者はあがりの大きい手法を採ろうとする、それが現実に起こっている現象なんです。そういうインセンティブをみていくということが非常に重要なんだということですね。
専門家があなたを扱うときと専門家が自分に同じサービスを提供するときと比べてみると非常にそれはわかりやすい。ここからが仮説のインセンティブ、第二番目にデータで証明していこうということですね。
シカゴの10万件ぐらいの売買物件を全部分析したんです。まず、不動産屋自身が所有者として売りに出している物件のデータがある。他方、一般の人が所有者で、不動産屋が売買を仲介してやっている物件のデータがある。両方のデータを比較してみると、その結果が一目瞭然で違うことがわかりました。不動産屋の物件の方が1ヶ月も長く物件が売られているのです。つまり、売りの時間が長い。2月に売り出すと、一般の物件はだいたい1月に売っていたのが、不動産屋さんが持っている自分の物件だけはだいたい2月に売っていたということになる。1ヶ月違いがある。これはなぜか?
1ヶ月待って得することと損することと計算していくと、安くてもさっさと売ってしまった方が不動産屋は儲かるんだということですね。自分の不動産物件については1ヶ月待ってより高い値段のついた方を売った方がいいので、1ヶ月余計に待つ。ところがそれが売買の仲介になってくると、例えば30万ドルのものが32万ドルになったとしたら2万ドル余計に売り手に入ってくるわけだけれども、不動産は1.6%しか手数料が入って来ないので、1ヶ月待ってるインセンティブはあまりないわけです。したがって、経済専門家がやっていることというのは、合理的行動としてどういうふうにして説明できるのかというのを、きちっと分析した方がいいですよというわけです。
そんなふうにして物事の裏、つまりいろいろな表面的に起こっている現象をインセンティブという理屈を使って、それを測定できるデータを明らかにして、それをいろいろな現象に適用しながらいろいろなことを分析してみましょうということなんですね。
それから、選挙で票は買えるかということですが、これまた同じように統計データを使って分析していく。分析していくとどういうことかというと、結論は「選挙で票は買えない」ということなんです。だいたいアメリカ人が選挙で膨大な金を使ってるわけですけれども、その膨大な選挙資金というものはアメリカの一人当たりのガムの市場とほぼ一緒なんです。だから、ガム代と選挙資金がほぼ同じなので、ガムに対等するぐらいのお金をもらってみんなが票を売ってるかというとそんなことは全くないんだというのがこの証明したひとつの結果なんですね。
それを先ほど言いましたように、なぜ選挙買収するのかしないのか、そういうふうな形でインセンティブと比較計量できるそういうデータを使って分析していく。我々がやろうとしているのはそういうインセンティブというものを使った、つまり古典経済といわれるアダム・スミスが、道徳感情論を書いてから国富論を書くわけですけれども、そんなふうに道徳、人間の行動を道徳というようなものをベースにした行動を分析していくことによって物事の真実の裏側を見ていこうと、そういうのがこの本のねらいなんです。それが序章に続く全6章で、展開されているわけです。
第1章だけ紹介しておきますと、学校の先生はインチキしてる。相撲力士もインチキしてる。これが第1章の結論です。どういうことかというと、アメリカの初等教育の教育水準が低いというのはずっとアメリカ国内でも問題になってきました。アメリカは天才も多いけれども、あまりできない人たちも多い。それの原因というのは初等教育がよくないからじゃないかというようなことを言われてインセンティブの導入がものすごく行われています。一発勝負テストで学校の先生も評価されるし、生徒も評価されるという制度を導入した。
レヴィットさんは、このテストでインチキがあるということをいろいろな形で検証していったわけです。テストが導入されたことによって先生がインチキをする。先生が生徒の答案用紙をマークシートなので書き替えて、それをインチキして点数を上げているという現象が1,000人の先生のうち、だいたい50人ぐらい、つまり5%ぐらいですかね、先生がインチキをしていたということがわかったわけですね。
検証はシカゴの教育委員会をベースにして行った。テストでは生徒は褒められると同時に、先生は低い点数だと怒られたり首になったりする、そういうインセンティブを与えたんです。かなり強烈なインセンティブを与えた。そうすると先生はどうしたかというと、自分で先生が生徒の答案を集めてその答案を消しゴムで消して自分でやった。ところが、ちょっとやそっとでは平均点は上がらないからそれを機械的に一斉にシステム的に修正したわけです。そこでレヴィットさんは、先生たちがシステマィックな答案用紙の修正を行っているかどうかを検出するアルゴリズムを考えだして、そのアルゴリズムで検証していってどれくらいのインチキ率が発生したかというのをやったわけです。
同じことを、相撲の世界でも検証した。相撲がインチキをやってるかどうかというのはちょっと偏見もあるんですが。やってるんじゃないかということが気になって、相撲のデータというのはもうすぐわかってる。インチキやってるかどうかというものを分析するために、経済学者、我々のメジャーというかリサーチにも非常に重要なことですが、何か計りたい現象があった時にそれをどういうふうにして概念操作化するかとうことが非常に重要ですよね。どういうエビデンス(証拠)を出してくるかということが非常に重要なんです。
レヴィッドさんはどう考えたかというと、7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する期待勝率、それから7勝7敗の力士の9勝5敗の力士に対する期待勝率、それから7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する実際の勝率、それから7勝7敗の力士の9勝5敗の力士に対する実際の勝率とを比較しました。この比較の意味はおわかりですね。7勝7敗の力士と8勝6敗の力士というのは、生きるか死ぬかの差があるんです。7勝7敗で負け越しになるか勝ち越しになるかというのが、7勝7敗の力士には懸かってるわけです。8勝6敗というのは、千秋楽の最後の取組で負けても8勝7敗、勝ったら9勝6敗。勝ち負けに対するインセンティブというか、利得が8勝6敗の力士というのは比較的低いわけです。7勝7敗になってくると同じ1番の勝負の価値が全然違うわけです。これを比較してみたわけです。同様のことは、7勝7敗の力士と9勝5敗の力士との間でも言えるわけです。勝ち負けに対するインセンティブは、9勝5敗の力士の方が7勝7敗の力士に比べて明らかに低い、よって同じ1番の勝負の価値が両者の間では全然違う、と予想されるわけです。
そうすると、7勝7敗の力士の8勝6敗の力士に対する期待勝率、本来これぐらい勝つだろうと思われる勝率というのは48.7%だったのにもかかわらず、実際の勝率は79.6%。したがって、実際の勝率はだいたい40%も高いという事実があったんです。このデータから、これはインチキが行われているという証拠なんだというのがこのレヴィッドさんの見方なんですね。
結論は、「何で学校の先生はインチキをし、相撲力士もインチキするのか」ということなんですけれども、これはあまりにも強いインセンティブがあるとみんなインチキをしたがるということですね。明々白々な結果によって明々白々な差が生まれるときにだれしもインチキをするというインセンティブが生まれるということの結論です。それが第1章ですね。そんなふうにして第2章、第3章、第4章、第5章、第6章というふうになって、「終章 ハーヴァードに続く道二つ」というふうになってくる。
これはインセンティブというふうなものを通じて証拠をあげながら、どんなふうにして裏側にある現象、つまり経済合理性というものを見つけていくかという意味において非常にシンプルで面白いものです。ただ、この本の難点は一々全部読まなきゃいかん。一々読まなきゃいかんというのが面倒と思いますけれども、これはこれとしてしょうがないなということなんです。これは単に何か応用経済学のすすめとか、はじめとかという現実離れした数学モデルを展開されるよりもよほど面白い。
ただし、相撲で八百長が行われているか、行われていないかというのは実際問題としてはわかりません。相撲の世界というのは非常に狭い。狭い世界なので、やはりお互いここの大勝負で勝たなきゃいかんとか負けなきゃいかんとかというのは「あうんの呼吸」でわかるわけです。それで勝負が懸かってるわけ、相手の人生も懸かってるわけですね。それで勝負していくからには、やはり特に日本的な甘さが出てきたりとか、或いは火事場の馬鹿力が出てきてるのかわからないけれども、この統計的現象だけで、それだけでインチキが意識的に行われているとか金で売買が行われているとかということは、もうひとつ違う検証がないとなかなか言えないのではないかということですね。
>> 次へ(2.社会・政治)