書評2010 - 21世紀の閉塞感と日本の危機

2011.02 代表 松田久一

本稿は、2010年12月28日に行われました、社員向け書評講演採録を元に作成しております。

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 毎年年末になると、社員向けに書評を行っております。

 その理由はふたつございまして、ひとつはこの会社の30年以上続く伝統だということ、もうひとつは社員に必要な知的レベルを上げてもらうためです。

 マーケティングには学問の領域はないと思いますので、あらゆる領域から本を読み、少なくともクライアントのみなさんより色々なことを勉強していないといけないと思うわけです。

01

日本とは何か

 2010年の書評としての全体のテーマは、「根拠無き閉塞感」と、「日本とは何か」です。

 19世紀に主にヨーロッパで成立し、20世紀には日本でも成熟し、21世紀になって日本を含む先進社会はどこかへ向かおうとしています。ただ、それがどこへ向かっているのか、知識人たちが必死にとらえようとしても、なかなかとらえられておりません。

 日本近代化論から見れば、江戸時代に前近代があって、明治以降、近代的な社会に移行してきました。「近代社会」とは、"経済における資本主義"、"政治における民主主義"、"社会における自由主義"の三つが揃ったものをいいます。ヨーロッパで成立した市民社会が、アメリカで花を咲かせた世界の中で、我々日本人も、それを追って生きてきたわけです。

 それが最近、すでに終焉しているという意識もあり、20世紀の市民社会を象徴するアメリカ自動車文明の終焉だと言う知識人もいます。

 21世紀に入って10年、世界全体がようやく21世紀的な世界へと根本的に変わろうとしているのです。では次の世界は何なのでしょうか。昔の中華文明に戻るんだろうか、という考えも出てきています。

 どこの国でも次の世界を模索している中、一番先が見えないのは日本です。まさに「絶望」というものが蔓延しており、根拠無き閉塞感は否めません。

 このような社会の中で、「日本とは何か」ということがあちこちで問われていると感じます。大学アカデミズムに代表される知識人や、政治家含め指導者的な立場の仕事をしている人たちは、どのようにとらえているのでしょうか。今回紹介する本の中から探っていきたいと思います。

02

『Cultures of War』

『Cultures of War』
(John W. DowerW.W.Norton
&Company, Inc.2010年)
書影

 著者のダワーさんは、72歳のリベラル派(左翼)で、MITの教授をしている方です。終戦直後の日本にスポットを当てた『敗北を抱きしめて』という著書が有名です。日本をここまで一生懸命に研究をしてくれている海外の方は彼くらいではないか、と思います。

 この本では、「今、アメリカはどうなのか」、「アメリカは日本をどう見ているのか」、ということに触れています。

 また、ダワーさんはMITの先生ですが、人文科学系の人ですし、ベースとなっている論理は、"Pearl Harbor" as codeという第1章のタイトルを見てもわかるように、文化論的な記号論だと思います。

 章構成は3部構成になっています。

 第1章..."Pearl Harbor" as code:コードとしてのパールハーバー

 アメリカの文化行動の中で、パールハーバーがどのようにとられているか、ということが書かれており、「パールハーバー」という言葉が日本の"解釈コード"だった、と述べています。コードとは、単なる記号を意味へと変換する体系、つまり文化ということです。アメリカは真珠湾攻撃の後、「姑息な奇襲を防げなかったことは汚名である」と言っており、「パールハーバー」という言葉がなんらかの意味をもっていたことは確かなのです。

 そして、アルカイダでも同じように、このコードを使っていたという話もあり、9.11の時に「1945年の復讐をする」というような「広島」をコードとしていた、とも言われています。

 第2章...Ground Zero 1945 and Ground Zero 2001:グランドゼロ

 1945年のグランドゼロといえば長崎・広島の原爆、2001年の方は9.11のことです。ダワーさんにとっては、このふたつをコードとしてどうとらえるか、が論じられています。

 第3章...Wars and Occupations:戦争とオキュペーション(占拠)

 アメリカは軍隊として、日本を民主化・近代化して、自由主義に引き入れて、お互いwin-winの関係結んでいく、ということを行いました。イラクではそれと全く同じことをしています。著者はこのoccupationをアメリカの文化コードとしてとらえているようです。

 イラクでのアメリカの戦い方というのは、まず制空権を支配して、徹底的に爆弾を落とし、戦線を分断して、その後、地上軍が攻め込み地を固めていく、というものです。

 これは、日本に対して行ったこと、例えば沢山の空襲を仕掛けて、その後地上戦に持ち込んだことと同じです。

 アメリカが原爆を落とした理由には、「勝つためには落とさざるを得ない」というものがありました。というのも実は、硫黄島ではアメリカ軍の犠牲者の方が多かったし、沖縄戦においても、日本の防衛は完璧に近かったとアメリカの軍事戦略家に評価されています。米軍としては、本土決戦になったらアメリカ人は何人死んでしまうかわからない、という恐怖があったのでしょう。そして恐怖のうちに、防衛的に長崎・広島に原爆を落としたのです。これが、アメリカが核兵器を使用した論理です。

 ダワーさんは、この戦略も、"戦略論"というよりは、アメリカの戦い方の文化コードなのではないか、と考えているようです。しかし、軍事戦略から見れば、制空権を支配してから地上戦、というのは定石にすぎません。このアメリカ軍の行動が「文化コードだった」という一言で片付けるのは難しいと思いますが。

 また、3章ではアメリカの占領について触れています。

 アメリカは、占領時、日本的な法律や正義、イデオロギーを破壊し、近代化のひとつである市場原理主義の国を作り出す、という政策をとっていました。これと同じことをイラクでやっています。ダワーさんは、この繰り返しはアメリカの戦争の文化である、と述べているわけです。

 ただ、イラクやアフガニスタンでは、この占領政策は失敗しています。日本を占領していた時のようにやりたいが、実行出来ていない。世界で最も新しい文明が、最も古い文明を支配して、そこでアメリカと同じ近代的な法律と正義に基づいた社会を築こうとしているけど、なかなか出来ない、というのが現状です。ダワーさんの主張によれば、日本にしたことと同じことをやるのがアメリカの文化ですし、その戦略思想、イラクへの対応を簡単に変えることはできないのでしょう。

 アメリカが抱くグランドゼロと日本人の原爆に対する受け止め方については、日本の保守層は違和感を抱くでしょう。なぜイラクと同じなんだ、と。やはり、日本の文化コードとしての原爆・広島のとらえ方と、アメリカの文化コードからのとらえ方とでは大きな違いがあります。

 ブッシュ元大統領がイラクの話をするときに、よく日本のことを引き合いに出しましたが、「日本はパールハーバーでだましうちした」と述べていました。「アメリカ軍が情報戦に甘かったからパールハーバーを攻撃されたが、あれは汚名であって、恥ずかしいことである」とも言っています。そして、「だが、戦後、アメリカが主導し、同じような法と正義に基づく秩序を作り出し、今では最も仲の良い友達になった」とも言っています。

 だからイラクに対しても同じようにやる、とブッシュ元大統領は繰り返し言っていたけれど、日本人から見ると違和感がある。そこにはイラクと同一視される違和感に加え、長崎・広島のグランドゼロを無視された違和感も含まれています。

 この違和感について、本著では「これはアメリカの戦争の文化コードなんですよ」とおもしろく説明してくれています。英語の本ですが、2011年おそらく話題になる本のひとつであると思っています。