06
専門家の現状の捉え方の本音-感染者の少なさは「僥倖」に過ぎない?
専門家は、実効再生産数の推計を踏まえて、現状をどのように捉えているのか。彼らの本音はどこにあるのか。
感染の収束条件である「1以下」を推定しながら、他方で「分析・提言」が危機意識を強調しているのはなぜか?その根拠が、よくわからない。
分析としては、「『1以下』で、現状は収束条件を満たす。これを踏まえて、感染症対策を検討下さい」で専門家の役割は終わりだ。危機意識のさらなる醸成と維持、そして、恐怖を煽るような感染爆発や都市封鎖に言及する必要はない。
一般論として、医者は、数学、AIやシミュレーションが専門ではないので、感染の数理モデルは、専門家会議の説明で現状を理解したはずだ。政治家はもっと理解できていないはずだ。
「分析・提言」での危機意識は、どこから来るのか。詳細な事情は、不明であり、文書では明らかになっていないが、ある程度は推測できる。
ひとつは、現状の実効再生産数の低さは、わからない、しかし感染者の感染経路を追跡できなくなっているので、対策としては危機意識を煽り、自粛を要請するしかない、ということだ。
日本人の他人と距離をとり、大声で会話しないなどの対人コミュニケーションスタイルや行動、清潔を愛好し、マスクをし、手洗いを励行する習慣や文化によるのかもしれない。しかし、それは実証されていない。感染症の専門家は、日本の対人コミュニケーションスタイル、習慣や文化の専門家ではない。従って、感染症対策として、危機意識によって隔離政策をとる、という提言をしたと想像する。
ふたつ目は、ヨーロッパやアメリカで感染爆発が起こっているのを眼のあたりにして、日本では起こらないと断言もできない、と判断したのではないか。起こる可能性を指摘した方が、批判はされにくい、ということだ。しかし、その具体的な数字的な根拠はない。
欧米では、感染症の数理モデル通りに、感染爆発が起こっているので、日本も起こるに違いない。わからない現実よりも、わかる数理モデルを優先する心理が働いたのではないだろうか。
従って、現状の収束を示唆する実効再生産数が「1以下」なのは、幸運に恵まれている偶然に過ぎない、という判断だ。人々が、恐怖に支配される際は、より厳しい発言が受け入れられやすい。楽観的な提言は受け入れられない、と予測しているように思える。
つまり、危機意識を強調する専門家と呼ばれる人々は、明らかに根拠のない危機意識という感情に支配され、判断している。客観的な数字や、分析の根拠を欠いた発言が多くなっている。
専門家の本音を、かく読んでみた。日本は何らかの「僥倖」に恵まれて感染爆発を起こしていない。その理由はわからないが、欧米で起こっているので、日本でも起こると考えた方が妥当だ。少なくとも、経路が追えない事例が多くなっている。しかし、それを裏付ける客観的な根拠はない。しかし、マスコミによる海外の報道と、感染者数の増加という片面情報に煽られた恐怖感情の世論にも受け入れられる、とふんだように思われる。
問題の本質的な結論は、日本の感染者が少ない大きな要因は、専門家が指摘できなかった日本人の対人コミュニケーションスタイルや行動、清潔習慣などの生活文化にあるのではないか、ということだ。これは、消去法で考えられる要因に過ぎない。また、仮説であるが凄いことだと思う。
コロナ問題が落ち着けば、感染症の伝播を、数理モデルだけでなく、国際比較による生活文化の関わりを明らかにして頂きたいものだ。残念ながら、今回の感染症問題では、解明されずに終わりそうである。
07
今後の予測シナリオ-2021年下期終息への三つのシナリオ
現状をめぐる楽観と悲観の見通しが錯綜するなかで、専門家は、最悪を想定して、危機意識の醸成と自粛に隔離政策をとるという理解に到達した。強い危機意識は理解できるが、確かで客観的な根拠があるようには思えない。
さて、今後はどうなるのか?専門家でも、将来の不確実性が高く、読めないのが現実だろう。しかし、過去の感染症を予測した数理モデルから、幾つか言えることはある。これはあくまでも仮説、つまり、現実ではなく、数理モデルの話に過ぎない。
三つのシナリオが考えられる。
現状からワクチンが開発されるのは、1~1年半後(政府及びWHO予測)である。最終時点、2021年4~10月までの間で、開発されたワクチンの接種によって、集団免疫効果が発現するまでの時期だ。新型コロナウイルスが、この期間にどう感染するかである。
シナリオの前提となる感染の数理モデルというのは簡単だ。実際、数理モデルが専門の北海道大学の西浦博教授などの入っている専門家委員会で使われているのは、感染期間を考慮したモデルで、少々複雑だろうが、原理や原則は変わらない。
全体人口=感染可能人口(S)+感染人口(I)+隔離人口(R)
人口は、感染する可能性のある人口(S)、感染した人口(I)と感染し回復した、あるいは感染しない人口(R)の合計である。
私たちは、感染症が終息した全体像がどうなるかを知りたい。しかし、観測できるのは、日々刻々と変わるそれぞれの人口の小さな変化である。ここで、微分方程式という数学的に推理する方法を使うと、全体的な姿が見える。予測は、こういう方法を利用して、コンピューターに数値計算させている。
ワクチンが開発されると、抗体が形成され、感染しなくなる。それは、隔離人口が増えることを意味する。「集団免疫」といわれるものは、抗体を持った人が十分に多ければ、感染が防げるという効果だ。隔離人口が増えると、実効再生産数が小さくなり、感染拡大を防げる。イギリスは当初はこれを狙った。1~1年半後に新型コロナウイルスの感染は終息する。ゴールは見えている。
感染人口がどうなるかというシナリオは、感染可能人口と隔離人口に依存している。全人口は変わらないとする。ワクチンと感染は、隔離人口をどんどん増やしていく。感染可能人口が、ゼロになれば終息だ。感染可能人口は、感染と隔離によってどんどん減っていき、最終的にゼロになる。
そして、知りたい感染人口は、主に「実効再生産数」によって変化していく。「1以上」なら増えていき、「1以下」なら減っていく(図表4)。
「感染爆発」とは、このグラフのイメージだ。実態は「実効再生産数」であり、新しい感染者の増加率である。実効再生産が大きくなれば幾何級数的に増えていく。専門家は欧米で起こっているような数理モデル通りの増加を恐れている。
2021年の下半期までに、到達するシナリオは、数理モデルとしては、三つある(図表5)。
シナリオ1 低位安定
ひとつは、武漢並み自粛で感染爆発は起きず、低位の感染者数で推移し、ワクチン開発を待つものである。感染者の重篤性を判断し、重篤者が収容できる約4,000病床までを上限とするものだ。この場合の許容感染者数は約20,000人である。東京都のベッド数は、約140床しかない(但し、4,000床まで拡大予定)。従って、重篤患者を選別し、適切な医療が提供できる範囲内の感染者数は700人である(4,000床の場合は20,000人)。
すでに東京は441名と許容限度の63%である(3月30日午後10時現在)。患者を選別し、治療法を確立し、2週間以内で早期に対応することが条件となる。
シナリオ2 波形振幅
ふたつ目は、感染者数の増加の波が複数現れるというインフルエンザの流行にみられるようなシナリオである。日本では、この感染モデルの適合度が高いのかもしれない。これは、先に紹介したモデルに、感染期間を加えたものになる。新型コロナウイルスの特徴である2週間ほどの「潜伏期間」を組み入れると、計算された解は、流行が繰り返し「混沌」とする。
恐らく、中国からの来日客にもたらされた感染が、屋形船、ジム、ライブハウスなどで「小集団(クラスター)感染」を起こして拡がり、伝播の波が隔離と回復によって収束し、また新たなクラスターが発生し、さらに隔離と回復によって収束することが繰り返されるというものだ。現時点では、海外帰国者による持ち込みと医療機関などがクラスター化している。こうしたクラスターが生まれ、感染が収束すると、また次のクラスターが生まれるというシナリオである。
シナリオ3 感染爆発
最後に、感染爆発シナリオだ。これは言うまでなく、幾何級数的に感染者数が増えるというものだ。ワクチンが開発されるまでは、日本の習慣と日常行動で対応するというシナリオだ。
世界最多となったアメリカのニューヨーク州の感染者数が、6.65万人(3月30日)、100万人当たり3,428人と、日本の約230倍である。しかし、仮に、感染が指数的に増えるとすると一週間程度で追いつく差である。
この感染爆発で想定されることは、感染者個人が二次感染者を生むだけでなく、二次感染クラスターを生むようになり、指数的に増加してしまうことだ。
感染が収束するのは、感染が波及しない地理的に隔離された人口しかなくなり、他方で、感染拡大にともなって、抗体を持った回復層が増加し、一定の比率に達すれば、集団免疫の効果が生まれ、収束へと向かう。あるいは、ワクチンが開発され、接種率が高まり終息する。新型コロナウイルスの致死率の高い「インフルエンザ化」シナリオである。
この三つのシナリオは、恐らく感染症の専門家と共有できるのではないか。そして、どのシナリオをとるかの判断には、まったく根拠がないということだ。現状の延長にあるのは、「低位安定」である。つまり、最大の問題は、日本の感染者数や死者数の少なさが、専門家によって解明できていないことにある。感染終息後は、感染に関わる行動、習慣と意識に関する国際比較のできる追跡調査が、学問横断的に行われることが望まれる。
急上昇を前提とする感染モデルを仮説に持つ限りは、感染者数の急上昇、つまり、「感染爆発」(オーバーシュート)が起きるという推測になり、「なんとか持ちこたえている」という専門外の文学的表現で逃げようとする。また、欧米で感染爆発が起こっているので、日本も起こる可能性があると提言した方が責任回避になるので、危機意識を強調することになる。
今後の不確実性は高く、「一寸先は闇」というのが現実だ。その結果、政策判断としては、最悪のシナリオに備えて、中央及び地方政府があらゆる対応策を打て、ということになる。
08
恐怖を煽ることの賢愚-危機意識よりも協調行動
政府や地方自治体は、様々な自粛を要請している。我々の分析では、自粛を要請する確実な証拠はない。「最悪」に備えて、という説明しかないのが現実だ。せいぜい専門家の話をよく聞いてというだけだ。しかし、その専門家も、確実に言える証拠も根拠も持っていないだろう。一般には、秘匿された情報、個人情報などのビッグデータや独自の分析があるのかもしれないが、それはわからない。
対応策の立案者が、感染者数を増やさずに、死者数も増やさないことを、感染症対策の目標として掲げることに異論はない。しかし、人々の行動や習慣の変更を通じて、政策目標を達成するのに、現在の手法はいかにも古くさい。これでは行動変容に繋がらない。
現在の手法は、人々が持つ恐怖心を煽り、移動や外出などの行動変容をもたらそうとする手法だ。
感染爆発、都市封鎖などで恐怖心を煽り、人々の同調圧力を利用し、違反者には、「社会的罰金(制裁)」を加えている。しかし、何かを無言で強制されることへの反発も大きい。賛成3割、中立4割、反対3割の「三四三(刺身)」の受容態度だろう。仮に、反対の声が大きくなれば、自発的な自粛どころではなくなり、感染爆発に繋がりかねない。
人々は、新型コロナウイルスに恐怖を抱き、合理的な判断ではなく、感情でやむにやまれぬ行動をしている。買い占めも、個人ができる小さな防衛策として行われている。
人々が同調しようとする心理はよくみられるが、その心理学的な理由はまだ解明されていない。個人が利得を最大にするという仮定を置くと、「繰り返し囚人のジレンマ」[3]ゲームのように、他者を裏切るよりも、他者と協調する戦略が、長期利得が増えるという判断である、という見方もできる。
人々の恐怖感を利用した政策誘導は、個人の利得を最小にして、他人の利得を最大化する戦略を取ることを奨励するものである。そして、自分の利得を優先するならば、社会的制裁によって、利得を下げるというものだ。出かけると自分は楽しめる利得はあるが、社会的な批判や非難を浴びて負の利得が与えられ、自粛が最適戦略になるようにする政策である。
政府や都などの地方行政府が、同調圧力を利用して、自粛を要請することは、政策的には自粛しないと社会的なペナルティを与えることだ。明らかに、他人に強制された行動変容になる。しかし、このような他人から強制された行動は長続きしない。
09
自粛要請と「三密」回避誘導策-行動経済学的分析
政府や都などの行政府が、人々に要請したい行動変容はふたつだ。つまり、最悪の感染爆発に備えて、隔離政策をとることだ。この目的は、武漢封鎖と変わらない。ただ、強権的に行うか、恐怖を煽るかの違いである。
ひとつは、移動の自粛である。警察や軍隊による封鎖ではなく、自粛して欲しいという要請である。
持続的な行動変化には、恐怖による強制ではなく、自ら進んで行うという「内発的動機」(デシ)が必要だ。行動経済学的な発想をするならば、「Nudge(切っ掛け)」を利用することができる。外出や移動への行動変容を、小さくポジティブな切っ掛けを与えることによって、内発的に行い、人々から引き出す方法である。
特に、軽症なので移動して集団感染を起こしやすいと思われている「若者」が感染拡大の鍵を握るといわれている。これも個別事例だけで一般化できるほどの根拠はない。集団感染は、人々の行動の総和であり、個別事例の積み重ねなので、一般化して、事前予測することは難しい。若者に責任を帰するほどの規則性があるとは思えない。
もし、「三密」場所への出向が多いなどの規則性がみられるなら、公表して、マイアミのように、「渋谷」や「原宿」は、封鎖されるべきである。そうでないなら若者をターゲットにして「集団リンチ」のように、社会から分離・分断する意味はない。
また、このような層に、恐怖を与え、脅すのではなく、ナッジを利用して行動変容すべきである。政府などの機関が、プラットフォームを立ち上げ、中止されているコンサートをネットで開催し、「5Gなど」を利用して、自宅で視聴すれば無料配信するなどのインセンティブで誘導すべきだ。ITの進化と一石二鳥だ。
多くのアイデアを出して、できるところからやるべきだ。
もうひとつは、「三密」条件の場所への出向回避である。集団感染の温床となる人の集まる場所をなくすことだ。「三密」とは、以下のように定義されている。
- 密閉空間 換気の悪い密閉した空間
- 密集場所 多くの人々が密集する場所
- 密接会話 近距離での密接な会話
特に、三条件が重なる機会は危険だという。
この定義に、行き先が合致するかどうかの判定は難しい。一般に公表すべきわかりやすい定義とは、多義的にならないこと、人によって解釈が異ならないこと、具体性を持っていること、が基本条件となる。この観点から、三密はどの条件も満たしていない。
どうにでも解釈できる、ひとによって解釈が違う、具体的な対象と一致しない。厚労省の文書には、集団感染(クラスター)が発生した、屋形船、展示会、ジムやイベントなどと例示されている。従って、これは定義としては使えないのが現実だ。
さらに、そもそも感染メカニズムが十分に解明されていないので、密閉、密集、密接会話が感染に繋がるどうかもよくわかっていない。感染者の80%が二次感染者を生まず、20%が感染者を生むのは、どうしてなのか。ただ、結果として集団感染が発生した場所の共通性をあげているに過ぎない。感染する十分条件であって、必要十分条件ではないだろう。
人々は、三密がよくわからないので、「ヒューリスティック(手がかり)」を使うことになる。判断の近道である。
感染の危険のある場所を知りたいが、よくわからない。そこで、代わりの近道の指標や言葉を使う。「屋形船、タクシー、ジム、ライブハウス、病院、コンサートなどのイベント」と報道された場所である。定義の曖昧さが結局は「風評被害」に繋がる。
実際に、計画的に集団感染を断つために、ドイツでは「3人以上」、アメリカでは「10人以上」の集まりを禁止とするというような、明確で具体的な定義とその提示が必要だ。感染者数が少ない段階では、イギリス、フランスやドイツがとっていたような人数で定義するのもひとつの案だ。数の提示は、具体的で印象に残る。
それ以上の人間の集まりは、リスクを提示し、個人のリスク管理を要請するようにした方がよい。
集客数によって、ひとりの感染者が含まれる確率を計算してみる。人口当たりの感染者数は増えるので、時々刻々と変化するが、100人程度のライブで、感染者が含まれる確率はほぼゼロである。従って、確率的には、「不運」でしかない。実際、集団感染が起こっている場所を特定するのは難しい。
椎名林檎の「東京事変」のコンサートや、さいたまスーパーアリーナで行われた「K-1」は、10,000人規模である。含まれる可能性のある感染者数は、0.2人である。仮に、1人含まれたとして、2次感染を生む確率は20%である。そして、1人以上の新しい感染者を生む確率もゼロではない。しかし、イベントの中止要請の説得は難しい。現在の東京なら1,000人のイベントに感染者が含まれる確率はゼロに等しい。しかし、実際、集団感染(小規模クラスター)が起こっているのは、病院などの1,000人規模未満の組織である。
三密を避けるという指針ではなく、コンサートなどのイベントには、より具体的な数字で提示すべきであり、現在の感染者数なら、100人程度がひとつの目安になるのではないだろうか。但し、すべての参加者が、新型コロナウイルスの検査スクリーニングを受け、感染リスクを承認し、参加後のフォロ-を条件に、主催者と参加者の自主判断に委ねるべきではないだろうか。
コンサートやイベントが、不要不急と考えるのは、50年前の話である。「ポスト消費社会」の現代では、コンサートやイベントが、「かけがえのない経験」を提供し、「生きがい」に繋がっている。このことは忘れてはならない。
10
恐怖心を煽る情報提供の「フレーミング」効果
恐怖心は、感染症の拡大を阻止する決め手にはならない。恐怖心とは、感情であり、長続きしないからである。
猫を観察すると、「毛を逆立てる」ときがある。恐怖を感じ、体内ではアドレナリンが放出され、交感神経を刺激し、これによって立毛筋が収縮し、毛が逆立ち、いつでも攻撃や防御ができる体勢をとる。
私たちは、新型コロナウイルスという未知の感染症に罹患する恐怖にさらされている。感染すれば、風邪程度の症状ですむ患者が80%だが、高齢層などは重篤率が高く、インフルエンザよりも数十倍高い致死率である。
感染する怖さもあれば、感染させる恐怖もある。そして、他者が恐怖を抱くので、自分も恐怖を抱くという同調心理も働く。
恐怖心は、猫のように瞬間的な行動変容には有効だが、長期戦になると弱い。アドレナリンの分泌には限界がある。やがて生理反応が落ち着くと元の体勢にもどる。そうすると、恐怖ではなく、学習効果が大きな役割を果たす。人間も同じだ。恐怖は持続できないし、持続しようとすれば様々な神経症が発現し、「集団ヒステリー」が起こる。
つまり、恐怖による行動変容は長続きせずに、行動が行き過ぎたり、「不安防衛機制」として「反動」が起こったりする。コロナウイルスに罹患しているという騒ぎや軽犯罪もこの類いだ。
この悪循環に陥り、恐怖心を煽っているのが、ニュースのヘッドラインや見出しである。人々が物事を捉える枠組みを提供する、行動経済学的には「フレーミング」の問題とよばれるものである。人々の問題の捉え方である。最近のニュースタイトルを任意に取り出してみる。
- 新型コロナ、小池都知事「首都の封鎖あり得る」
- 「感染爆発を抑止できるギリギリの局面」小池都知事
- 新型コロナウイルス 国内感染者1,724人
- 中国の死者3,300人に 新型コロナ
- 28日の新たな国内感染者、22都道府県で202人...死者は計65人に
これらの見出しは、内容を簡潔に要約し、インパクトがあり、興味をひき、売り手として収益拡大に結びつけたい狙いがある。「エロ・グロ・ナンセンス」の古典的な手法が、ネット時代になっても続いている。
しかし、スマホ情報依存時代には、ニュースはもはや、人々の行動のもとになる情報である。マスコミに、中立性、客観性、倫理を求めるものではないが、すべての情報が、恐怖を与え、恐怖を刺激するもので、煽りの同質競争をしている。
特に、マスコミが提示する数字は、新しい感染者数に偏重し、回復者数が注目されることはほとんどない。同様に死者数は報道されても、国際比較や致死率は後回しにされる。メディアの生き残り競争のなかで、片面情報で煽るのではなく、フレームを変えて、両面情報や多面的な角度の情報を増やした方が、より差別化できるはずだ。
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世界の集団ヒステリーと感染症対策から政治経済問題への転換
新型コロナウイルスの感染拡大は、もはや感染症の対策の次元ではない。問題がグローバル化したことによって、政治と経済の問題へと波及した。
世界を恐怖が支配する中で、政治家は妙に元気になり、経営者などの経済人は下を向き、専門家は天を仰いでいるように映る。
世界の感染状況と風景は、3月最終週で一変してしまった。感染源の中国は、独裁的で強権的な「ガチガチ」の隔離政策によって、収束傾向がみられはじめた。代わってイタリア、スペイン、そしてフランスやドイツへの伝播に、イギリスも巻き込み、ヨーロッパすべてを包み込んだ。イランなどの中東や東南アジア諸国、アメリカなどの北米を包み込み、南米やアフリカにまで広がっている。いまや感染の中心はアメリカであり、ニューヨークだ。
その結果、各国が隔離政策をとり、グローバルな経済活動は分断され、国際的な自由貿易の利益は失われ、「世界不況」へと突入している。そこへ、救済策として巨額の資金が投入され、新たな利害が生まれようとしている。
世界的な新型コロナウイルスの感染は、各国の大統領や首相にとって、権力を維持する絶好の機会となった。特に、支持基盤の弱体化や選挙を控えた首脳にとって、政権浮揚の機会となった。
「戦時下の体制」―トランプ大統領
「第2次大戦以来の挑戦」―メルケル首相
「ウイルスとの戦争状態」―マクロン大統領
このように、恐怖と不安を煽っている。
日本の安倍晋三首相も「国難」という表現を用いている。イギリスのジョンソン首相が、イギリスの保守政治家らしい独自の「集団免疫」策、結局は放置政策を取ろうとしたが、多くの反発で隔離政策への転換を余儀なくされた。トランプ大統領も、当初はインフルエンザの方が怖い、とTweetしたものの、再選に政治利用できるとみたのか、突如として隔離政策へと方針転換した。
感染対策が政治問題化するのは、ワクチンや治療薬を除いて、有効な対策が隔離政策しかないからだ。人々が感染症への不安を抱き、無力感から、ウイルス感染という具体的な恐怖に代わった際に、自分の権利を放棄して、安心を得るために、政治的指導者に私権を制限する強い隔離政策の実施を委ねるからだ。成功すれば、人々の救済者として、その指導者は英雄視され、権力基盤を強めることになる。人々が抱く恐怖心は、政治家にとって権力を手にする最大のチャンスである。
歴史は、それを示している。ドイツで、ヒトラー政権を誕生させたのは、「権威主義的人間」(テオドール・アドルノ)だとされる。ドイツは、現在でも不安から権威にすがろうとし、英雄を望む傾向が強くでるようだ(フリードリヒ・ニーチェ)。フランスとイタリアも同様の傾向が見られ、大衆的な不安を捉えて、機会とみた政治家が、不安や恐怖を煽ることになる。
日本の場合は、政治指導者が責任を持つことなく、空気という同調圧力によって、個人の私権が制限されていく。「専門家」という日陰の存在が急に注目を浴びて、「無法者」のごとく好き放題に発言し、大衆の不安と恐怖を煽る。政府を動かす「官僚」は、自分達の出世のために、無法者の意見をとりいれて、利益集団に「神輿」として担がれた政治家に注進する。政治家は、中身は問わずに、再選や権力の維持のための注進を受け入れる。
数理モデルから推測される感染爆発や、都市封鎖の法的根拠もわからない政治家は、大衆の「風向き」には敏感だ。わからないことは、すべて「専門家の意見」で逃げる。このような無責任システムで、法的根拠のない自粛の名のもとで、私権が制限される。結果として、人気や支持につながらず、批判にさらされれば、官僚のせいにして逃げる。成功すれば権力を維持できる。M.ヴェーバーは、政治家とは、「目的のためなら悪魔とも手を組める」ひとと言ったが、その通りだ。
感染症という衛生問題が、政治経済問題に転化してしまう理由である。感染症対策は隔離政策しかない。しかし、行き過ぎた隔離政策は、経済活動を寸断させ、経済を低迷させる。そこで再び巨額の経済対策が打たれる。感染症対策、政治問題、経済問題、そして再び政治問題へと繋がるメカニズムだ。政治経済問題化することは、生活者にとって得策ではない。地方で、「ミニ・独裁者」や「プチ・ゴーン」を多数誕生させても意味はない。大衆迎合の政治家が増えるだけだ。
政治が介入すれば、市民の権利が制限され、隔離政策によって生活の経済基盤が破壊される。また、隔離政策が有効で、持続的な効果があるとは実証されていないはずだ。
政治経済問題化させないで、感染症の流行を止めるには、新型コロナウイルスのリスク評価が必要だ。
私たちがすべき本質的な感染症対策は、現在陥っている大衆的で蒙昧な恐怖から目覚め、ふだんの生活感覚に戻ることと、新型ウイルスに無言の抵抗力を示す行動と習慣を持つ日本の文化を保持することだ。ワクチン開発までたかだか1年半。そこまで感染問題を「先送り」すればいいだけだ。精神的な引きこもりはやめよう。そして、世界の集団ヒステリーによる恐怖の連鎖に巻き込まれないようにすることだ。
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図表1は、3月31日時点で入手できた最新データに基づき作成している。それ以外の図表は、「Our World in Data」で公表されている3月20日時点のデータを元に作成した。
【注釈】
- 注3 「囚人のジレンマゲーム」は、囚人たちがそれぞれ別室に隔離されている状況で、自白するかどうかを決める。一回限りでのゲームの結果は、自分が自白した方が得であるため、「互いに自白する」という結果が唯一のゲームの解となる。だが、このゲームを無限回繰り返す「繰り返し囚人のジレンマゲーム」の場合は、相手が自白した場合のペナルティを巧く設計することで、「互いに自白しない」ことを永久に続けることがゲームの解として実現可能である事が明らかにされている。
【参考文献1】
「実効再生産数」については、様々な推定が行われている。クルーズ船の『ダイヤモンドプリンセス』号、中国の武漢の「封鎖」前後などが推定されている。因みに、クルーズ船は「2.28」 [1]武漢の封鎖前は「3.86」、封鎖後は「1.56」と推定されている。[2]中国や武漢については、様々な推定があり、レビューしたものが[3]である。推定値は、当然のことながら時期によって変わることが確認されている。
- [1] Sheng Zhanga, MengYuan Diaob, Wenbo Yuc,, Lei Peic, Zhaofen Lind, Dechang Chena,(2020) Estimation of the reproductive number of novel coronavirus (COVID-19) and the probable outbreak size on the Diamond Princess cruise ship: A data-driven analysis, International Journal of Infection Diseases
- [2] Joel R Koo, Alex R Cook, Minah Park...Borame L Dickens, (2020) Interventions to mitigate early spread of SARS-CoV-2 in Singapore: a modelling study, The Lancet Infectious Diseases
- [3] Ying Liu1, Albert A. Gayle, Annelies Wilder-Smith, and Joacim Rocklöv, (2020) The reproductive number of COVID-19 is higher compared to SARS coronavirus, International Society of Travel Medicine
【参考文献2】
- Hiroshi Nishiura , Tetsuro Kobayashi , Yichi Yang,...Andrei R. Akhmetzhanov, (2020) The Rate of Underascertainment of Novel Coronavirus (2019-nCoV) Infection: Estimation Using Japanese Passengers Data on Evacuation Flights, Journal of Clinical Medicine
- 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年3月19日)
- 稲葉寿(2009)、「感染症の数理」、平成20 年度年第7 回例会「医療とアクチュアリー」講演
- 稲葉寿(2011)、基本再生産数R0の数学、日本数理生物学会ニュースレター May 2011, 64
- 松田久一、MNEXT 眼のつけどころ「新型コロナウイルス感染症の行動経済学的分析-非合理な行動拡散を生む感情」、2020年2月26日
- 松田久一、MNEXT 眼のつけどころ「新型コロナウイルス感染症の行動経済学的分析-第二弾 恐怖と隔離政策への対応」、2020年3月6日
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