リスクと外部性の経済とマーケティング

2002.03 代表 松田久一

本稿は、JMR生活総合研究所 発行「生活研究所報 Vol.6 No.1 リスクと外部性と経済のマーケティング」の巻頭言として執筆されたものです。

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 デフレスパイラルが懸念され、金融危機が年中行事のように叫ばれるなかで、景気回復の好材料が増え始めた。円安で輸出産業の収益回復も進んでいる。大手企業の人員削減効果による収益回復も今期は期待できる。需要喚起の起爆剤でもある都市再生の法的整備も進みつつある。ブロードバンド化ではアメリカよりも先陣を切り、同時多発テロ後の海外渡航者の減少による外需の内需転換も生まれている。景気の循環的側面では、在庫循環、設備投資循環が底を打ったようである。この流れが、実感なき景気回復ではなく、日本の将来への確信にもとづいた成長回復に繋がるためには、消費に火が点かねばならない。

 約1,400兆円の消費余力を引き出す仕事が、現代のマーケティングの最大の課題である潜在余力を顕在化させるキーワードがいくつかある(「外部性と日本経済の情況-長期不況への戦略的対応」参照)。

01

グローバルなピラミッド市場

 90年代の消費市場は、情報ネットワーク化によるグローバル化の進展によって、日米欧の三極が同質化し、中流階層が消費をリードし、ASEAN諸国、中国やインドなどが参入するという構造だった。これからは、グローバルな消費市場は、富の頂点を目指す ひとつの巨大な階層的なピラミッドになりつつある。他方で、この富を巡る競争に参加している各国のプレヤーは、ナショナリズムの気概に溢れ、追い上げ意欲とライバル意識を剥き出しにしつつある。このピラミッドの頂点に立ち、消費リーダーとなっているのが「アップビルダー」と「ダウンシフター」である(「世界の消費リーダー」参照)。

02

デフレ圧力

 世界の階層化が進むのは、20世紀の人口大国である13億の中国と21世紀に中国の人口を抜く10億のインドが、グローバル市場に参入するからである。年収では百分の一以下、労働コストで二十分の一以下の人口が、約5億だった三極市場になだれ込んできた。これでは、「収穫逓増の法則」に従う産業がコスト優位を失うのは目に見えている。100円のフリース、1,000円の電子レンジ、5,000円のスーツ、10,000円のビデオデッキでは、差別化できる限界を超えている。この未曾有の圧力がデフレの本質である。単純な市場原理で考えれば、日本の労働コスト、すなわち所得が半分になり、中国・インドが10倍の給与になって均衡することになる。ぬるま湯に、約5倍の熱湯が注ぎ込まれたのだから、湯温が急上昇し、お湯の温度にむらができる。ぬるま湯に慣れ親しんだ温泉好きの日本人はたまらない。それが、グローバルな階層社会化である。日本の中流社会というぬるま湯は、熱湯が入らないように必死で湯温を守る改革をするか、熱湯を積極的に早く入れて熱い湯に慣れるような改革をするしかない(「経済政策論争における"失われた10年"」参照)。

03

ダウンシフター

 ダウンシフター。ダウンシフトとは「減速」のことである。ダウンシフターの個人主義は、組織やグループ形成の志向が強く、中央政府に批判的な価値意識を持つ。投機の対象にならない「地域通貨」やNGOに高い関心を抱く。イタリアで始まったファーストフードに対する手作りの「スローフード」に目覚め、服装はカジュアルや手作り、靴はウォーキングシューズ。フリーマーケットを積極的に活用し、買物袋は自前。高いスポーツクラブはやめて夫婦で散歩というライフスタイルである。リスクを嫌いローリスクローリターンの選択行動をとる。日本、アメリカ、ヨーロッパの豊かな先進国にしか見られない(「世界の消費リーダー」参照)。

04

アップビルダー

 アップビルダーは、実力主義で得た強い上昇志向を持つ富の形成者である。中央政府の改革を支持し、むしろ、一体となって、様々な民主制度を通じて政治への参加意欲を持つ。社会的な地位と実力に相応しいブランドを身に付け、世界のホテルやレストランに通じ、ブロードバンド化や最新のITテクノロジーを使いこなす。買物は、なるべくインターネットですます。積極的にリスクをとり、ハイリスクハイリターンの投資選択を行う人々である。ビルゲイツのように巨大な富を形成し、様々な寄付によって社会への貢献をめざす。世界の人々が目指す主流派である(「世界の消費リーダー」参照)。

05

ジャパン

 アップビルダーは、世界の共通スタイルだが、彼らが拘るのは、「自国民」意識である。同時多発テロ後のアメリカでの大ヒット商品が「国旗」であるように、アップビルダーは国旗に拘る。ナショナリズムの発揚の場である冬季オリンピックで日本選手の活躍が不発に終わった。新たな発揚の場が、今年のワールドカップであることは明らかである。その背後にあるのは、アップビルダーの原子化個人の意識であろう。日本の将来不安から生じる危機・不安・恐怖の心理を、自然感情としての愛国心を梃子に、より強い「日本」の期待へと投映しているのである。このトレンドが消費に跳ね返ってくることは言うまでもない。能や狂言の静かなブーム、食における日本的な「素食」市場の拡大、牛肉からカニへのシフトなどミクロな「ジャパン」ブームは、静かなトレンドとして定着しつつある。また、「もの作りナショナリズム」への回帰も始まっている。ジャパントレンドのエネルギーは次第に蓄積されつつある。

06

ブランド化

 この対極的な消費リーダーが共通に進めようとしているのが、商品のブランド化である。日本の消費市場は、国際比較からみれば、インポートブランドのような過剰な「ブランド信仰」現象がみられる一方で、ブランド選択の比重はまだまだ低い。「日本製」についての品質の安心感が形成されていたからである。日本人が作る物なら「安心」という「身内意識」があり、それがどのメーカーでも同じという意識を作りだしていた。この安心が、一連の食品メーカー事件によって壊れたことは言うまでもない。すべての商品領域で、急激にブランド化が進んでいく。安心をめぐるブランド間競争が熾烈を極めることは目にみえている。ところが、これまでのブランド戦略には決定的に抜けている消費者選択の事実がある。消費者なら常識であることが、アメリカ主流マーケティングでは常識とはならないことがある。

07

外部性

 商品やブランドを選択する際、他人の影響を受けないことはない。みんな他人の目を気にしている。誰でも知っている経験的事実だが、アメリカ主流派のマーケティングは、この事実を無視している。経済学では、規範的な自閉的な論理体系の「外」の問題として、選択の他者依存性を「外部性」と呼んでいる。ブランド選択は他者の影響を受けないという前提に立って、ブランド戦略は組み立てられている。これでは、日本の「のれん」の伝統を持つ消費者意識や、ヨーロッパ育ちのブランドは育成できない。個人がバラバラの信頼のない社会で、商品への信頼をいかに形成してもらうかのスキルがアメリカのマス広告とポジショニングでブランドを形成する個人志向のブランドマーケティングであり、安心のない身内社会で、商品への安心をいかに形成してもらうかのスキルが、日本の身内意識と系列でブランドを形成してきた集団志向のブランドマーケティングである。

 どちらも現代の市場には通用しない。アメリカ流をやろうにも、マス広告の説得力は見る影もなく、日本流をやろうにも系列店は不良債権になってしまっている。現代のブランド構築の課題は、信頼も安心もないハイリスク社会で、どうやって信頼し安心できるブランドを確立していくかが問題である。その鍵は、マス広告の対象であるバラバラのオピニオンリーダーでもなく、系列の身内集団でもなく、新たな「準拠集団」の発見である。商品選択は、他人の影響を受けるという当たり前の経験をもとに、ブランドの再構築が必要である。その成功の鍵は東京にある(「準拠集団アプローチによるブランド再構築戦略(抜粋版)」参照 )。

08

東京再生

 21世紀最後の消費の起爆剤は、東京再生である。様々な関連法案が成立することが予想される。日本の人口は長期の減少傾向にある。東京の人口は増加傾向にある。東京の人口増加と地方の人口減少が、日本市場の空間密度に劇的な変化をもたらすことは言うまでもない。東京再生の影響が集中して現れてくるのが流通産業である。業種小売業から業態小売業への変化は、地方郊外小売業から「東京ハイブリッド小売業」へと潮流が変わりつつある。東京ハイブリッド小売業というのは、東京都心部のナロー顧客を対象に、業態を越えてトータルなライフスタイルのテーマを品揃えし、ブロードバンド化によって立地を越え、個店の限界を超えて商業集積によって集客する小売ネットワークの意味である。営業資源を東京に再集中し、業態編成から拠点エリアへの集中と対応の総合化を進めねばならないことは言うまでもない。さらに、重要なのは東京再生によって、生まれる職・住・商が一体となった新しいライフスタイルを持つ準拠集団を取り込むことである。ブランド確立の鍵となる準拠集団は、全国に分布するのではなく東京集中である(「東京メガ市場への浸透戦略-流通営業の東京再集中と小商圏アプローチ」)。

09

リスク選択

 現在の消費は、バブル崩壊による株などの金融資産と住宅・土地などの実物資産価値の崩壊、そして、失業率の上昇による人的資産の崩壊というトリプル打撃によって、預貯金の積み増しという選択以外の行動をとり得ない状況にある。生涯所得の保証を信じて、購入した住宅の資産価値は、借金額よりも目減りし、会社の持ち株も塩漬け、子供の教育資金の積み立ても利子はなく、終に、定昇と終身雇用の保証もなくなった、という状況だろう。こういう状態では、借金の早期返済がベスト投資になり、元本保証の預貯金が唯一の資産選択行動となる。消費を節約して、借金返済がベスト行動である。この選択が他者依存的な行動特性によって、「節約の空気」を形成してしまっている。他人から「浪費バカ」と呼ばれたくないのである。

 国際比較でみれば、終身雇用が保証され、資産リスクのない社会などこの世に存在しなかった。戦後の日本人が作り上げた「偉大な世界遺産」か、「戦後の徒花」であった。むしろ、金融資産、実物資産、人的資産が担保されない高リスク社会の方が国際標準である。

 高リスク社会と低リスク社会の選択が求められるなかで、ハイリスクハイリターンのアップビルダーの生き方を求めるか、ローリスクローリターンのダウンシフターの暮らし方を選択するかが消費者に求められている(研究論文「消費低迷のマクロ経済分析-『消費低迷不安説』を超えて」、研究論文「「世界と日本の個人と社会のゆくえ-グローバル比較調査による世界地図」参照)。

10

市場発見のビジネスモデル

 「良いものを安く」のビジネスモデル、「株価時価総額最大化」モデル、「中抜き」モデル、「ユニクロ」モデルなどの様々なビジネスモデルが志向されてきた。辛うじて、生き残っているように見えるのは、「良いものを安く」のモデルである。「乾いた雑巾を絞る」と形容され、「ハンマーを上げるのは無駄で、打ち下ろすのが価値を生む」というムダの創造的発見にまで到達した「セル生産方式」にまで昇華されたモデルである。このローリターンのモデルは、家電のように部品が数千のオーダーでは競争力がない。自動車のように部品が万のオーダーでやっと維持できる。数十万のオーダーのロケットはアメリカの独壇場である。現在、必要なビジネスモデルは、「市場の発見」をビジネスモデルにどう組み込むかであろう。日本企業には技術シーズは豊富であり、それを物やサービスに変換していくシステムも洗練されている。最も大きな欠落点は、売れる市場を発見する能力である。家庭用ゲーム市場、引越しサービス市場、宅配サービス市場、携帯メールやこれらサービス市場は、あったのはなく、発見されたものである。この市場を発見する能力が、ニュービジネスモデルの真似のできない鍵となる。ユニクロは、カジュアル市場を発見し、生産を中国に委託するビジネスモデルによって成功したが、ユニクロモデルが行き詰まったのは、新たな市場が発見できないからである。在庫を持たないセル生産方式で多変種多変量に対応し、市場の多様化に対応したビジネスモデルを追及するか、新製品開発ではなく、市場を発見し開発する機能をどう組み込むかにある。他のビジネスモデルは、追撃すればいくらでも模倣してよりよいものを作りこむ能力が日本企業には十分ある(「97年不況の戦略的教訓-不況下での成長戦略」参照)。

 キーワードで、約1,400兆円の消費余力を引き出す21世紀初頭のマーケティングを展望してみた。最後に、これからの市場に対応する戦略の経験原則を提案してみたい。

 リスクとは、将来についての不確実性によって生まれる。このリスクに対応するためには、リスクを徹底して回避して行くことである。市場のシュリンクとデフレリスクに対応するには、商品ブランド数を削減して、徹底してコストを絞り、人員削減するしかない。投資を控え、借金を返済し投資効率を高めねばならない。このリスクのとり方は、多くの日本企業が横並び意識で競争している。

 もうひとつのリスクのとり方がある。それはハイリスクを恐れず、ハイリターンを求める行動である。このハイリスクハイリターンこそ企業家精神である。市場の分析は、不確実性を排除するためにどこまで科学的分析しても、主観的な余地を残す。その主観的な見方は、大勢の影響を受けざるを得ない。提案したいのは、大勢の予測は必ず外れると言う原則である。つまり、大勢とは異なる行動をとるハイリスクの見返りとしてハイリターンの源泉があるということである。これだけ日本経済が苦境に陥っているのは、人々が他者の影響に従って資産選択行動をしているからである。まさに、自縄自縛である。もし、個人金融資産の一割が、消費市場や株式市場に回れば、劇的な景気回復と経済成長がもたらされる。しかし、誰も、大勢の見方を「裏切る」行動をとらない。大勢の見方に従うという「空気」に支配されている。消費者サイドでは、リスク回避のローリターンの消費と資産選択行動であり、企業サイドでは、借金返済の経営である。政府も、赤字財政でリスクをとらない。家計、企業、政府という三つの経済主体のどの主体もリスクをとらない。どの主体がリスクをとるか、どんなリスク社会を再構築して行くかの選択がなければ、日本は、「決断なき衰退」の坂を転げ落ちて行くしかない。

 リスク時代の企業のマーケティングに求められるのは、政府と消費者に代わって、凍結した約1,400兆円を解凍させるハイリスク対応のマーケティングであり、他者依存の選択行動に対応した外部性のマーケティングである。

[2002.03 「生活研究所報 Vol.6 No.1」 (株)JMR生活総合研究所]