日本及び日本人が、無残な敗北の辛酸を嘗めずに、二十一世紀を生き延びていくにはどうしたらいいのか。最初に提起した問いの答えは三つである。
第一に、ビジネスや政治などの人間的な戦いでは、ハードパワーだけでなく、ソフトパワーも含む力の論理が貫徹していることを再認識したリアルな状況認識を持つことである。これは、四つの戦史の遠近比較で見たとおりである。
第二に、ビジネス分野に限って言えば、異分野での戦いや他者の経験に学んで、戦略づくりの経験を積み、知識や知恵を深め、より優れた戦略を構築できるように個人も組織も努める必要がある。特に、個人の戦略づくりに関しては、戦略を一部の専門的な人々に委ねることなく、自らも取り組み、ここで整理したような戦いに関する原理や原則を利用して、研鑽していくことである。個人の戦略思考のレベルアップがあってこそ、組織的な戦略の質も上がる。この帰結は、他の分野でも通用するものだと思う。
最後は、闘争心である。これは精神と文化の問題である。
現在の日本には、戦いを賞賛する武人文化はない。たとえ、現実を抉るような鋭い状況認識を持ち、彼我の強みと弱みを見極め、他者の経験から学んだ原則を活用し、優れた戦略づくりに成功したとしても、人々に闘争心がなければ、現場で発揮される戦闘力は生まれない。繰り返し指摘してきたように、戦闘力とは、兵器などの物理諸力とやる気などの精神諸力の積である。破壊的な核兵器を所有していても発射ボタンを押す意志がなければ戦闘力は無に等しい。戦いはどこまで行っても人間の所産である。
フロイトは、このような闘争心は、イドの持つ「タナトス(死への欲動)」の破壊的性向だとの仮説を抱いていた。従って、アイシュタインに「人はなぜ戦争をするのか」と書簡で問われ、人間とは生得的に戦争をするものであり、戦争そのものが文化的なものである、と答えている。しかし、現在では、人間の攻撃行動や闘争心は、生得的なものとして生理的に基礎付けられるよりも、寧ろ、フロイトが想定した以上に文化的なものとして理解されている。
01
アメリカの戦闘心を鼓舞するもの
四つの戦史のうちのひとつとして取り上げた湾岸戦争で、多国籍軍の中心はアメリカであった。アメリカは、ベトナム戦争の教訓を生かして徴兵制を廃止したため、湾岸戦争は志願制で戦った最初の戦争となった。一九九一年一月十七日、総司令官シュワーツコフは「砂漠の嵐作戦」開始に際し、全軍に訓辞を伝達している。
アメリカ合衆国中東司令部麾下陸・海・空軍及び海兵隊員諸君、今朝〇三〇〇、我が軍は「砂漠の嵐」作戦を開始した。すなわち、イラクをしてその弱小なる隣国クエートの侵略略奪を中止し、同国軍をクエートより撤退せしめる国連決議を実行するための攻撃作戦である。合衆国大統領、議会、全国民、いや全世界が団結して諸君の行動を支持している。我が国が協調諸国と一体となり、かかる侵略者相手に単一方面にこれほど強大な兵力を集結させた例はいまだかつてない。そして諸君はこの軍の構成員である。この戦に備えて諸君は猛訓練に堪え、今や準備を完了した。自分は諸君を歴訪しながら、諸君の目に宿る炎の決意を読み取った。この仕事を一刻も早く完遂し、偉大な祖国の岸辺に凱旋したいとの決意にほかならない。自分は諸君に満腔の信頼を置いている。我らが大義名分には一点のゆるぎもない! いざ「砂漠の嵐」の電光たれ、雷たれ。神が諸君、そして、諸君の愛する故郷の人々、そして我らが祖国と共にあらんことを。
これは全軍への訓辞であるとともに、将官、佐官計三十名ほどが集まった作戦室でも朗読された。続いて、司令部付きの従軍牧師が神に祈りを捧げ、L.グリーンウッドが歌う「アメリカに神の恵みを」( " God Bless the USA" )のテープがかけられた。(出典:『シュワーツコフ回想録』*1)
明日もし すべてがなくなっても
ずっと希望を持ちつづけるだろう
そしてもう一度スタートしなければいけない
家族がそばにいるだけで
私は神に感謝するだろう
星条旗は今もなお 自由に味方してくれているから
今日もここに生きている
それは誰にも奪うことができない
私が知っている限り、私が自由である国 アメリカで
私はアメリカ人であることを誇りに思う
自由を与えてくれた先人を私は忘れまい
そして喜んであなたのとなりで立ち上がり
今日もアメリカをお守りしている
言うまでもなく この国を愛しているから
アメリカに 神のお恵みあれ
ミネソタの湖からテネシーの丘まで
テキサスの草原を横切って
大西洋から太平洋まで
デトロイトからヒューストン、そしてニューヨーク、L.A.まで
すべてのアメリカ人の心にはプライドがあるのだ
そして今こそ堂々といえる アメリカに神のお恵みあれ
幕僚全員、ひとり残らず目に涙が光っていたとシュワーツコフは回想している。
このことからうかがい知れるのは、アメリカの武人文化では何によって闘争心を鼓舞しようとしているかである。それは、戦う目的の明示であり、正義の価値を与え、兵士の準備や努力をたたえ、組織への帰属意識を再確認させ、兵士の家族愛、郷土愛、そして、合衆国への愛国心が賞賛される。そして、それらをすべて正当化しているのが神である。最後に、グリーンウッドの渋い声のカントリーソングによって静かな感動を呼び起こす。目的、価値、自信、連帯、賞賛が闘争心を刺激し、それを神が許し、カントリーソングが感動を呼び起こす。これが、戦う動機づけであり、闘争心を生み出すメカニズムである。
02
日本人の戦うこころ
これに対して、日本はどうかと言えば、戦後の日本ではこれに相当するものはないが、戦前に第二の国歌とも言われた「海行かば」と比較すると極めて対照的である。
海行かば水漬(みづ)く屍(かばね)、山行かば草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ
これは、政府によって国民精神強調週間が制定された際、テーマ曲としてNHKが信時潔に嘱託したもので、出征兵士を送る歌として愛好された。これは国民の戦闘意欲を昂揚させることが目的だった。全体的に緩やかなテンポの荘重かつ荘厳な曲である。歌詞は、『万葉集』の大伴家持の歌からとられたもので、意味は「海をゆくなら水に漬かる屍ともならう 山をゆくなら草の生える屍ともならう 天皇のおそばで死にたい」である。
アメリカでは神が戦う正当性を与えるのに対し、日本では天皇である。これはある意味で宗教心の違いであるが、何か神聖なものによって正当化されねばならないことは共通である。そして、アメリカが、戦争に臨んで「生」を強調するのに対し、日本は「死」の覚悟を迫っている。この生と死の対照性は、日本の勝負観、つまり、敗北の美学に由来している。
「海行かば」の歌詞は万葉集からだが、楽曲はドイツで学んだ信時潔の作曲による西洋音楽である。日本の戦いの音楽はもっと違ったようだ
戦いの現場では、兵を敵陣に向けて進めねばならないが、臆病になり、顔面は蒼白に、精神が欝状態となりやすい。西洋では、この状態から脱却させて、冒険心へと煽り立て、闘争心を高めるために、ラッパと太鼓を用いた。特に小太鼓の音は心が勇み、歩調をそろえて戦場へ進みたくなるように連打、乱打して散開、突撃した。ナポレオンが多くを学んだプロイセンのフレドリック大王の軍隊は、当時は最強として知られていたが、その傭兵が多かった歩兵は、敗走しないように「ムチ」によって徹底的に鍛え上げられていた。
だが、日本では大きく異なった音楽の用いられ方をしたようである。特に、太鼓の用い方は特徴的で、これには諸派あった。謙信流では、軍を進めるのに二十一歩ごとに太鼓ひと打ち、これを「序ノ渡リ」と言い、敵との距離が十二町に迫ると七歩ごとにひと打ち、これを「真ノ破」と言い、六町に迫るに及んで一歩ごとにひと打ちする。これを「真ノ渡リ」と呼んだ。これが「序・破・急」の展開であり、能などの芸事にも使われるようになった。この太鼓の用い方から、村上一郎は、西洋のように「ひるむ兵を鼓舞してひたむきに接敵せしめるというよりは、むしろハヤる心身を御し、沈静するがための鼓奏と見た方が妥当」としている。さらに、「日本の太鼓や貝はむしろ兵の狂躁をいましめ、その心を沈静ならしめ、軍陣を整え、歩武を乱さないために、遠寺の鐘の音のように『あはれ』ゆかしく粛々と打ち出す」ものだった。日本の士、卒、城外の民、猟師などの平民は、出陣に臨み、つまり死を賭するにあたり、静かに歌を詠み、水盃をかわし、平常心で出て行くのが当然であった。それは、戦いそのものを歌のこころ、祭りのこころと通わして、日常平常のこころで臨むためだと分析している。
このような自然な文武両道の有りようが、山県有朋らによるドイツ流軍閥が解体されて西洋的な様式が取り入れられ、西洋音楽を用いた「太平洋行進曲」や「軍艦マーチ」の登場まで堕落したことによって日本の戦うこころは地に落ちていた、と村上一郎は嘆いた。
アメリカと日本では、闘争心を鼓舞し、安心を与える言葉や音楽が対照的に異なる。戦う正当性を保証し、戦う気持ちを高め、勇気を与え、生還への安心感を与えることがアメリカなら、戦う気持ちを落ち着かせ、平常心を取り戻し、死を覚悟することによって、戦いに挑むのが日本である。ただ現実には、先の大戦での日本軍は、ルース・ベネディクトの指摘したように「諦めのよさ」( " Typical Japanese boredom)が目立った。「徹底的に考え抜くことをしない思想的不徹底さ」により精神的な弱さを露呈し、「一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力がなかった」と山本七平は指摘している。
[2011.03 MNEXT]