眼のつけどころ

次の時代のマーケティング戦略を考える
(4)セグメントをうまく理解すれば、収益が上がり、20年先も読める

2019.09 代表 松田久一

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セグメントをどう理解するか?

 「セグメント(segment)」という考え方とツールは難しく、混乱に満ちたマーケティングの専門用語だ。

 世代という概念もそうだ。政府でさえ、「世代」と「年代」を区別していない。「全世代型社会保障」への転換が提唱されているが、現実は「全年代型」であるべきだ。日本で「税金ばかりとられる」増税感が高いのは、生涯を「全年代」でみると税金と年金や社会保障の収支の辻褄が合わないからだ。北欧などは税率が日本よりはるかに高いのに、増税感が低いのは「全年代型」の考え方と全年代で辻褄の合う施策があるからだ。年代と世代のすりかえで都合良く政策を立案するために「世代」が利用されている。この話は別にしたい。

 このセグメントという考え(概念)を正確に定義して、マーケティングツールとして活用すると、ふたつのよい成果が得られる。

 ひとつは、マーケティングを発想する事業環境(landscape)である「時代」を読むことだ。もうひとつは、自社が超過利潤を得られるセグメント(市場区分)をみつけられることである。

 従って、セグメントは、前項で述べたが、企業が投資すべきマーケティングのもっとも効果的なツールである。優れたセグメントに有効にアプローチできれば、それだけで30%の利益寄与の効果はある。

 短気な読者に、結論を先に申し上げる。

 ひとつは、時代を先取りするには、セグメント基準に「20年世代区分」を活用することだ。この分析を実際に行ってみると、どうも「なにひとつ諦めない、欲張りな価値の時代」がやってきそうだ、ということ。そして、別のセグメント基準を用いると、自社の財務を改善する独自セグメントが可能だ、ということだ。

 セグメントという考え方は、1970年代から日本に導入された。しかし、その翻訳と導入が正確さを欠き、大きな混乱をもたらすことになった。「日本語」の宿命だ。従って、面倒だが、議論の定位を定める必要がある。概念、すなわち用語の定義が必要になる。ちょっと面倒な議論で、スマホで読むには不向きな話だが、この整理なしには話は進まないし、役に立つと思う。

 まず、セグメントする対象である市場を、概ね多くの人々に納得してもらえる命題として、「製品サービス市場とは、顧客層(グループ)とニーズ(グループ)で構成される」ものとしておく(公理的前提)。

 混乱をもたらしたのは、1970年代に導入された「セグメンテーション」という考え方だ。これは「市場細分化」と翻訳された。

  • セグメンテーション=市場細分化=市場を小さく分けて製品を多様化する戦術

 と理解されるようになった。問題なのは、市場を何らかの基準でセグメント(区分)することが、製品多様化に結びつくマーケティング施策の裁量的で主観的なものである、という理解だ。

 例えば、フライパン市場で製品多様化し市場シェアを拡大するために「たまご焼き用」、「炒め物用」などと用途別に市場をセグメントするような事例である。

 この場合は、市場は「用途」基準でセグメントされている。その結果、企業が恣意的に市場をセグメントし、そのセグメントに製品多様化させることが「セグメンテーション」であると理解されてしまった。「過度な細分化」問題である。この結果、セグメントは「セグメンテーション」との関連で、「市場細分化」手法との連想で理解されるようになった。

 しかし、セグメントとは、

  • 市場、すなわち、顧客を「ある基準で区分(segment 動詞)」することであり、
  • 幾つかの「部分(Segment 名詞)」に分けられる

 というふたつの意味を持つ。つまり、セグメントは、客観的な市場研究と理解の方法である。しかし、それが恣意的なものとして理解されてきた。

 ここでは、

  • 市場、顧客をある基準にもとづいて区分すること

 を、セグメントとし、話をすすめる。ここで、焦点となるのは「基準」である。消費者が調査データやネットの行動履歴として捉えられる場合は、回答や履歴結果などのデータ、すなわち年齢や飲用頻度などの変数のことである。可能性のある変数はほぼ無限である。

 この基準は、欧米のセグメント研究を利用すれば、大きくふたつに分けられる。

  • 事前決定(アプリオリ)基準 - 従属変数のない社会・市場集団変数
  • 事後決定(ポストホク)基準 - 従属変数の説明力を最大化する変数

 ここで、従属変数とは、セグメントの目的の基準である。例えば、使用頻度や利用率などの変数のことである。事後決定基準とはこれを探す手法だ。AID(Automatic Interaction Detection)手法などが古典的な統計分析手法である(最新統計手法やビッグデータを利用した手法は別稿)。

 この手法からみれば、日本で理解されてきた「セグメンテーション」の考え方は、セグメント基準にシェア拡大を最大化する変数(事後決定手法)をとり、製品多様化に繋げたということになる。

 アドホクやパネル調査などの非連続データだけではなく、最近ではネットでのビッグデータが活用されている。この領域でもセグメントは利用されているが、これも何かの検索率などの従属変数を説明する変数が用いられ、ディープラーニングによって自動的に変数が変えられている。これも事後決定手法である。

 ここで第一に提案したいのは、事前決定手法である。顧客や消費者を生活者として理解する方法である。顧客や消費者の世代、年代、ライフステージなどの社会的属性は、企業とは無関係だ。そして、顧客を捉える客観的な区分基準であり、社会集団である。

 特に重要なことは、客観的なセグメントは、顧客層のバックグラウンドとなり、事業環境(landscape)を規定する変数だ。

 それは、言うまでもなく、20年世代区分基準である。

 自社のシェアや収益の差が、明確になるセグメント基準はある。それは事後決定的なものである。例えば、商品への関与度、購入量や購入頻度は、シェアを説明する有益な基準であることが多い。

 しかし、世代や年代は、シェアを説明する変数としては統計的説明力が弱いからといって無益ということではない。先に見たように、製品サービスが購入される事業環境を鳥瞰的に理解する上で、有益な働きをする。時代や社会が大きく変動していく際に、近視眼的に眼の前しか見ない経営は危険だ。遠望する眼差しが必要だ。その最たる基準として世代がある。

 20年世代区分の基準を使って、時代を読む。第1に、セグメントの活用として提案したことだ。第2は、超過利潤が得る独占セグメントの発見である。

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時代を捉えるには20年世代区分のセグメント

 時代に逆らって生き残れる企業はない。「時代使命」を終えた会社はどんなに大きくても潰れるしかない。コダック、シアーズ、リーバイスなどのエクセレントカンパニーが例示だ。「あの」GEの未来も明るくはない。自動車産業も、金融業も時代使命を終えつつあるのかもしれない。

 経営を遠望する眼差しでみれば、時代を捉え、使命を自覚したり、再解釈したりすることが、何よりも重要だ。

 しかし、時代というものをどう捉えるかは難しい。方法論もない。令和改元にあたり、石原慎太郎氏が、昭和という時代を定義している。

 昭和という波乱に満ちた長い時代の本質は、 昭和天皇と言う現人神『あらひとがみ」と称されたファナティックな天皇観を核にしたある意味で狂気に満ちた時代だった。
 (略)それはわれわれ同世代を繋ぐ貴重なアイデンティティーであって、 われわれよりも若い世代には欠落している体験に違いない。

―「令和に寄せて」、2019年5月2日 産経新聞

 様々な元号時代論が提示されたが、もっとも鋭い規定のひとつだった。世代体験をもとに、時代の特徴を言葉によって規定した捉え方だ。石原氏の場合は、「天皇観を核にしたある意味で狂気に満ちた」時代と規定し、それ以外ではない(否定)とする。この規定によって、昭和が定義され、狂気が消失していく平成へと繋がる。昭和は、狂気が人々を動かし、その狂気が消失して、現世欲と混沌に変わっていった時代という捉え方だ。

 この本質は、天皇との世代的な関わりでの同時代体験である。時代を捉えるとは、世代を核としながら、人々の行動を促す時代の流れと空気を言葉で切り取っていくものだ。

 このように時代を先読みすることができたら、どうだろう。ビジネスでは、文学的な修辞ではすまない。しかし、世代を軸にすれば、より豊富な時代規定をすることができる。それが見過ごされてきた「アプリオリ」なセグメントの役割だ。

 欧米では、元号では時代を語らない。ほとんどが世代だ。しかも、20年という比較的長い世代区分を使う。日本では、元号という天皇家の系譜的な世代交代で時代を語り、5年ほどの世代区分で、トレンドを語るというケースが多い。従って、どうもビジネスは近視眼的になりがちだ。「遠望する眼差し」というものがない。

 日本市場に引き籠もり、近視眼に陥らないためには、やはりビジネス世界をリードするアメリカと共通の20年世代区分を使うことをすすめる。

 この20年という長い区分の世代で、他国の世代と比較すると、得られる未来への洞察は豊富になる。

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欲張りライフスタイルの提案―日本のZ世代

 20年世代区分を利用して、今後の価値観とライフスタイルの仮説を提案したい。2000~2020年までの20年間は、消費視点から時代を捉えるならば、80年代生まれのバブル後世代が、20~40才までのライフステージを通過した、将来不安と嫌消費の時代だったと規定できる。そして、これから迎える2020~2040年はどんな時代になるのだろうか?

 仮説は、

  • 日本のZ世代(2000年以降生まれ)が牽引する
  • 「夢を諦めない」「欲張りライフスタイル」

 がやってくるのではないかということだ。

 仮説の根拠となっている事実は、アメリカの世代との異質性と同質性である。この面白い「規則性」あるいは「法則性」として利用した結果である。

 具体的には、アメリカの現在の青年期のミレニアル世代は、日本のこれから青年期に入るポストミレニアル世代と同質の価値観と消費態度を持っている。他方で、アメリカのポストミレニアル世代(Z世代)は、日本のミレニアル世代(バブル後世代)と同質の価値観と消費態度を持っている。なぜ、このような世代をはさんだ相似形になったのか。恐らく、経済のグローバル化によって、雇用や収入が日米でリンクし、日米の経済の好不況が対照的だったことによるものと推察される。

図表 日米の世代の経済体験の同質性 日本と米国の実質GDP成長率の推移〔1990年~2018年〕
図表

 図式的には、

U-ミレニアル世代(1981~1996年) = J-Z世代(1996年~)

U-Z世代(1996年~) = J-バブル後世代(1976~1995年生まれ)

 が成り立つ。

 この数少ない規則性を利用して、推論すれば、20年をはさんだ鏡のように、お互いの20年先が見えることになる。

 日本の未来は、ミレニアル世代が青年期だったアメリカの'00年代にあり、アメリカの未来は、日本の'00年代にある、ということだ。

 アメリカのミレニアル世代は「30代」であり、「子育て」ステージにいる。彼らの世代的な特徴は七つある。「何も諦めない」で「花開く」ライフスタイルである。「ブルーミングスタイル(blooming lifestyle)」と呼ぶことにする。

  • 収入が上がるという見通しを持っていない(将来不安が強い)
  • 世代特徴は女性が際立ち、同世代をリードしている
  • 子育て、家庭、キャリアアップ、持ち家などのすべてを諦めない
  • 節約を美徳としている
  • 保育、家政婦サービスをフル活用している
  • 「何も諦めない」を可能にするリアルなファイナンス
  • 両親の金銭的及び子育てなどの支援を得ている(年間110万円以上)

(ニューヨークタイムズなどの記事より)

 つまり、日本で言うところの「自分のキャリア、家族、持ち家などの豊かな中流生活の全てを諦めない親のスネかじり30代」家族だ。結婚、子供、持ち家などの二者択一の生き方をし、煩悩を捨てたような日本の「さとり」のバブル後世代とは対照的だ。同じ将来不安を持ちながらも、欲望自然主義の生き方とまったく違う。

 日本の将来の消費がどうなるか。私たちの「規則性」を利用すれば、アメリカの現代の「30代」は、これからの日本のポストミレニアル世代が牽引するだろうライフスタイル像を示している。まさに、「夢」を実現することに貪欲で、すでにスポーツ分野で活躍している日本のポストミレニアル世代が重なってくる。

 21世紀の前半は、この世代の向かうライフスタイルの半歩先を読む商品サービスや事業開発をすすめたらどうだろう。いくら技術投資をしても新製品やイノベーションが生まれず、確率的にしか累積投資が生きない時代、既知の顧客にアプローチするだけでなく、「発見的(heuristic)」なアプローチが不可欠だ。

 ポストミレニアル世代が20代の青年期で活躍する2020年代、彼らを先取りして、「ブルーミングスタイル」を仮説として提案したい。(続く)

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