2. 戦略経営の発見-戦略主体としての企業の発見
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資本主義の運命とシュンペーターのイノベーション
なぜ、戦略の語源と戦略思考が生まれてくる歴史を説明したかというと、企業が誕生してから戦略経営があった訳ではないからです。戦略という言葉は戦争が起源ですから物騒なイメージが今でもあります。なぜ、物騒なものが経営という商売の領域に生かされるようになったのでしょうか。
イギリスで資本主義が誕生し、アダム・スミス(1723-1790年)が生まれて「国富論」が書かれたのが1776年です。経済学の誕生です。17世紀や18世紀あたりの企業経営は、戦略なんて発想はありませんでした。検証はしていませんが、たぶんそうでしょう。当時の会社は、株式会社でもありません、国富論では分業を説明するのにピン製造を例にとっています。素朴ですね。今なら個人所有の中小企業でしょう。従って、会社は戦略経営によって生き残るという発想よりも、寧ろ、個人と同じように「運命」に左右されるという感覚だったのではないでしょうか。
では、なぜ戦略経営というものが1970年代のアメリカ、80年代の日本で出てきたか、またそれが利用されるようになったかというと、「企業も知恵を使ったら生き長らえることができるんだ」という企業観に変わってきたことが大きいのだろうと思います。
ひとつは、会社形態が変わったということがあります。家族所有の中小企業に過ぎなかった企業が、20世紀に入り、科学技術革命によって重工業を中心として巨大化していく、鉄道会社みたいに巨大な固定資本が必要になり、組織が巨大化する、企業家や経営者の専門化が進んでいきます。A.A.バーリとG.C.ミーンズが「近代株式会社と私有財産」(1932年)に著したように、経営と所有の分離が顕著になります。経営は専門家がするようになりました。そうしたなか企業というのは、個人の寿命を越えて生き残らなければならない、というニーズが出てきたのでしょう。つまり、潰しにくくなったということですね。大量の失業者を生むことになります。属人的な所有意識から機関的な統治意識への転換です。それがおそらく戦略経営という考え方ができてくる背景だったと思います。つまり企業は人間の寿命を乗り越えて生き残ることができるのだ、という認識と生き残る条件が出てきました。そういう意識が出てくるのが、1970年代や80年代ではなかったか、という気がするわけです。
欧米の経営者が好きな経済学者に、ヨセフ・アロイス・シュンペーター(1883-1950年)がいます。シュンペーターが資本主義をどうみていたかということになると、かなり悲観的です。
シュンペーターは「資本主義・社会主義・民主主義」(東洋経済新報社、1995年)の中で成長率の鈍化ということを気にしています。マルクス経済学で言えば、一般的平均的利潤率の傾向的低下の法則というものが出てきます。簡単に言えば、すべての産業、すべての企業の利潤率は低下傾向にあるということですね。逆に、産業が企業に利潤率の差があれば資本は少しでも高いところに移動しようとしますから同質化します。資本の流入が止まるところは利潤率がゼロのところです。独占とか寡占とか特別な市場支配力を持たない限り企業の利潤がゼロになる、つまり生き残れないんだ、という認識があったわけです。1917年のロシア革命の際にはシュンペーターは34才です。シュンペーターは、資本主義は生き延びることはできない、企業は利潤をあげることができないと半分ぐらいは考えていたのではないでしょうか。独占化の進行は計画経済への移行を示唆するものです。社会主義になるしかない。そうならないとすれば、イノベーションによって超過利潤を得て生き延びるしかない。企業は、運命に左右されるのでもなく、利潤率低下の経済法則に単純に従うのでもなく、人の寿命を越えて生きながらえることができる。その可能性をイノベーションに見出したのがシュンペーターでした。
シュンペーターは、企業が生き延びることができる可能性を発見したと言えます。つまり、生き残れる可能性をもった戦略主体としての企業観をもたらしたと言うことです。17世紀から18世紀の近代国家についで、19世紀から20世紀に巨大企業が生き延びる戦略の主体となりました。
[2004.08 MNEXT]