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書評『買わない理由、買われる方法』
吉野太喜
 本書は「クルマ買うなんてバカじゃないの?」の『「嫌消費」世代の研究』の続編にあたる。前作の「若者はなぜモノを買わなくなったのか」から、さらに歩をすすめ、そもそも現代の消費者がモノを買うのはなぜかということについて、深く考えてみよう、という本である。

「買わない」若者に突撃するモーレツ企業
 クルマばなれ、テレビばなれ、海外旅行ばなれ、生命保険ばなれ、結婚ばなれ、恋愛ばなれ、胃腸薬ばなれ、ラジコンばなれ、バナナばなれ。若者の◯◯ばなれ、がしきりにいわれる。
 好みは、うつろうものである。若者と非・若者との間には、世代と時代、ふたつの越えがたい壁がある。前世代が好んだものを今世代があまり好まないのを、不思議なことと思うかどうかは、人によって、モノによって、さまざまだろう。
 でもモノを売っている側は、「そんなのんきなことではすまぬ。なんとか壁を越えたい」と、若者が◯◯を買わない理由をさかんに調べる。「なぜ◯◯を買わないの?」とシンプルに尋ねると、「いらんから」「欲しくないから」「カネがないから」というシンプルな答えばかりがかえってくる。
 それならば、鳴かせてみせようホトトギス。使い捨てにして、必要をつくる。テレビでコマーシャルをして、欲しがらせる。カネがなくても買えるぐらい、安くする。こうして、
 (1)コスト意識が高い
 (2)欲求が低い
という問題を、
 (1)大量生産によって低価格にして、
 (2)マス広告によって商品への欲望をかきたてる
ことで突破しようとしてきたのが20世紀の発想である。これはいかにも理屈が通っていて、大企業の組織的意思決定に馴染みやすいし、実際に成功するケースもあるので反論しにくい。
 けれども、価格競争は身を削る体力勝負である。勝者はごくわずかで、共倒れになることも多い。また、日本と中国で生活水準に差があるうちは、いくらがんばったところで、生産コストでは中国に決して敵わない。それに、テレビを見せておけばモノを欲しがるというほど、人びとは単純ではなくなっている。そもそもみんなテレビや新聞を見なくなっており、マス広告という枠組み自体が怪しくなっている。このように「大量生産+マス広告」というモデルがうまくいかなくなっていることは、いま多くの人の共通認識になっているところである。

「買わない理由」を掘り下げる
 泥仕合から抜け出すには、「買わない」理由を、表層的なレベルを越えて、買い手が自覚していない理由まで掘り下げるしかない。筆者はそのために、三つのタイプの人間観を提示する。これは、世の中に三つのタイプの人間がいるということではなく、ひとりの人間が三つのタイプの考え方をするということである。
 ひとつは、合理的人間。これは、自分できちんといろいろ調べて、ちゃんと考えて、買うか買わないかを決める人間である。ビールを飲みたい、しかし最近プリン体が気になる、それなら発泡酒にしておこう。コンビニで買うよりスーパーで6缶パックを買ったほうがトクであるけれども、靴底が減るコストと、こんなに疲れている私の人件費がもったいない、ならば今晩はコンビニで1本だけ買って帰ることにしよう、といった具合である。
 次は、学習人間。これは、何かのはずみで行動が条件付けされたら、その後しばらくは、惰性でモノを買うという人間である。ある時、みんなでビールを飲んだらいい気分になれたという体験があると、その後は、いい気分になりたい時になんとなくビールを買って飲む。ところがある時、いい気分になれるどころか二日酔いになる。そうしたら飲むのをやめる、といった具合である。
 最後に、欲望人間。これは、その時々に湧き上がる欲望に忠実に、計算などは生存に関わる程度の最低限(いま持っているお金で足りるかな?)程度しかなく、いわば衝動のままに生きる人間である。なんとなくビールを飲みたいという衝動にかられて、気がついたらビールが買い物かごに入っている、といった具合である。
 合理的人間、学習人間、欲望人間という三分法は、やや位置づけが難しいところもあるが、消費者は合理的である、というのに違和感を覚える時に、いちいち計算なんかしていない(=学習)、というのと、そもそも何が欲しいかなんてわかっていない(=欲望)、という違いかと思う。
 合理的人間観では、欲望の内容を知る必要はない。しかしそれは同時に、なぜ欲するか、については口を閉ざすことを意味する。学習人間観は、パブロフのイヌがベルを聴いたらヨダレを垂らすように、決まった刺激に反応して消費者がモノを買うという、古典的なマーケティングでは好まれる戯画であった。しかしそれでは「買わない理由」を探るにはまだ不足である。なぜ古典的な刺激に反応しなくなったのか?ここからは、欲望の中身について考える道具を持たない経済学を離れ、新たな道に踏み出さなければならない。

消費を自我の安定を求める(たえまない)摂動として解釈
 欲望人間について、著者は精神分析の岸田理論による解釈を試みる。当人が自分だと思っているところのものを「自我」という。自我はまず、母親の自我をコピーすることによって形成されるが、成長にしたがって多くの他者の自我をコピーし、複雑怪奇な建築物のようになって、どうしても不安定になる。不安定になって不安に怯える自我を、ふたたび安定させ、恒常性(ホメオスタシス)を回復しようという企てが「欲望」である。欲望は、例えば、

> 自由もなく他人に認められない自分から、クルマさえあれば抜け出せる

というような「物語」の形をとって現れる。クルマが、「冒険」に換わると少年漫画。「恋愛」に換わると少女漫画。「成功」に換わると青年漫画。「美肌」に換わると女性誌の広告。

 何を欲望すれば満たされるのか。手っ取り早いのは、他者の欲しがっているものを、自分も欲しがってみることである。他者の(一見安定している)自我を取り込むことで、不安定な自分の自我を安定させようとする。読者モデルとかカリスマ主婦などはストレートな例であるし、特定の個人ではなく、匿名(anonymous)である自我がマネの対象になることもある。

> 自我の不安から逃れるために、彼らのようになれば自分は不安をなくすことができると思い、父親、会社や学校の上司や先輩などの自我を取り込もうとする。しかし、それは不可能なので彼らの欲望の対象に欲望を抱くようになる。

 けれども、他者の欲望の対象が手に入りさえすれば、自分の自我も安定するというのは、もちろん幻想である。したがって、またあらたな物語をみつけては、消費をかさねる。

> クルマが欲しいのは、クルマが欲しい他者の自我を取り込みたいからである。したがって、クルマが突然欲しくなるのは、模倣したい外部の他者が突然現れ、他者の欲望の対象さえ手に入れば自我の安定が得られるという物語に、突然、気付くからである。そして、その対象が入手できても、根底にある自我の安定は得られないので、対象への欲望は冷めて、退潮することになる。

 取り込みたい自我があり、そこを目がけて人はモノを買う。だとすれば、人の欲望の中身を知るには、その人がどんな人になりたいのか/なりたかったのかを知ることが肝心になる。例えば「嫌消費世代」の若者がどんな自我を求めるのかについて知るには、その世代が自意識を形成したころに憧れた対象――『スラムダンク』とか――すなわち、文化的環境が重要になる。そのあたりの分析は『「嫌消費」世代の研究』に詳しい。

「買わない」世代の一員としてこの本を読む
 本書ではさらに、この枠組みに沿って、「若者はなぜビールを飲まなくなったか」について、消費者調査のデータに基づく緻密な分析を行い、マーケティング戦略の立案を試みている。具体的な活用事例に興味がある方は、ぜひ参照されたい。個人的感想としては、本書にあるような分析だけで、無意識の原因が何かを探すというのは現時点ではまだ難しく、結局はカンに頼る部分が多いように思った。ただ、カンの鋭い人が気の付いたことを、カンの鈍い人にも説得するには、有用なツールであると思う。逆に、マーケティング実務に特に関心のない読者が、面倒なところを抜きにして読んでも、得るところは多いと思う。体裁は一見堅いけれど、随所にユーモアがあり、意識下に沈んでいる知識のあれこれを刺激されるに違いない。そういった趣旨から、ここでは本書のデータ分析以外の部分に焦点をあててご紹介した。
 都心でクルマを買うなんて「意味わかんない」という人は、クルマを買う行為を何らかの精神疾患と見なしているわけで、その立場――多くの購買行動がそもそも非合理にみえる立場――からは、購買行動を調べるのに精神分析を持ち込むことは、むしろ自然な流れと感じる。
 これでバブル後世代の「嫌消費」を解釈するなら、クルマや家電や持ち家に代表される昭和的なモノを、すでに入手した「他者」の自我が安定していないのを間近で見ている彼らは、同じ物語を提示してもそっぽを向く、ということになるだろうか。あるいは、模倣すべき外部の「他者」が直面している老後の不安への対処、すなわち、貯金や年金や都心のマンションを確保することで、老・病・死を迎える自我の不安定から逃れようという物語を、いまの20~30代が取り込んでいる、ともいえそうである。
 さて、例えば「◯◯が売れないのは、彼らがそこに欲望を投影するような価値を認めていないからだ」というのがわかったとして、ではどうすれば欲望を投影する価値を付加することができるのか、というのは、また別の難しい問題になる。大きくいうなら、消費社会を抜けるのはいいとして、それからどこへ向かうのか。ここで必要となるのは、単純にいえば「真のニーズを探る」ことであるが、それは本質的に難しい営みである。本書で紹介されている「売れる方法」は、一見して非常にオーソドックス、平たくいえばフツーなことに思われるかもしれない。しかしそれは、真のニーズは何かという問いが、ビジネス書を数冊読めば答えの出るような小手先のものではないことからくる必然であると思う。教養を高め、人間観や歴史観を養い、よく考えるのが、結局は近道のようだ。

(2011.03)

朝日新聞出版より
2010年9月7日発売
定価 1500円+税
「買わない」理由、「買われる」方法
「消費の時代」が終焉を迎えるのか。『欲望を退潮』させ、 見えなくなった消費者を理解
するために、ビジネスマン必読書!
「買わない」理由を、条件づけ理論、欲望論、多属性態度モデルから 解き明かす
現代日本を読み解く新たなマーケティングの教科書登場。

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