かわいいマンバ | ||
- ガングロII・2004* |
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消費研究チーム | ||
1.「ガングロ」の再来 | ||||||||||||||
今、渋谷では「マンバ」と呼ばれる若者が増えている。その外見は、一見するとあの「ガングロ」の進化形である「ヤマンバ」とそっくりである。1999年に世間を席巻し、2000年に収束した「ガングロ」ブームは、今静かに再来しつつある。 「マンバ」は主に10代後半の若者で構成される。一般に、この年代の若者は感性が鋭く、時代の雰囲気を敏感に捉えて行動するものと考えられている。彼らの姿は、現代社会のどのような実相を映し出しているのか。今回は、景気の動きと社会の変化という視点から、彼らのスタイルのもつ意味を分析する。 |
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2.「マンバ」の素顔 | ||||||||||||||
(1)「マンバ」とは何かガングロとは、「ガン=顔、グロ=黒」すなわち顔を黒くした若者(女性)である。通常は日焼けサロンで黒く焼いており、髪は茶髪、メッシュ1 が多い。高校生がメインであった。渋谷センター街が発祥の地とされており、当時は、渋谷駅前の通行人の半分がガングロであったといっても過言ではない。彼女達はクラブでパラパラを踊り、街でマッタリする。 ガングロギャルがさらに過激になったものが「ヤマンバ」である。ヤマンバもその名の通り、山姥のような爆発した白髪(メッシュ入りも)、より黒くなった顔、白く塗った目元と唇が特徴であり、共に周囲からは際立つ存在であった。 では、今回増えつつあるマンバはどのような感じなのだろうか。大まかにみてみよう。年齢は基本的に15~20歳前後、高校生が中心になっている。居住地域は首都圏(東京を中心)に散在しており、特に目立った偏りはない。よく見かける場所はやはりセンター街であり、その他の場所で出会うことは少ない。マンバの男性版も出現し、センター街で見かけることから「センターGUY2 (ガイ)」と呼ばれている。 彼らはクラブによく通っており、複数のヒアリング対象者によると、平均で週に3~4回ほどは通っているとのこと。パラパラではなく、トランスやテクノなどの音楽に合わせて踊る。曲によって異なる振り付けを覚えるのが大変らしい。服のブランドは「アルバローザ3 」が主流である。道端に座るのは日常的なことであり、おしゃべりをするだけでなく、鏡(20cm四方ほどの大きさのものもある)を取り出して化粧をする、バイト雑誌を広げる、といった光景も見られる。 彼らの間で流行っているのは、ネコに代表される動物モノである。ふわふわしたネコ耳を頭に付けている子、コンシーラー4 でネコひげをメイクする子など、様々である。手と手首を丸めて前に出す「にゃン」というネコポーズもよくとられている。他にも、「汚(お)ピンク」と称して明るいピンク色の格好で全身を固めるスタイルもかなり浸透している。 彼らの素顔をもう少し具体的に知るために、マンバの生活ぶりを少し覗いてみる。
このような感じである。センター街で見かける彼女達は、ただ無目的に来ているわけではなく、友達と会ったり、クラブで遊ぶという目的をもって来ていることが多い。 (2)「マンバ」と「ガングロ」の共通点このようにみてくると、マンバの生活スタイルに関しては、基本的にはガングロと大差がない ように思われる。ガングロとの共通点をいくつか挙げてみると、
(3)「マンバ」と「ガングロ」の違い「マンバ」と「ガングロ」をもう少し別の視点から比較してみよう。ガングロは、茶髪にマイクロミニスカート、厚底ブーツが多く、その外見や言動は自己主張・自信の表れと捉えられた。当時の雑誌の特集からは、彼女達にとって、「カッコいい」が共通の目標であったことが浮かび上がる。どちらかというと周囲に対して敵対的であり、社会に対する反抗的な性格が取り上げられることも多かった。一方、マンバの特徴的な性格を端的に表すキーワードは、「汚ピンク」「ネコキャラ」「カワイイ」に集約される。従来では忌み嫌われる言葉であった「汚」を多用することは、ガングロには見られなかった現象であり、社会一般から見てもきわめて特殊である。しかし、実際に彼女達が「汚」を価値あるものと捉えているかについては不明な点もある。彼女達の「汚」の使い方には、 などの例がある。一見するとわかるように、「汚」自体の意味を捉えているものはあまり見当たらない。 「ネコキャラ」「カワイイ」は、これとは全く逆の意味をもつ。興味深いのは、彼女達の関心の方向が、世間で一般に認められた価値と共通する点である。ネコは元々愛玩の対象となる生き物として人気があり、子供がネコの着ぐるみ姿で登場する車のCMもあるほどである。彼女達はネコグッズを多用し、「にゃン」というセリフを好んで使う。これらは「カワイイ」ものを好むという、従来からある価値をより押し広げたものである。この点は、「肌の白さ」という従来の価値に反発して、別の価値観を打ち立てようとしたガングロとの最も大きな差である。 また、「センターGUY」の登場も目を引く。ガングロは女性を中心とした現象であり、男性にはあまり極端な動きが見られなかった。しかし今回は、マンバの男性版である「センターGUY」が登場している。彼らはマンバと同様に唇を白く塗り、「アルバローザ」の服を着るなど「マンバファッション」を身にまとっている。男性が「かわいくなりたい」「ちやほやされたい」などと発言するのは、これまでの価値観ではあまり考えられなかったことである。彼らの登場は、これまでと比べて、異彩を放っている。 このように、ガングロからマンバに至る過程では、価値観の方向性に変化がみられる。このような変化が起こった要因は何か。何か他の社会的な現象と連動しているのか。以下では、ふたつのブームに沿って生じた共通現象とその変化を探り、マンバブームの背景を追究する。 |
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3.出現の歴史と社会の変化 | ||||||||||||||
(1)「ガングロ」「マンバ」ブーム共通の社会背景ここでは「ガングロ」ブームと「マンバ」ブーム、一見似通っているこのふたつの現象の背景にある共通項について考察する。まず、近年になってこのように極端とも思える現象が若者の間で見られるようになったのはなぜであろうか。 これに関してはマスコミの存在が大きいと考えられる。マスコミは、現象を取り上げることによって広範に知らしめ、社会の大勢であるかのような錯覚を与える。その錯覚によって彼らに自信を与え、現象の増幅を促進しているのである。また、若者はマスコミが与える刺激全てに反応しているわけではなく、自らの思いと合致する現象を選択している。そのため、彼らが共鳴したその現象は、若者が時代を読み取ったうえでの、若者自らの主張であるとみなすことができる。 次に、彼らの動きがなにを表しているのかについて考えてみる。 彼らの出現する「渋谷」はヒト・カネの集中する場であり、社会経済の変化の影響を受けやすい場と考えられる。ここで経済の機運、時代の雰囲気を捉えた若者がそれに反応し、主張しているのではないであろうか。 これらの現象が現れた年代に着目してみると、
1998~2000年 ガングロ
となっている。一方、同時期の社会経済状況をみてみると、
2003年~現在 マンバ
1998~2000年 ITバブルによる景気の上昇機運
となっており、重なりがあることがわかる。景気の上昇局面と連動性があるという事実は、一見単なる偶然であるかのようにもみえる。しかし、「景気の上昇局面」との連動ではなく、「景気の上昇局面の裏に隠れた何らかの変化」との連動、と捉えるとどうであろうか。この連動性は、経済の表層をみるだけでは理解できない。2003年~現在 製造業などの好調による景気の上昇気運 (2)「マンバ」「ガングロ」に表れる社会環境の変化それでは、「マンバ」「ガングロ」ふたつの現象の差異は何を表しているのだろうか。この間に社会環境がどのように変化してきたかをみてみよう。まず、「ガングロ」が隆盛した1999年、バブルが崩壊して以来景気が低迷し続け、これまでの終身雇用・年功序列の日本的な雇用体制が見直されるようになった。リストラが当たり前のようになされ、実力主義、「勝ち組負け組」、といった価値観がもてはやされるようになり始めた頃である。 ガングロの主張する「かっこいい」という価値観はこの流れをあらわしている。自らを実力あるものとし、実力主義的価値観への移行に対する共感、リストラに怯える情けない社会への反発を体現していた。ガングロのやや攻撃的な性格は、ここからきているとみることができる。 次に、「マンバ」が登場し始めた現在である。 1999年頃から現れた実力・成果主義、勝ち組負け組、といった価値の現実が見え始める。階層化が進み、ごく一部の限られた人間しか「勝ち組」にはなれないというのがわかってきた。それでもまだ競争を強要され、それを「自己責任」と片付けられる。 マンバが現れたのは、そんな現在なのである。 マンバはなにを伝えようとしているのだろうか。 |
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4.社会の変化と「マンバ」の思い | ||||||||||||||
(1)「対立」から「協調」へガングロが「かっこいい」ものを目指し、周囲に対しても敵対心を見せていたのに対して、マンバからは周囲に対する敵対心があまり感じられない。人から愛される「カワイイ」ものを好み、時には自らを「気持ち悪い」と表現してみせることからも、それは明らかであろう。だからといって、マンバは現在の社会に「協調」しているわけではない。 実力主義、競争重視の社会、争うことを強要された上でさらに負け組のレッテルを張られる社会構造を、「周囲(や仲間)との協調」によって否定しようとしているのである。 マンバの協調的・柔軟な態度は、センターGUYの登場にも見ることができる。 これまで、ガングロの時であっても男は「かっこいいもの」を目指すべきものとされていたが、センターGUYは「かわいいと言われたい」と主張し、弱さを見せることにも抵抗がない。これも競争への反発、「強くなければならない」「勝たなければいけない」という強迫観念からの離脱を示している。 マンバがよく使用する「強め」という言葉にも、それが表れている。「強め」という言葉は、ガングロの「強い(いかちぃ)」とは多少異なる意味を持つ。「強い」は、それひとつで完結した表現であり「強い」ものの中に「弱い」ものが入り込む余地はない。しかし「強め」は、ひとつのものの中に強さと弱さが並存することを前提とした言葉である。したがって、マンバはガングロと違い、自らの中にも「弱め」な部分があることを認めているのだと解釈することができる。マンバは強さも弱さも許容しており、必ずしも強くあることを求めていない、という姿勢が表れている。 (2)小さな「しあわせ」への帰着そしてマンバが主張するのは、実力主義、競争至上主義からの離脱、小さな「しあわせ」の重要性である。競争的な社会からの乖離を求め、「カワイイ」「ピンク」なものたちに囲まれようとする。「カワイイ」「ピンク」は「しあわせ」の象徴とも考えられ、よく見ると彼女たちの表情、言動からも「しあわせ」がにじみ出ていることがわかるであろう。また、「ガイ」のカリスマ的存在であり、雑誌等によく登場している「ほりたけ」は「Men's Egg」誌上で「林家ペー・パー子夫婦のようになりたい」と語っていた。ここからは、彼らのもとめる小さな「しあわせ」が、やや浮世離れしたものであることもうかがえる。彼らの求める小さな「しあわせ」は、従来の価値観のなかでは築けないということを、彼らは主張したがっているのかもしれない。 一見何も考えていないかのようにみえるガングロ・マンバ達であるが、実際に彼らの考え方を見てみると、金銭感覚・将来展望などかなり現実的である。マンバは現実をきちんと見据えた上で、現在の社会とは別のなにかを構築しようとしているのである。そしてそのなにか別の世界にあるものが、小さな「しあわせ」なのであろう。 |
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5.「マンバ」からの提言 | ||||||||||||||
結局マンバが伝えたいこと、示唆していることは何なのであろうか。 経済の上昇機運と共に出現し、勝ち組負け組といった実力主義、競争至上主義への反発を示すマンバ達。彼らは「しあわせ」を求め、対立・争いを嫌いつつも、目立ちたい・注目されたいという欲求を持ち合わせている。 彼らは対立・争いのない「しあわせ」を説いている。つまり、「協調主義」そして「平和主義」を主張しているとみることができるのではないだろうか。 現在の日本社会は実力主義、競争至上主義に押された結果、個人の能力ばかりが重視され、チームワーク・組織力が軽視される傾向にある。行き過ぎた競争と実力主義、個人主義が与えた弊害は、戦争や組織の効率性・結束力の低下をはじめとして、現在の日本の各所にみられるようになってきた。彼らはそのような価値観の矛盾を肌で感じ取り、警鐘を鳴らしているのではないだろうか。 マンバの主張する「協調主義」と「平和主義」。彼らは競争のみを重視することによって社会が失おうとしている価値、日本社会が本来有していたはずの価値を呼び戻そうとしている。 (2004.06) |
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【附 注】
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