情報ネットワークによる「信頼」形成 |
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消費社会蔓延の時代 | |||||||||||
現在を捉える言葉は様々にあります。その中でひとつの切り口としていわれるのが「消費社会」です。物を購入し、生活を構成する。この当たり前のことは、明治以降になって顕著になったものです。 この当たり前のことは明治からの富国強兵、殖産興業に伴う、様々な諸制度と改革によってもたらされました。技術革新と産業化は「雇用」を生み出します。雇用による俸給で、その製造物を購入するという循環の形です。 これらが一層拡大するのが、戦後高度経済成長期です。一般に「フォーディズム」といわれていますが、規格的大量生産を行い、累積生産量をあげ、収益を拡大しながら企業は巨大化していきます。企業の巨大化と企業収益の飛躍的拡大は、長期安定雇用と右肩上がりの収入の上昇をもたらします。それが更に消費へ向かうという循環が加速度的になっていきます。真の消費社会といわれるのはこの頃からです。 このような消費社会という観点から「今」を眺めるとどうでしょうか。明治に入って、かつての階層が崩れ、総中流へと向かう中で、生活者個人は常に「欲望」を剥き出しにし、その消費を謳歌してきました。その欲望がもはや「人間の商品化」にまで到達しようとしているのが現在ではないでしょうか。 むろんごく一部の例ですが、援助交際の名の元で、躰を売買する男女。自分を売った金をすべて遊びと消費(高額商品)へと注ぎ込む中高生。ファッションとはいえ、どうみてもかつての「その筋の方」を想像させる「茶髪」の女性(私の認識にも依存しておりますが)。健康とヘルシーの名の下で、ダイエット,エステ、そして極度の清潔などを求める男女。学校教育の弊害が叫ばれる中で(だからこそ)、一部の有名、伝統校へ入学するために、わずか2~3才の頃から教育に狂奔する親。これらはすべて「他者に選ばれる存在としての人間になる、する」ということが潜在的に抱かれている結果ではないでしょうか。自分自身でさえも商品化し、その対価を貨幣という形で直接・間接的に得ながら、更にそれをモノやサービスの消費へとつぎ込む。人間の欲望の限りない発露の形が「人間までも含めた総商品化」であり、今の消費社会の実態ではないかと思います。ボードリヤールの指摘したことが、まさに現前で繰り広げられているのがこの日本です。
(1997.04)
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