オタク的消費者の経済学 -手強いオタク | ||
客員研究員 赤根光幸 | ||
人は何故オタクになるのだろうか。この深淵きわまりないテーマを、経済学で(単純すぎるほど)単純に考えてみよう。相反するふたつの理由が考えられる。 |
「お金があるから」 |
使えるお金が多くなると、趣味的な消費にお金をかけることができる。お金がない人は生活必需品から順にお金を使うより他に仕方ないが、お金があると、何に沢山使うかを自分でウェイト付けすることができる。どこにウェイトをおくといちばんハッピーなのかというと、自分の好みの一番うるさい分野(投資1単位当たりの限界効用が最も大きい分野)にウェイトを置くのがハッピーとなる。したがって、好みのうるさい消費者をオタクと呼ぶのであれば、社会全体の可処分所得が増えると、オタク的消費者が増えることになる。 もうひとつ異なる角度から説明してみよう。たとえば1,000円やそこらの茶碗を買うのに、桃山陶や古伊万里の知識は必要ない。逆に、高いカネを出すなら、そのカネを稼ぐ時間を、ある程度は情報収集(≒趣味の涵養)に回す方が合理的になるだろう。したがって、よく稼ぎよく使う人は、必然的によく情報を集めるようにもなるのである。 |
「お金がないから」 |
使えるお金が少ない人というのは、賃金が安かったり、あるいは仕事がなかったりするので、往々にして機会費用が安い。これは、使えるお金が多い人には時間がない、という常識の裏返しである。こうした人にとって、自分の嗜好に合わない無駄な商品を買ってしまうコストは、情報を収集するコストに比べて大きいので、熱心に情報収集を行う。したがって、時間に対する機会費用が下がると――たとえば失業率が上がったり、労働時間が減ったり、年金生活者が増えたりして、ヒマな人が増えると、オタク的消費者が増えることになる。 この理屈によると、ファーストリテイリング・柳井正氏のいうように「年収1億円か、さもなくば100万円か」などという時代が到来すれば、みんなオタクになってしまうこと請け合いである。前者を「どんどんオタク」、後者を「きちきちオタク」と呼ぶことにしよう。どちらのタイプが多いかは業界によって異なるだろう。 両者に対して効果的なアピールは異なる。どんどんオタクの場合、高価だが良質な商品を、十分な情報とステータス感とともに供給するのが的確な戦略となる。自己選択(スクリーニング)のしくみがうまく機能するように品揃えを整えれば、オタクとシロウトがそれぞれ自分に合った商品を購入するのが均衡となるだろう。逆にきちきちオタクの場合、価格に見合った品質を持つことをアピールすることが重要になる。彼らはプレミア感演出のためのイメージ戦略にかかる費用を支払うことをなにより嫌う。豪華なPR活動にかかる費用が商品の価格に転嫁されることを、彼らは見逃さない。 いずれにせよ、相手はなにしろオタクであるから、ごまかしは許されない。コアな雑誌やネットの掲示板などで容赦ない論評が交わされ続けるのである。CMやイメージ戦略に惑わされることは少ない。質が良くないものは、決して長く売れ続けることはないだろう。 (2005.01)
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