(1)コミュニティの諸定義
(2)コミュニティの変遷とネットコミュニティの出現
(3)ネットコミュニティとは何か
(4)「信頼」とコミュニティの関係
2.何故、コミュニティが形成されるのか
3.コミュニティマネジメントのフレーム
5.むすびにかえて 何故に人々はコミュニティを求めているのか
ところで近年巷間で話題になっている「ネットコミュニティ」とは何だろうか。ネットという電子的なネットワーク上のいわば抽象的な空間は、具体的な空間を対象とする「リアルな空間」でのコミュニティと何が違うのだろうか。
それについて考えるためにはコミュニティの本質についての検討が必要である。本論ではコミュニティを構成する概念を次の四つであると考える。
- 情報の交換
- 信頼
- 排他性
- 創発性
以上のような考えのもとで、本論文ではコミュニティの形成・維持発展について、主に1.~3.を対象に、ゲーム論を用いて議論することが目的である。まず2章において、限定合理的な個人のやり取りが協調行動を生み出す=コミュニティが形成されることについての議論を行う。これは2.の「信頼」の形成と関連する。次に、これらの個人は結果として同質的な集合を形成していくことを示していく。これは3.の「排他性」の議論である。そして、3章においては1.の「情報の交換」について論じていく。ここではコミュニティは既に形成されていることを前提にしている。情報の交換を積極的にかつ継続的に行う人を例えば「コミュニティ意識の強い人」すると、コミュニティを発展させるためにはコミュニティ意識を持った人達を厚遇すること(フリーライダーに対してではない)である。具体的には、コミュニティにいる人達に何らかの価値ある情報を提供することがコミュニティの維持・発展には必要ということである。4章ではネットコミュニティの活用法について五つの原則を示す。5章では本論のまとめを行った上で、コミュニティ志向が高まっている要因を論じ、更に「抽象的な空間」としてのネットコミュニティの今後について簡単に述べる。
まずは、(1)でリアルな空間を対象としたコミュニティの定義の紹介を、(2)ではネット上で形成されるコミュニティについての議論を、(3)ではコミュニティが形成されるための要件となる「信頼」について、それぞれ既存の議論の検討を行う。
(1)コミュニティの諸定義
「コミュニティとは何か?」、これは未だ論争されている事項である。コミュニティには様々な切り口からの定義が可能というのがその理由である。伝統的なコミュニティのひとつの見方として、テンニースはコミュニティにおける社会関係について言及している。それが「ゲマインシャフト」という地縁血縁関係によって成り立つ「地域共同体」、「ゲゼルシャフト」という社会的な契約関係によって成り立つ「組織」という定義である。この他に彼は「ゲノッセンシャフト」について論じている。これは最近の議論に即せば、「ガヴァナンス」という、いわば上下の関係である「統治」よりも、むしろ水平的な「共治」関係によって成立する社会についても言及している。
マッキーバーはコミュニティをアソシエーションと対比しながら、コミュニティがある特定の領域を持った共同生活の空間であるとする一方で、アソシエーションを特定の関心・テーマによって集まった集団とした。テンニースの議論と引き合わせて考えると、ゲゼルシャフトとコミュニティは相同的な関係であることはわかるだろう。一方で、アソシエーションをどう捉えるかで、ゲゼルシャフトともいえるし、ゲノッセンシャフトと捉えることも出来る。いずれにしても、前者はある特定の(相対的に)「閉じた」社会関係を持つ空間であり、後者は(相対的に)「開いた」空間であるといえる。
我が国でもコミュニティについては70年代前後から目立つようになり、例えばコミュニティ問題小委員会報告によるコミュニティの定義は「生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人及び家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標を持った、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」となっている。
これらの議論の基底にあるのは、「価値」「交流・相互性・関係性」「情報」等であるとするのが本論文の立場である。そのように考えると、「ある空間内に存在する諸個人が、「情報」の交換を通じて空間内における人々の「共同的な価値=共同性」を生み出すことを通じて形成される空間」がコミュニティということになる。当然のことながら、「ある空間内に存在する諸個人」が空間に規定される一方で、諸個人が空間に働きかけるという、いわば相互作用が働くことは言うまでもない。
以上の議論はリアルな空間で形成されるコミュニティが主な対象となっている。リアルな空間は土地という存在があって成り立つため、人々は土地にも制約される。そのために移動手段が発達していない時は他のコミュニティとの交流も活発ではなく、そこで形成されるルールが普遍的ではないことも相まって、リアルな空間で形成されるコミュニティは「閉鎖的」となりがちであるとされてきた。
ところが、インターネットが普及し、このネット上での抽象的な空間において―空間的な制約がない―コミュニティが形成されつつある。このネットコミュニティについて次節で検討していく(厳密にはネット空間においても空間的な制約は存在する。例えば、「会員限定サイト」はある一定のメンバー以外には「閉じた」空間である)。
(2)コミュニティの変遷とネットコミュニティの出現
ここではコミュニティの変遷について論じる。はじめに、冒頭で論じたコミュニティを構成する四つの概念に加えて、「選択」「非選択」の言葉を用いて議論する。原初的なコミュニティとして考えられるのは、農村のコミュニティである。このコミュニティは比較的、人の流動性の低い農業で成り立っていることから、必然的に閉鎖的な性質を持つようになる。また、農業は土地を必要とすることから「土地所有」というのも重要なコミュニティ存立の要素となる。このようなコミュニティは後に経済的、政治的な要因によって「豪農」や「貧農」などに分化していくことになるが、基本的にその性質には変化はない。その閉鎖性故に、地縁や血縁が重要視されるのである。この場合、コミュニティが持つ性質は移動の不自由と言う意味で「非選択」であり、それ故に排他性が高く、信頼も重要な要素となる。但し、『信頼の構造』(山岸1998)の議論に即すならば、このコミュニティは「安心」社会とも言える(山岸の議論については(4)で論じる)。また、情報の交換という点でいうと、その閉鎖性や排他性の高さから、情報の質は差異性よりもむしろ同質性の方が高いものと考えられる。
次に産業革命前後の議論になる。「囲い込み運動」によって、人々は「土地」から引き離された。このことを農民の土地からの解放と捉えるかは、封建制度をどう評価するかによって異なるだろう。ここではそこまで論じる余裕はない。ともかく、人と土地の分離が行われるようになったのである。土地から解放されたと捉えるのなら(その裏返しとしての「都市化」の進行)、人々はコミュニティを「選択」出来るようになり、従って(相対的に)開放的になり、排他性も低くなる。これは農村コミュニティに比べてコミュニティ構成員の流動性が高くなることを意味するために、山岸の言を借りれば、受動的な意思による「安心」よりむしろ、能動的な判断による「信頼」がコミュニティ形成における重要なファクターとなる。これまでの社会のように、情報は「周りの構成員による保証付き」のものではなく、「自分で」判断する力が必要になってきたという意味で、いわば個人主義的な「合理的」な存在が顕現していくのである(近代化の代表的な概念のひとつである個人の所有権はこの議論の文脈で生み出されたともいえる)。
都市化社会におけるコミュニティも基本的にはこの延長線上にある。情報の質が多様化する一方で、コミュニティ構成員の流動性が高まることによって排他性は低下し、人々はコミュニティをより多く「選択」が出来るようになる。しかし、それによる信頼の重要度が増していく。それというのも、閉じたコミュニティでの情報交換には構成員の流動性の低さから、その情報にはある一定以上の質が自動的に保証されていたのに対して、流動性の高いコミュニティではその保証が得られにくくなるからである。「いいかげんな情報」を発した人はそのコミュニティ内で何らかのペナルティを科されるが、移動が困難である流動性の低いコミュニティではそれが大きく、流動性の高いコミュニティでは極端にはそこから「逃げ」ればよいために、殆どそのペナルティを受けないで済む可能性がある。
図表1-1 四つの視点で見たコミュニティの性質 |
この図では敢えて(議論をわかりやすくするために)、コミュニティが農村型から都市型を経て、ネットコミュニティへという方向を「図式的」に示している。実際のコミュニティはこれらの両極のいわば「ゆらぎ」の性質を持っているのであり、そのゆらぎが「創発性」を生み、その逆もあることを一言述べておく。ところでこの図では、コミュニティを構成する四つの概念を挙げている。それが「情報」、「関係」、「排他性」、「創発性」である。ふたつめの「関係」についてであるが、コミュニティの通時的な性質を「信頼」と「安心」のふたつの「関係」で表現する。「情報」について、これは交換される情報の量や、その質の多様性、更に他のコミュニティとの「交通」による情報の多寡を示している。単純に表現すれば、(客観的なデータとしての)記録に残るものを情報としてもよい。「関係」については、非選択的なコミュニティではその人間関係が「所与」のものとされているために受動的な「安心」が、選択的なそれではコミュニティへの参加や所属することを選べることから、能動的な「信頼」へとそれぞれバイアスがかかってくる。「排他性」については説明するまでもないだろう。「創発性」については、「情報」の多様性、関係が能動的であるかどうかで決定される。
人々が何故にコミュニティに集まるのか。それはコミュニティの一側面は情報共有・交換の場であり、人々が持つ情報には限りがあるため―限定合理性ともいう―、互いの情報をコミュニティという共通の場で交換することによって、各々の活動を可能にするという面もコミュニティは持っているからである。しかし、これらの情報交換が質の面での保証が得られるのは、図表1-1で示すように相対的に非選択的なコミュニティである。しかし、これまで論じてきたように現在のコミュニティは非選択性が限りなく低下している。非選択から選択へ、いわば人々の自由度が高まったのであるが、その代償が情報の質の低下―受動的な「安心」から能動的な働きかけによって得られる「信頼」―なのである。
その延長線上で出現したのがネット空間上で形成されるコミュニティ―ネットコミュニティ―である。コミュニティ衰退・崩壊によって、初めて自分たちは極めて限られた情報しか持ち得ないことに気づいてしまった。しかし、以前のような非選択的なコミュニティの構成要素としての地縁・血縁の回復などの試みは短期の間で成されるものではないために、人々はネットという仮想的な空間-土地の代わりか-にコミュニティ形成の礎を、コミュニティの凝集性を情報共有・交換へのニーズに求めてきているのである。これがネット上で展開されているテーマ型コミュニティというものである。
次節ではそのネットコミュニティについての議論を検討していく。
(3)ネットコミュニティとは何か
以上のものはリアルなコミュニティを対象として論じているが、例えば「2ちゃんねる」を興した西村(2003)は、ネットコミュニティの定義を次のようにしている。- 人が集まるグループであること
- 社会的交流を共有していること
- メンバー同士または他のメンバーと共通の結びつきを持つこと(帰属意識の共有)
- 最低でも一定の時間同じ場所にいること
- コミュニティは社交性、支援、情報、親密の感覚および社会同一性を提供する、人と人との間の結束のネットワークである。
- そこでは相互関係を形成する中心形態としての「コミュニティ」が「ネットワーク」に置換されている。
- コミュニティは価値と社会組織を共有する-共同性が基盤となっている。
- ネットワークは社会の行為者(個人、家族、社会集団)による選択や戦略によって構築されている。
- インターネット上で形成されるコミュニティは個人によって社会的な関係が形成されるのであるが、それは「個人化されたコミュニティpersonalized communities」と言える(p.128)。
- 社会的な関係が構築されていく際にインターネットが持つ最も重要な役割は、個人主義に基づいた新たな社交性の傾向に寄与することである(p.130)。
- 但し、この「ネットワーク化された個人主義networked individualism」は孤立した個人の集合ではなく、社会的な形態(pattern)を持つ(p.131)。
- インターネットは周囲の人達と親しくなる(これもひとつの選択肢である)ための新たな手段である(p.132)。
- ネット上で形成されるコミュニティは「特化したコミュニティspecialized communities」の形態になる。
リアルな空間にせよ、ネット上で形成されるものにせよ、コミュニティ形成の要因のひとつが情報の共有・交換であることから、それらの情報に対する人々の「信頼」がなければ、そのコミュニティは遠からず衰退・消滅する。更にいえば、信頼だけではなく、協調もコミュニティが継続する上で大切な要件となる。次節ではコミュニティ形成の一条件となる「信頼」と、諸個人の協調行動が達成されることについての議論を検討する。
(4)「信頼」とコミュニティの関係
コミュニティはある程度以上の時間をかけて形成されるものであり、その関係が形成されるためには人々の間で「信頼」が形成される必要がある。この信頼はどうやって形成されるのかについての議論は、例えば山岸(1998)で行われている。彼は「信頼」と「安心」は別なものであると論じている。彼によるこれらの定義は次の通り。
- 信頼:相手の意図に対する期待としての信頼
- 安心:相手が自分を搾取する意図を持っていないという期待の中で、相手の自己利益の評価に根ざしたもの
諸個人間の信頼や秩序の形成についてはゲーム論での記述が試みられている。それが例えば盛山・海野(1991)であり、最近では松井(2002)の議論がある。松井は、不完全な情報しか持ち得ない個人は、諸個人間の通時的な関係が繰り返されることによって協調行動が達成されるとしている。これは別に「利他的」という前提を置いているわけではなく、単に諸個人の「個人的意思」によって協調が達成されるということである。換言すれば、人々は何らかの満足度を達成したいのであるが、そのためには情報が少なすぎて不安が多い。従って、他の人との通時的な関係を築き上げることによって情報を入手し、満足度増大を図っていくという構図になっている。この「通時的な関係」というのがポイントで、「1回限り」では高々1回分の情報しか得られないのであり、関係を続けることで情報が蓄積される。この側面で「協調」が達成されるのである(従って、ここでの「協調」とは一般的に用いられる語の意味とは若干ニュアンスが異なると思われる)。以下ではコミュニティ形成の議論を松井(2002)等を参考として、ゲーム論的な視点で論じていくことにする。
本稿には当社代表・松田久一、並びに社会・経済研究チームのメンバーによる議論・検討の成果が活かされております。あり得べき誤りは筆者の責に帰します。
- 【主要参考文献】
- 山岸俊男(1998)「信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム」東京大学出版会
- 松岡祐典・市川昌浩・竹田茂 編著(2003)「ネットコミュニティビジネス入門―ネットビジネス成功の鍵はコミュニティ・スキルの有無にあり」日経BP社
- M.Casttells(2001)"The Internet Galaxy", Oxford
- 盛山和夫・海野道郎(1991)「秩序問題と社会的ジレンマ」ハーベスト社
- 松井彰彦(2002)「慣習と規範の経済学―ゲーム理論からのメッセージ」東洋経済新報社
- 松岡祐典・市川昌浩・竹田茂 編著(2003)「ネットコミュニティビジネス入門―ネットビジネス成功の鍵はコミュニティ・スキルの有無にあり」日経BP社
本コンテンツの全文は、メンバーシップサービスでのご提供となっております。 以降の閲覧にはメンバーシップサービス会員(有料)が必要です。
|