米国発の金融危機の影響で、ラグジュアリーホテルが価格競争の果ての収益低下に苦しんでいる。2008年11月現在の1室あたりの収益力(Rev PAR : 客室単価と客室稼働率の積)が、前年同月比1万円以上下落したホテルもあるなかで、唯一Rev PAR4万円台を維持しているのが、ザ・リッツ・カールトン東京である。
また、ホテル業界が最も重視する指標のひとつである顧客満足度においても、2006年から2008年にかけ、3年連続トップを獲得、数多くの「顧客への高いサービス」の逸話を裏付けた(「2008年日本ホテル宿泊客満足調査」 J.D.パワー アジア・パシフィック)。
ザ・リッツ・カールトンは、企業理念や組織文化の浸透の取り組みなど、CS(顧客満足)経営のお手本として語られることが多い。顧客満足のカギとなる「世界最高クラス」といわれる高いサービス水準を実現するための取り組みと、そのコミュニケーションについて紹介する。
図表1.2000年以降に東京・大阪で開業した主な外資系ホテル
ホテル市場は、バブル崩壊で激変した。
バブル崩壊以前に大きなウエイトを占めた法人需要が激減、個人需要に軸を移さざるをえず、多様な顧客層に対応した市場の分散が起きた。
個人需要のなかでも、新興富裕層や欧米ビジネスマン、アジア富裕層などを取り込んだのが「ラグジュアリークラス」といわれるホテルである。
1990年から2005年の15年間で、金融政策の緩和による株式の新規公開やM&Aの増加などで年間所得2,000万円超の新興富裕層は1.9倍に増加、その新興富裕層をターゲットにした外資系企業の日本市場への参入増加により、東京に出張する欧米ビジネスマンも増加した。さらに、2002年に「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が政府主導で立ち上げられたことにより、訪日外国人客数、特にアジア各国からの来訪者数は2001年の297万人から2007年613万人(106%増)へと大きな伸びを見せた。
このような新興富裕層や欧米ビジネスマン、アジア富裕層等の訪日外国人が、高級ホテル市場の潜在顧客ではあるが、2000年以前、国際的な知名度を持つ外資系ラグジュアリーホテルチェーンの東京進出はまだわずかだった。海外の各都市で欧米ビジネスマン、アジア富裕層等を既に顧客として獲得していた外資系ラグジュアリーホテルチェーンは、日本市場でも顧客の囲い込みを図るべく、2000年以降の「都市計画法」「建築基準法」などの規制緩和をきっかけに一気に日本市場進出を開始した。2002年から2009年の7年間でザ・リッツ・カールトン東京を含む七つのラグジュアリーホテルが開業したのである。
ザ・リッツ・カールトンは、2007年に実施された「国内のホテルに関する調査」で、「ぜひ泊まってみたいホテル」の項目で、帝国ホテル、東京ディズニーシー・ホテルミラコスタに続き、外資系ラグジュアリーホテルとしてはトップの3位を獲得した。
選ばれた理由としては、帝国ホテルが「日本一のサービスと聞くから」、ザ・リッツ・カールトンは「世界最高級のサービスと聞いているから」が挙げられており、ラグジュアリーホテルのサービスへの期待は高い。国内のユーザーは、Webや雑誌などで積極的に情報収集を行うため、利用経験に関わらずサービス内容をよく知っており、新サービス開始の情報などへの関心も高い。外資系ラグジュアリーホテルの参入自体にニュースバリューがあった上に、「世界水準のサービス」への興味関心も高かったことが好順位につながったといえるだろう。
ザ・リッツ・カールトンと前後して日本に上陸を果たした他の外資系ラグジュアリーホテルも独自の高いサービス水準を訴求している。
これら外資系ラグジュアリーホテルは、海外拠点で評価の高いサービスに加え、サービスのローカライズにも積極的だった。
マンダリン・オリエンタル東京では、「レジェンダリーサービス」と呼ばれるサービススタンダード、海外拠点で評価の高いオリジナルのスパやパティスリー、「客室数が少なく、レストランが多い」施設設計などグローバルに統一されたサービスや施設を展開。一方で、その土地の歴史と文化を活かす「センス・オブ・プレイス」の方針から、日本橋に開業した同ホテルは、客室内装を呉服から発想を得た「布」を通して表現、ファブリックと落ち着いた色調の家具が調和したゲストルームを実現した。
フォーシーズンズホテル丸の内東京は、「自分がされたいように人にせよ」というサービススタンダードのもと、1ホテルの課題に対し全世界のスタッフがアイデアを出し合うネットワークや、一流のレストランを置く施設設計を展開、さらに日本人であれば浴衣を用意するなど、ゲストの国籍にあわせた様々なさり気ないサービスの提供を行っている。
外資系ラグジュアリーホテルの取り組みは、独自の商品開発やパッケージプランにも及んだ。
グランド・ハイアット東京はレストランのペストリー類を充実、ザ・ペニンシュラ東京は、「ザ・ペニンシュラ・ブティック」を日本橋三越にオープンするなど、ホテルに来館できない顧客にもその雰囲気や味を体験してもらおうと、デリカッセン商品の販売にも取り組んだ。マンダリン・オリエンタル東京は日本橋という立地から江戸情緒を味わえるプランを、ミシュラン認定レストランを2店有するコンラッド東京は料理を訴求したプラン、約2万坪の日本庭園を有するフォーシーズンズホテル椿山荘東京は19種類の桜を堪能できるプランなどを販売している。外資系ラグジュアリーホテルは、このような積極的な施策を打ち、新規参入の話題性も手伝って一時は90%台以上の高い稼働率を実現するホテルもみられたが、金融危機の深刻化にともない稼働率の低下が目立ち、価格競争に巻き込まれるとともに1室あたり収益も2万~3万円台前半に落ち込んだ。
外資系ラグジュアリーホテルの相次ぐ上陸による競争激化は、国内のラグジュアリーホテルにも大きな影響を与えた。
国内の御三家と称されるホテルのうち、ホテルオークラとホテルニューオータニは地方都市への積極的な進出に活路を見いだそうとしたが、増収にはつながらず、旗艦と位置づけられる東京の稼働率も2009年1月時点で5割を切るなど低迷した。
国内ホテルの雄といわれ、上記の「ぜひ泊まってみたいホテル」の調査でザ・リッツ・カールトン東京を上回る順位を得た帝国ホテルも、1室あたり収益ではトップのザ・リッツ・カールトンに1万5,000円の差をつけられ、7位に沈むなど厳しい状況に追い込まれている。
帝国ホテルは、日本流の細やかな気配り・おもてなしを実現するため、全社員参加の「さすが帝国ホテル推進運動」の実施や改装などで、サービス品質や顧客満足の向上を目指した。特に旗艦となる帝国ホテル東京は、2003年頃から5年間で総額170億円をかけ、プレミアムグレードの「インペリアルフロア」を新設、一般客室も全室改装し、英国の高級ホテルデザイナーを起用する等高級感にもこだわった。また、施設面での環境対策、安全対策の向上も図られた。
さらに、会員組織「インペリアルクラブ」を通じた会員限定の優待プランや、帝国ホテルで挙式したカップルを対象に新会員組織「グレース」を立ち上げ、新たな顧客づくりに取り組んだり、ニンテンドーDS用ゲームソフト「しゃべる!DSお料理ナビ まるごと帝国ホテル~最高峰の料理長が教える家庭料理~」の共同開発を行うなど、顧客の組織化や情報提供も積極的に行われた。
しかし、帝国ホテルのコミュニケーション施策はやや単発的で、ラグジュアリーホテルの顧客層に特化したものではなかったことなどから、金融危機による欧米ビジネスマンの減少や、円高によるアジア観光客の減少により、2009年1月の稼働率は59.6%と厳しい状況にある。
厳しい環境のなかで、ザ・リッツ・カールトン東京が高い収益力を維持し続けている理由は、高いサービス水準による顧客満足と、それを継続的に訴求していく仕組みにあると考えられる。
米ザ・リッツ・カールトンは、1992年と99年の2度マルコム・ボルドリッジ賞(米国国家経営品質賞)を受賞している。マルコム・ボルドリッジ賞とは、顧客満足の改善や実施についての優れた経営システムを有する企業に、米大統領自らが授与する賞で、2度の受賞は同社の高いサービス水準のエビデンスともなっている。
各地での独自の取り組みも盛んで、ザ・リッツ・カールトン東京でも、毎日決まった時間にバックオフィス、キッチン、総支配人も含めた全ての従業員が交代でロビーに立ち、直接顧客サービスに当たることで、顧客の嗜好や求められるサービスなどの情報を収集する「ロビーライオン」と呼ばれる取り組みを実施している。得られた月2,000~3,000枚に及ぶメモは、顧客情報の早期の蓄積に繋がり、開業から1年で顧客の2割強がリピーター、7割を国内の富裕層が占めるにいたった。
ザ・リッツ・カールトンの高い顧客満足は、国内でも大きな関心を呼んだ。1997年開業のザ・リッツ・カールトン大阪が軌道にのった2004年以降、元ザ・リッツ・カールトン大阪営業統括支配人の林田正光氏、日本支社長の高野登氏の両トップが、それぞれ書籍と講演を精力的に展開している。その内容は、一貫した経営哲学やそれに基づく社内の取り組みと、その結果生まれた逸話を紹介するものであり、毎年200回近い講演会とほぼ毎年のペースでの書籍出版が行われ、ザ・リッツ・カールトンのサービス品質に対する、潜在顧客の認知・理解を促進する一助となった。
さらに、企業や団体向けの現場見学会や、ザ・リッツ・カールトンのスタッフによる企業向けの研修により、同ホテルのサービス品質を体験する機会を設けた。特に、リーダーシップ研修や顧客満足経営の素材として扱われることが多く、企業のマネジメント層、すなわちザ・リッツ・カールトンのターゲット顧客層に訴求する直接的な機会になったと考えられる。ザ・リッツ・カールトンのサービス提供の根本にあるのは、「働く人々に、働いていてよかったと思える環境を提供し、従業員が心から満足した結果、初めて顧客が満足するサービスを提供でき、結果として収益も上がる」という経営哲学である。このような理念は、全従業員が携帯する「クレド」と呼ばれるカードにも記されているが、この「クレド」をもとにしたサービス強化策は、様々な業界で取り入れられている。小売業ではファミリーマートが「ファミマシップ」に基づく経営改革を行い、自動車販売ではネッツトヨタ南国、クレジットカードではアメリカン・エキスプレスなどに取り入れられている。
こうした企業の取り組みを通じて、マネジメント層のみならず、従業員およびその家族にザ・リッツ・カールトンブランドが浸透、「一度は受けてみたいサービス」という認識が強まったと考えられる。
図表2.ザ・リッツ・カールトンの善循環モデル
ラグジュアリーホテルは、「ホテルならではの高水準のサービス」を提供価値とし、訴求してきた。
そのなかでも、ザ・リッツ・カールトンのコミュニケーションの特徴は、単に「サービス水準」を単発的に訴求するのではなく、マルコム・ボルドリッジ賞というエビデンスや数々のサービスと顧客満足の逸話という強みの活用により、自社の経営の参考としたいマネジメント層に対し、他社が真似るのが難しい書籍・研修という手段を用いて、ザ・リッツ・カールトンの提供価値を浸透させたことにある。このようなブランドの浸透が、さらにザ・リッツ・カールトンの提供するサービスの価値を高め、そこからまた書籍や研修のニーズにつながるという善循環が形成されている。
優れたサービス・製品品質を実現している企業は多い。しかし、情報感度の高い顧客には「売らんかな」の姿勢は受け入れられず、その価値を的確に伝えきれていないケースが多いのではないだろうか。
自社の強みを、研修や書籍といった形で訴求し、結果的に第三者からの高い評価を自らのターゲットに届くような善循環を形成したザ・リッツ・カールトンは、ブランド形成のコミュニケーションのひとつの答えを示していると考えられる。
参照コンテンツ
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