2.停滞する家具市場に風穴を開けたイケア
3.イケアの成功パターン
4.変わり始める競合の出店戦略
5.イケアの直面する問題
6.戦略転換のポイント
1.イケアの描く成長戦略
スウェーデン発祥の家具販売大手であるイケアが2014年4月にイケア立川の営業を開始する。これを皮切りにイケアは2020年までに既存7店舗から14店舗へと出店を拡大させる。新たな家具の購入スタイルを日本に持ち込みイケアは成功を収めてきた。しかし今後の行く先には、家具市場の縮小や出店余地の縮小、品質志向の顧客の拡大と逆風が吹いている。逆風に立ち向かうイケアの描く成長戦略に注目が集まる(図表1)。
図表1.イケア・ジャパンの売上高推移 |
2.停滞する家具市場に風穴を開けたイケア
日本における家庭用家具市場は先進国の中でも非常に低レベルな状況となっている。2011年の家庭用家具の市場規模は6,353億円となっており、2007年の8,908億円から2,500億円が失われている(矢野経済研究所調査)。家計調査(総務省2013年)によると家庭内支出における1ヵ月の家具購入費は1世帯当たり402円(総世帯)であり、アメリカの月間3,386円(年間391ドル、1米ドル=103.909円換算:Consumer Expenditure Survey, U.S. Bureau of Labor Statistics)に比べて非常に低い。日本では、家具を大事に扱うという風潮が強く、そのため家具の保有期間が長くなり、購入頻度が小さくなる傾向にあるためと考えられる。そのため他の先進国よりも購入頻度の低い、停滞市場となっている。
これまでの日本の家具販売は、購入顧客が大型の家具販売店に行き、販売員の応対を受けながら中高価格帯の家具を購入する、ということが多かった。このような販売員主導の家具市場に大きな変動をもたらしたのがニトリ、イケアといった低価格、高デザイン家具のセルフ販売店の躍進であった。いずれも、それまでの家具販売店に比べて安い価格で、デザイン性の高い商品ラインナップを武器に出店を加速してきた。2008年のリーマンショックなどの影響もあり、その価格の低さやデザイン性の高さは市場のニーズを掴むことに成功し、家具販売店の序列を塗り替えることとなった。
イケアが最初に日本に出店したのは1974年である。東急不動産などの日系企業と合弁会社を設立し、千葉県船橋市や兵庫県神戸市に出店するも1986年に一度日本から撤退している。欧米のビジネスモデルをそのまま使用したことが日本の文化や商習慣に適応しなかったことが理由とされる。日本市場へのリベンジは2002年の日本法人「イケア・ジャパン」設立から始まる。二度目の進出では一度目の失敗を活かして日本市場について詳しく分析することから始めた。数百件もの日本の住宅への訪問や住人へのインタビューを敢行するなど、入念な調査を行い日本市場への理解を深めた上で2006年4月に再出店第1号となるイケア船橋を開業した。その後同年9月にはイケア港北(神奈川県)、2008年にはイケアポートアイランド(兵庫県)、イケア鶴浜(大阪府)、イケア新三郷(埼玉県)、2011年にはイケア仙台ミニショップ(東日本震災からの復興支援として開業。2014年までの営業を予定。)、2012年にはイケア福岡新宮(福岡県)と合計7店舗を出店してきた。大都市を中心とした7店舗のみでの出店でありながら、ニトリに次ぐ第2位へと躍進し、大きな存在感を示すまでに成長した。