アシックスは、1977年、スポーツシューズ専門メーカーのオニツカと、スポーツウェアメーカーのジィティオ、ジェレンクの3社が対等合併して誕生した総合スポーツメーカーである。
2013年度、アシックスは、売上高3,294億円、営業利益265億円、当期純利益161億円と前年同期比で大幅な増収増益となり、最高益を更新した。2003年度からの10年間で売上高を2倍以上と急成長を遂げている。
前身であるオニツカの創業から、総合化による事業拡大と1990年代の低迷、それを乗り越え、アシックスがどのように再成長を遂げていったのか、転換期を中心に振り返る。
アシックスの社名にもなっている「健全なる身体に、健全なる精神が宿る(Anima Sana in Corpore Sano)」という言葉は、前身であるオニツカの創業者・鬼塚喜八郎がスポーツシューズメーカーを立ち上げる動機となった言葉でもある。
1949年、戦後の混乱期、親を失った子供たちの非行化が進んでいた。鬼塚喜八郎は、「青少年の健全な育成にはスポーツが必要」という友人の言葉を受け、当時まだたいていのスポーツがズック靴か地下足袋で代用されていた時代に、競技に全力で打ち込めるようなスポーツシューズを作ることを決意した。アシックスの前身であるオニツカ(鬼塚商会)の創立である。
以降、オニツカは着実に成長を重ねていくことになるが、零細企業であったオニツカの成長を支えたのは、競技者目線の徹底した機能性による1点集中の差別化にあるといえる。そのポイントはふたつある。
ひとつ目は、参入領域をチャンスのある分野に集中させたことである。1949年、オニツカが最初に手掛けたのは、バスケットボールシューズだった。バスケットボールシューズは当時最も難しいとされており、競合の視点では「隙間」であったと言える。その「隙間」に入り込み、バスケットボールシューズでのシェアが50%を占めるといわれるようになると、次に目を付けたのは、マラソンシューズだった。1953年当時、マラソン選手の大半が足にマメを作っており、「マメをこなして走れるようにならないと一級の選手にはなれない」という考えさえあった。つまり、当時のマラソンシューズにはマラソンを行うための機能が不足しており、そこに需要が眠っていたということになる。結果として、オニツカのマラソンシューズは評価され、五輪など多くの場面で使用されるようになっていった。
ふたつ目は、特定の分野に力を集中させたことにより高い機能性を実現したことである。鬼塚喜八郎は、バスケットボールシューズを開発する際、兵庫県の部活動に毎日参加し、選手の動きやシューズの動きを頭の中に叩き込み、練習の後には、選手に試作品シューズの問題点をヒアリングするという努力を重ねていったという。そこで発見した「滑る」という問題点に対し、(夕食のタコの酢の物からヒントを得たという)「吸着盤型バスケットボールシューズ」が開発された。マラソンシューズについても、同様の試行錯誤の結果、足と地面との衝撃熱を逃がす、通気性の高い構造のシューズの開発に至っている。
このような「他社にない企画で、特定の分野に穴をあけるように徹底して食い込んでいく」ことを、鬼塚喜八郎は「キリモミ商法」と呼んでいる。競技者が評価する徹底した機能性のシューズは、オニツカ、アシックスにとって最大の強みであるといえる。
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