テレビ局を取り巻く経営環境が、厳しさを増している。放送局と一心同体で、蜜月の関係を築いてきた広告代理店が、放送業界を見限り始めているからだ。Netflixをはじめとする映像配信企業の台頭で、かつてのような放送電波の希少性は低下し、番組表に合わせて視聴者をテレビの前に集めることは難しくなった。また、テレビ離れや、視聴者の高齢化で、かつてのように視聴率が番組評価の指針にならなくなってきている。一部報道では、広告代理店最大手の電通が、CM枠の買い取りを見送る旨を、フジテレビに対し通告したといわれている。
構造変化が進む放送業界について、これからの展望と、放送局の生き残りの鍵を模索する。
インターネットなどのネットワーク環境の高度化が進み、デジタル情報をいつでもどこでも自由自在に流通できる基盤が整ってきている。デジタル機器も高度化し、テキスト、音声、映像など、あらゆる情報はビットで表現できるようになった。このような環境では、テキスト情報は新聞や雑誌や書籍で、音声は電話やラジオで、映像はテレビで、というように、情報の形式によってメディアを変えるという態度は無意味になった。アナログ放送時代の電波の希少性も、事実上消滅しつつある。
放送と通信の融合が進むことで、より大きなコンテンツ業界や情報メディア業界、という新たな枠組みが出来上がってきている。NetflixやHuluをはじめとする、内外の映像配信業者の台頭で、放送時間に合わせて、視聴者が番組をわざわざ見に来るといった行動が、ナンセンスな時代になってしまったのだ。
他方で、テレビの視聴者の高齢化が進んでいる。視聴率の高さは事実上、(日本人全体ではなく)高齢層における視聴率の高さを意味する。テレビはもはや、老若男女を問わず不特定多数の幅広い視聴者を集められるツールではない。また、高齢層をターゲットとしない広告主からみれば、高齢層の視聴率の高さは、何の価値もない。番組枠やCM枠は希少性を失い、視聴率という番組評価の指針までも失われつつある。そのため、キー局は広告主や広告代理店に対する交渉力を徐々に失っていっている。
放送局は、これまで顔の見えない不特定多数を相手に、出来るだけ高い視聴率を獲得することに汲々とし、どの局も「勝ち組」に追従し続けてきた。その結果、番組づくりの発想が極度に同質的で画一化していった。今や、放送局自体が、大多数の視聴者から見限られている。高齢の視聴者層ですら、画一的な番組編成には、明らかに愛想をつかしている。