原宿は独特なファッションやトレンド「原宿カワイイ」を発信し続ける、若者の街として有名です。流通の観点からみると、原宿は小売業チェーンの旗艦店が集結し、最新店舗フォーマットをまとめて視ることができるエリアです。
ユニクロにとって初の都市型店舗を出店したこの地に20年6月、8年ぶりとなる「ユニクロ原宿店」がオープンしました。この新店舗は、lifewearを体現すると同時に、リアルとバーチャネルを融合させたデジタル時代のリアル店舗像を体感できる場でもあります。
また、20年4月には郊外型ホームファニッシング業態を展開するイケアが初の都市型店舗をオープンしました。都市部に住む消費者ニーズに応える新しいフォーマットです。
美容関連では、ネットで化粧品の口コミサイトを展開するアットコスメ(化粧品専門店「アットコスメストア」を国内外に30店舗以上展開)が20年1月、原宿駅前に新体験型フラッグシップショップ「@cosme TOKYO」をオープンしました。この店舗は全3フロアで圧倒的な数のブランドを取り扱い、美容にまつわるあらゆる体験ができる化粧品専門店の新しいフォーマットになっています。また、竹下通りには韓国コスメの先駆けであるエチュードハウスの旗艦店が出店しています。
原宿は衣料、ホームファッション、美容関連の次世代店舗フォーマットや売り方を体験できる、視察するべき価値のあるエリアです。今回は原宿の歴史に着目して、この街の特徴をご紹介します。
2021年。本来なら世界中から観戦者が押し寄せ、お祭り騒ぎの一年になっていたはずの東京オリンピック・パラリンピック。でも実際は、無観客の会場に選手の激しい息づかいや競技音だけが響き渡る静寂のオリパラとなった。それはそれで臨場感があっていい、という声もあったにはあったが・・・。とにもかくにも、2020年の開催を翌年にずらしてまで成し遂げたパンデミック真っ最中でのオリンピック・パラリンピックを無事に閉幕できたことは、世界から評価されるべきことなんじゃないかと思っている。
本来は、今回の東京オリンピック・パラリンピックに来日予定だった人が、世界中からド~ッとやってくる!はずだった。また、その時は今回のオリパラ競技場はもちろん、1964年に開催された日本で初めての東京オリンピックのレガシーも併せてみておこう!と思っていた人もいただろうが、残念ながら今回はパンデミックに巻き込まれるという最悪のシナリオになってしまった。けれど、自国で配信を観て日本に興味を持ち、いつか日本へ行こう!と思った人も少なからずいたはず。そんな人々が来日し、街がインバウンドで賑わう日が一日も早く訪れることを願ってやまない。
競技は終わってしまったが、オリパラの経済効果はスムーズに海外旅行ができるようになってからが本勝負だ!負のレガシーを解決するためにも、世界中に向けて東京オリパラのレガシーを発信し続けることこそが重要課題だと思うのだ。そこで、今回は1964年と今回の東京オリンピックで大きく変貌した街「原宿」の歴史を紐解きながら、そのヒントを考察する。
2021年の東京オリンピック・パラリンピックでも、多少の都市インフラは実施したが、競技場に関しては1964年に用いられた競技場の再利用がほとんど。ご時勢的にやむを得ないが、大きく変わったのは「新国立競技場」ぐらいのものだった。初めてのオリンピック自国開催だから当たり前だが、1964年の東京オリンピック時の変貌は凄まじいものがあったようだ。
代々木の選手村から競技会場へ向かう選手たちを円滑に送り届けるため、まずは新たに22路線の道路建設と拡幅工事を実施。国道246号の一部である現青山通りも、この時に作られた「オリンピック道路」と呼ばれた道路のひとつで、国立競技場と駒沢の競技会場を結ぶ主要連絡路と位置付けられたそうだ。
道が広がると、ビルやマンションの開発が進む。そして、そこに最新ファッションのショップなどの良店がどんどん集まってくる。すると、時代のトレンドを求め、街には多くの人がやってくる。1964年の東京オリンピックを機に、原宿はそうやって発展してきたのである。オリンピックの前年に日本橋から青山に移転し大成功を収めたVANの創業者・石津健介氏もオリンピック後の発展にいち早く目をつけ、行動に移した成功者の一人。原宿には、戦後の外国人居留地「ワシントンハイツ」があり、近くには高級スーパーマーケットやボウリング場など、当時の日本では考えられないほど眩い文化が集まっていたことも、石津氏が移転場所に選んだ理由だったようだ。
ワシントンハイツが選手村に選ばれたのは1961年のこと。当時の第一候補は埼玉県朝霞駐屯場だったというから、もしも、そのまま朝霞に選手村ができていたら、オシャレの発信タウンは池袋になっていたかもしれない。そんなことを思うと、街の歴史も人生も選択次第でその後の道のりが大きく変わっていくんだな、と改めて実感する。
ワシントンハイツは、1946年、終戦の翌年に建設された連合国軍占領下の日本に作られたアメリカ空軍とその家族のための団地の名称。およそ100平米の敷地に827戸の住宅、学校、教会、劇場、飲食店、小売店などが設けられていたリトルアメリカのような場所だったようだ。周囲は塀で囲われ、日本人の立ち入りは禁じられていたというから、どことなく逆バージョンの「進撃の巨人」をも想像させる。
ところが、実際の米兵は草野球をする場所を開放するなど、近所に住む日本人や子供たちに優しかったのだそう。ちなみに、その少年野球チームのひとつに「ジャニーズ」というチームがあり、その監督をしていたジョン・ヒロム・キタガワというアメリカ帰りの日本人こそがジャニー喜多川氏である。ワシントンハイツで楽しく草野球をしていた少年たちが、のちの男性アイドル王国の礎になろうとは、当時は思いもしなかっただろう。余談だが、昨年公開されたニューヨークに実在する移民街「ワシントン・ハイツ」を舞台に移民たちの生活や夢を描いたミュージカル仕立ての映画「イン・ザ・ハイツ」も是非観て欲しい作品だ。時代も設定も異なるが、原宿もニューヨークも「ワシントンハイツ」という名の元には、そこで生き続ける小さな外国があり、そこから新しい文化が生まれているという共通項を感じられるはずだ。
ワシントンハイツは、1960年の日米安保条約が発効されるまで治外法権的存在として存続していたが、翌年11月に東京オリンピックの選手村になることが決定。直後から、広い敷地内には東京オリンピックの選手村、国立代々木競技場、NHKの前身である国際放送センターが建設され、オリンピック開催年の1964年の8月には日本に全面返還された。そして、ワシントンハイツ内にあった戸建て住宅は、選手村住宅として活用。当時、オランダ選手の宿舎として使用された小型の住戸が現在も代々木公園の原宿駅寄りに保存されている。
1964年の東京オリンピックレガシーのひとつで、国の重要文化財に指定される見通しとなっているのが「国立代々木競技場・第一、第二体育館」。空中に渡したケーブルで屋根を支える「吊り構造」を採用した柱が一本もない体育館は、ゆるやかな曲線のシルエットが美しいと評価され、戦後モダニズム建築の代表として世界中から注目されている。また、その優美な姿は竹の子族やホコ天バンドブームなど、常に新しい文化を発信し続けてきた原宿の象徴ともいえる。
そして、残念ながら今回のオリンピックでは使用されなかったが、代々木競技場は前回の東京オリンピックを機に、バスケの聖地として崇められてきた場所でもある。一度目の東京オリンピックから57年。まさか女子バスケチームが銀メダルを獲得する日が来るなんて誰が想像しただろう。今回の彼女たちの活躍は、それまで独壇場だったアメリカバスケ黄金時代に一石を投じ、日本のバスケットボール競技の新たな幕開けになったに違いない。
そして、この2度にわたる東京オリパラの会場となった国立代々木競技場の最寄り駅である「原宿駅」もまた、重要なオリンピックレガシーとして忘れてはならない場所だ。オリパラ期間中の混雑緩和のため、木造駅舎としては日本一古かった稀少な駅舎を解体し、2020年3月から新駅舎での営業を開始。1本だったホームを2本に増設し、前駅舎の3倍の広さの明るい駅に生まれ変わった。
そんな原宿駅の明治神宮前口からすぐにあるのが、1964年のオリンピックレガシー「五輪橋」。国立競技場と代々木競技場を結ぶ道路が建設された際、山手線を超えるための橋として作られたそうだ。柱の上の青い地球儀はSNSの映えスポットとしても人気のレガシー。ちなみに、残念ながら原宿駅寄りの地球儀はツタが絡まって全く見えない。誰かレガシーを管理する人がいるのなら、インバウンドが押し寄せる前に是非、キレイにして頂きたいものだ。
原宿駅から徒歩1分。表参道の欅並木に沿って建つグレイタイルの大型高級マンションは、東京オリンピック開催の翌年、昭和40年に建てられた「コープオリンピア」。当時は日本の億ション第一号と言われたヴィンテージマンションだ。サラリーマンの平均年収が約45万円の時代だったから、選ばれしセレブだけが入居できる雲の上の存在だったのはあきらかだ。フロントも設えもすべてがホテルライク。低層階には「南国酒家本店」をはじめ、いくつもの商業施設があり、管理体制もしっかりしているので、空き室は滅多に出ないが、現在もなお一度は住んでみたい憧れの物件として人気があるようだ。
今回は、「原宿」のオリンピックレガシーに着目して歴史を紐解いたが、1964年の東京オリンピック開催以降、原宿周辺はスポーツ、ファッション、音楽など、様々なジャンルで驚異的な進化を遂げてきた。そして今は、個性的なファッションやトレンドを「原宿カワイイ」として世界中に発信し続ける街として唯一無二の存在になっている。二度にわたる東京オリンピックレガシーが原宿にさらなるインバウンドを呼び込むのは、もはや明確。今後、「原宿」周辺は、もっともっと世界中から注目される魅力的な街へと発展していくに違いない。
今回訪ねた街はコチラ!
著者プロフィール
赤沢奈穂子
放送作家。
日本脚本家連盟、日本放送作家協会会員。
コピーライターから放送作家に転身後、日本テレビ「11PM」でデビュー。番組における最初で最後の女性作家に。テレビ、ラジオ、イベントなど数々の番組等に関わり、1993年渡米。NY、イスラエル、ロンドンでの約7年の居住を経て帰国。その後は、番組構成をはじめ、雑誌ライター、書籍の執筆、イベント運営など、幅広く活動している。既婚。2児の母。東郷奈穂子名義でも活躍中。
コピーライター作品「フルムーン旅行」
放送作家作品「テレビ東京/出没!アド街ック天国」ほか
近著に、萩谷慧悟ダイビングフォトブック「HORIZON」(2021)、「Azure Blue」(2022)、小西成弥フォトブック「treasure」(2022)など
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参照コンテンツ
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- MNEXT 眼のつけどころ 市場脱皮期の富裕層開拓マーケティング―価格差別化戦略(2021年)
- プロの視点 消費反発の現場を探る 帝国ホテルのブッフェから(2021年)
- オリジナルレポート コロナ下とコロナ後の消費の展望(2021年)
- MNEXT 眼のつけどころ 20年後の東京をどうするか?―新しい消費文化の形成(2017年)
- 戦略ケース 都市再生法によって加速する 東京発マーケティング革新(2002年)
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