自治体だけでなく、メーカー、小売業にとっても地域の再活性化は重要なマーケティング課題になっています。最近、文化財、歴史的資源を活用して地域を再活性化させる取り組みが注目されています。
その成功例が年間700万人以上の観光客が訪れる「小江戸」川越です。川越の市街地は、戦後の都市化の流れに逆行するように江戸時代の蔵造り町家や大正時代の近代洋風建築の建物が多く残っていました。行政はそこに着目し、昭和40年後半から蔵造りの建物や街並み保存の動きを始めました。昭和62年には自主的協議組織「川越町並み委員会」が「町づくり規範」を定め、町並みの保存や観光環境整備に取り組んできました。
内閣府は2016年に「歴史的資源を活用した観光まちづくり連携推進室」を立ち上げ、官民一体での地域再生を積極的に支援しています。その一例として、滋賀県大津市の取り組みがあります。江戸時代、東海道五十三次の宿場町として栄えた大津百町エリアの150件の古民家の保存と、古民家を活用した大津百町商店街家ホテルプロジェクトを立ち上げました。「街に泊まって、食べて、飲んで、買って」をコンセプトに、街全体でのホテル化を進めています。
このような取り組みは地方だけではありません。東京都は2010年に「東京歴史まちづくりファンド」を設立し、都選定歴史的建造物の保存や修復を支援しています。
今回は目黒を中心にとして、歴史的資源を再発見しています。目黒はおしゃれな高級住宅街のイメージが強いエリアです。この目黒には有名な歴史的資源「目黒不動尊」が祀られています。先進性だけではなく、歴史に着目したマーケティング展開もエリアマーケティング、地域再活性の重要な取り組みです。
目黒には、全国的にも知られる有名なふたつの寺社がある。ひとつは、酉の市で知られる目黒区最古の総鎮守「大鳥神社」。そしてもうひとつが関東最古の不動霊場「目黒不動尊」だ。目黒不動尊は、毎月28日が縁日のため、各地から多くの参拝客が訪れ、賑わう。お参りし、参道名物の八つ目うなぎを食すとご利益があるとされているが、特に28日にお参りするとご利益も絶大なのだそうだ。
不動尊とは不動明王のことで、「お不動さん」の愛称で親しまれている不動明王を祀る寺院が日本各地にある。有名どころとしては、初詣で賑わう「川崎大師」や節分の豆まきで知られる「成田山新勝寺」などがあるが、せっかくなので、不動明王についてもちょっとふれておく。不動明王とは、大日如来(だいにちにょらい)によって生まれた人間を救うための化身。そう、あの右手に剣、左手に縄を持った怒り顔の仏像が不動明王だ。仏教の起源であるインドの理想的な働く子供の姿が反映されているらしい。でも、その不動明王よりもっと恐ろしいのが、不動明王に仕える2人の童子。右にいるのが赤い肌の反抗的な「制多迦(せいたか)」、左にいるのが色白で穏やかな「矜羯羅(こんがら)」。煩悩を焼き尽くす炎を背に、不動明王の化身である龍を巻き付けた剣を持って立っている。この対照的な二人の童子を従えているんだけど、実はこの「制多迦(せいたか)」が不動明王だと思っている人も少なくないんじゃないかな(私は勘違いしてました)。
この不動尊を祀る寺院は全国に数多く存在するが、実は東京には「五色不動」と呼ばれるグループ的存在の不動尊がある。それが「目黒不動尊」「目白不動尊」「目赤不動尊」「目青不動尊」「目黄不動尊」の五つ。江戸幕府が開かれる前からあった目黒不動尊を基に、密教における一切のものが地「黄」、水「黒」、火「赤」、風「白」、空「青」の五行説からなるということから、この5か所の不動尊を「目黄」「目黒」「目赤」「目白」「目青」と名付け、五色不動と呼んだといわれている。名前の由来は、仏像の目の色だったり、地名だったりするようだが、ちょっとレンジャー戦隊っぽくて面白い。そもそもは、上野寛永寺を開山した「天海僧正」の発案で徳川三代将軍・家光が江戸の鎮護や天下泰平を祈願し、江戸城の周りに5か所の不動尊を置いたのがはじまり。当時の江戸城を起点とし、五芒星を描くように東西南北と中央の五か所に割り当てられたのだそうだ。
では、いよいよ「五色不動」ツアーへ出発!
まずは、「目黒」の地名の由来ともいわれる「目黒不動尊」を祀る「泰叡山龍泉寺(たいえいざん りゅうせんじ)」(目黒区下目黒3-20-26)へ。JR山手線「目黒駅」から徒歩15分、東急目黒線「不動前駅」から8分が最寄り。「目黒不動尊」は、平安時代からある日本三大不動尊のひとつとされ、現在の本堂は火災で焼失したのち、1634(寛永11)年、家光の庇護を受け再建されたもの。「目黒」という地名がついたのは平安とも鎌倉時代ともいわれているが、ここ「目黒不動尊」が由来という説もある。こちらには、本堂に祀られている不動尊のほかにも、「水かけ不動」や「身代わり不動明王像」「愛染明王像」「八大童子像」などが祀られている。さらに、本堂の奥には不動明王の本地仏である「胎蔵界大日如来像」が。ちょっとわかりづらいが、回廊になっている本堂の裏側へ回ると大きく立派な大日如来像に出会える。
続いて「目白不動尊」へ。「目白不動尊」は、JR山手線「目白駅」から徒歩12分、東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」から5分の「神霊山金乗院慈眼寺(しんれいざん こんじょういん じげんじ)」(豊島区高田2-12-39)に祀られている。もともとは、文京区関口にあった「新長谷寺」に安置されていた空海伝来の不動明王に「目白」の称号が贈られたことに由来。それにより、界隈を「目白台」と呼んだことで「目白」という地名が誕生した。のちに戦災で焼失したため「金乗院」と合併。弘法大師が作ったとされる高さ八寸(約24センチ)で目が白い不動明王が鎮座している。本堂向かって右にある「目白不動尊」の不動堂を覗くと、奥に神々しい光を帯びた本尊が祀られているが、結構距離があるにもかかわらず、その慈愛に満ちたお姿に感動する。
次は「目赤不動尊」。「目赤不動尊」が祀られているのは、地下鉄南北線「本駒込駅」から徒歩3分の「大聖山東朝院南谷寺(だいせいざんとうちょういん なんこくじ)」(文京区本駒込1-20-20)。江戸時代初期、比叡山南谷にいた不動明王の信仰者・万行律師(まんぎょうりっし)が、お告げにより向かった伊賀国(現在の三重県)の赤目山の山頂で授かった一寸二分(約4センチ)の黄金の不動明王を安置している。かつては、赤目山に由来するため「赤目不動」と呼ばれていたが、家光の命により、目黒不動と目白不動にちなみ、「目赤不動」と呼ぶようになったと言われている。
そして「目青不動尊」。「目青不動尊」は、東急田園都市線「三軒茶屋駅」から徒歩5分、東急世田谷線「三軒茶屋駅」から3分の「最勝寺教学院(さいしょうじきょうがくいん)」(世田谷区太子堂4-15-1)に祀られている。上野寛永寺の末寺である「最勝寺教学院」は、1604(慶長9)年、江戸城内紅葉山付近に創建。江戸城築城により麹町貝塚に移転したのをはじめに、赤坂三分坂→麻布谷町→青山南町と転々としたのち、現在の太子堂におさまったと言われている。かつて、青山近辺にあったことから「目青不動」と呼ばれ、さらには「青山のお閻魔さま」と親しまれていたという。現在の不動堂も「閻魔堂」として建立され、本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が祀られている。
最後は「目黄不動尊」へ。実は「目黄不動尊」だけ2か所ある。ひとつは、台東区三ノ輪、もうひとつが江戸川区平井にある。まずは「三ノ輪」にある「養光山金碑院永久寺(ようこうざんきんぴいん えいきゅうじ)」(台東区三ノ輪2-14-5)から。地下鉄日比谷線「三ノ輪駅」から徒歩1分。南北朝時代に創建された天台宗の寺院。「目青」が移転しまくりなら、こちらは宗派がころころ変わってきた寺。真言宗として開山し、禅宗→日蓮宗→天台宗におさまった。ま、よく言えば柔軟な寺だ。住宅地に建つ寺らしからぬモダンな様相もどことなく時代に乗っかっている。そのとなりにある不動堂には、制多迦(せいたか)と矜羯羅(こんがら)を従えた目黄不動尊が祀られている。
そして、もうひとつが「平井」にある「牛宝山明王院最勝寺(ごほうさんみょうおういん さいしょうじ)」(江戸川区平井1-25-32)。JR総武線「平井駅」から徒歩15分。こちらは、平安時代初期、慈覚大師が隅田川の畔で釈迦如来像と大日如来像を刻み、本尊としたのがはじまり。その後、877年「牛宝山」として開山。大正2年の駒形橋の架橋工事により墨田区から現在地へ移転。不動堂には、木造の不動明王坐像と大日如来像が祀られている。整備された敷地内には、藤棚や蓮鉢や蘇鉄などたくさんの植物が配され、気持ちのいい空気が流れている。
今年は御朱印長を持って五色不動を巡ってみては?それぞれ趣きがある不動尊に出会えます。中でも印象深かったのが、あまりの神々しさに思わずため息がでた「目白不動尊」と、護摩木(100円)や由来の紙が置いてある参拝者に手厚い「目赤不動尊」。ま、でも5か所すべて巡るのがオススメです!
勇ましくてカッコいい不動明王に祈願し、コロナも自身の厄も全部まとめて退散してもらいましょう!
今回訪ねた街はコチラ!
著者プロフィール
赤沢奈穂子
放送作家。
日本脚本家連盟、日本放送作家協会会員。
コピーライターから放送作家に転身後、日本テレビ「11PM」でデビュー。番組における最初で最後の女性作家に。テレビ、ラジオ、イベントなど数々の番組等に関わり、1993年渡米。NY、イスラエル、ロンドンでの約7年の居住を経て帰国。その後は、番組構成をはじめ、雑誌ライター、書籍の執筆、イベント運営など、幅広く活動している。既婚。2児の母。東郷奈穂子名義でも活躍中。
コピーライター作品「フルムーン旅行」
放送作家作品「テレビ東京/出没!アド街ック天国」ほか
近著に、萩谷慧悟ダイビングフォトブック「HORIZON」(2021)、「Azure Blue」(2022)、小西成弥フォトブック「treasure」(2022)など
連載:気になるあの街に行ってみた!
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参照コンテンツ
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- MNEXT 眼のつけどころ 市場脱皮期の富裕層開拓マーケティング―価格差別化戦略(2021年)
- プロの視点 消費反発の現場を探る 帝国ホテルのブッフェから(2021年)
- オリジナルレポート コロナ下とコロナ後の消費の展望(2021年)
- MNEXT 眼のつけどころ 20年後の東京をどうするか?―新しい消費文化の形成(2017年)
- 戦略ケース 都市再生法によって加速する 東京発マーケティング革新(2002年)
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シリーズ「移動」のマーケティング
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